2025/01
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山梨県立図書館からの6冊
新たに積読山脈に積まれた3冊(図書館ではなく、買った本)。
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『カントの人間学』 『岩波講座 政治哲学 5 理性の両義性』の2冊は図書館で借りて良かったから結局、買った。『カントの政治思想』はジョン・ロールズ『正義論』の注釈に載っていたから
第二部 第四章 40節 「<公正としての正義>に関するカント的解釈」
いきなり最初の見開きページの左端に長々と*2、カントの『三批判書』についての注釈が載っていて、こっちを煽ってくる*3
注釈の一番最後にオマケみたいに記載されている書籍の出版年が1970年なので、校正時にあわてて追記されたのだろう(『正義論』の初版は1970年)。さりげなく置かれているけど。ハンス・ライス『カントの政治思想』(1970 )〔翻訳版1989 芸立出版〕
これら3組の事案(合計5つの事案)から、3つの重要な示唆が導き出される。
第1に、インターネットユーザは投稿やコメントを通じてソーシャルメディア上で発言する修正第1条の権利を有しており、この権利は政府の介入によって侵害され得るが、プラットフォーム自身の判断では侵害されない。
第2に、最高裁判所は、ソーシャルメディアプラットフォームが独自のコミュニティスタンダードや編集ポリシーに基づいて、ユーザの目にする投稿の取捨選択や表示方法、投稿の拡散や抑制を日常的に行っていることを認めた。これは、コンテンツモデレーションを受動的で無関心なものとする従来の見方からの大きな前進である。
第3に、これらの事案は、伝統的な修正第1条のルールがソーシャルメディアにも適用されることを確認した。つまり、政府がソーシャルメディアページのコメント欄を管理する場合、公園や公共講堂、市議会といった物理的な公共空間と同様、そこで発言を望む者に対して修正第1条に基づく義務を負う。また、編集ポリシーに従ってユーザの発言をキュレーションするオンラインプラットフォームは、美術館、書店、新聞スタンド、パレード主催者、社説編集者など、他者の発言を選択することで自己表現を行う主体と同じ修正第1条の権利を持つ。
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どう考えても順番がおかしいんだけど、カントについて知るために*1、いまさらながら、御子柴善之『自分で考える勇気 : カント哲学入門』(岩波ジュニア新書)を読んでる。キンドル、一瞬で空から降ってくる。便利。
ここまで掘り進めていながら、なんとなくわかったような気になっている単語が、実際には全然わかっていないという。基礎、基本を端折っているのでこういうことが起きる。
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rururu の正体みたり
欲しいものとか
メガネのレンズ交換と新しいフレーム購入
調光レンズ欲しい気がする
張り上げ式のフレームも欲しい
次のランニングシューズを選ぶ
トレイルとロードの両方走れるヤツ
2足、そして場合によってはサイズ違いも揃えたいので、安定して供給されるモデルがイイ
円安ドル高の影響で中途半端なメーカー、中途半端なモデルの供給が不安定になっている
日本に輸入されない
ランニング用のソフトシェル
いまモンベル ウルトラ ライトシェル パーカを愛用してる
ただ薄いウインドシェル(12デニール)にメッシュの裏地がついているだけ、というプアマンズ・エアシェッド・プロ・プルオーバー
これと、おたふく手袋のドライレイヤーの半袖と長袖をそのときの気温に応じて使い分けてるけど、
もっと寒いとき用に、モンベル ライトシェルパーカ が欲しい
40デニールのシェルにメッシュの裏地がついているだけ
いままではインナーで気温に対応してたけど、シェルの方で温度調整するという、コペルニクス的転回
甲府盆地の冬は降水量がゼロである、風が強い、寒暖の差は大きい
個人的な特性として、体温が上がりやすい、汗をかきやすい
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「なにかを発見する」というのが僕のスペシャルなところ、なのだと思う
「極中」の問題をその背後から支えたのが「バイブス」という概念である。これは、論理や証拠ではなく、感覚的で直感的な雰囲気や価値観を中心に据える考え方を指している。この転換は、政治からファッション、エンターテインメントに至るまで広範囲に影響を及ぼし、わたしたちの意思決定や文化的選択の基準を大きく変えている。
2024年の米大統領選はその一例だった。候補者の政策や実績よりも、トランプが放つ挑発的なエネルギーや、バイデンが醸し出す安定感といった「バイブス」が、有権者に対する主要な訴求ポイントとなった。また、ファッションの世界では、「Brat Girl Summer」と呼ばれるムーブメントが、具体的なスタイルやアイテムそのものよりも、「自由で反抗的」という精神的な雰囲気を象徴することで人気を博した。このように、バイブスは単なる感覚の問題を超え、社会全体の新しい価値観を反映している。
Brat Girl Summer
パブリックドメイン
人生を乗っけて音楽に直接向きあってる人達からの生の情報が一番信頼できる、という当然のところに長い回り道をして戻ってきた
2024年、どこから新しい音楽の情報を入手したらいいのか問題。音楽情報サイトがどんどん力を失っていき、SNSもこの有り様で、これまでの10年~20年の感覚でネットで情報収集をしていたら、すでに有名なアーティストの情報は確実に得られるけど、新しいアーティストの情報にまったく出会えない状態に陥ってしまいそうです。「しまいそう」というか、もうとっくにそうなってますね。
こうなってくると、小さなクラブやライブハウスによく出入りしてる人だったり、個人経営のレコード屋さんだったりの、人生を乗っけて音楽に直接向きあってる人達からの生の情報が一番信頼できる、という当然のところに長い回り道をして戻ってきた感じです。そのこと自体は良い面が多いような気がします。これからは人生を乗っけて音楽に直接向きあっていきたい。
傍観者からすれば、第1期トランプ政権は、ロシアや中国と軍事的対立による過度の緊張を引き起こすことなく、北朝鮮と戦争することもなかったという意味で平和外交に貢献したように見える。北朝鮮の指導者と在任中に対談した米国大統領はトランプだけだ。しかも3回も直接会っている。
むしろバイデン政権になってからロシア・ウクライナ戦争が起こり、イスラエルがハマスやヒズボラへの軍事攻撃で暴れまくり、世界は戦争の時代に引きずり込まれた。トランプがこれらの戦争を止めることができれば、ノーベル平和賞をもらったとしても驚かない(驚くなかれ平和のために何にもしていないオバマもノーベル平和賞を与えられているのだ)。
2016年にオバマからホワイトハウスの引継ぎの際に「北朝鮮が一番の問題だ。たぶんあなたの在任中に北朝鮮と戦争になるだろう」と深刻な顔で言われたとき、トランプが「で、金正恩に電話してみたのか?」と訊ねたというエピソードが好きだ。
ボイラープレート
ボイラープレートコード (英: boilerplate code、または単にボイラープレート) は、コンピュータプログラミングでは、殆ど、または全く変化することなく、複数の場所で繰り返される定型コードのセクションのこと。冗長な言語を使用する場合、プログラマーはコードを少しだけ書くだけでも多くのコードを作成する必要がある。このような定型コードはボイラープレートと呼ばれる。
HTMLでは、次の定型文が基本的な空のテンプレートとして使用され、ほとんどのWebページに存在する。
code:foo.html
<!DOCTYPE html>
<html lang="en">
<head>
<meta charset="UTF-8"/>
<title></title>
</head>
<body>
</body>
</html>
WHATWG HTML Living Standardは、 <html> 、 <head> 、および <body> タグはほとんどの状況で安全に省略できると定義している。 <meta charset="UTF-8"> タグは、コンテンツタイプとともに文字エンコードを送信するようにWebサーバーが適切に構成されている場合にも省略できる。 GoogleのHTML/CSSスタイルガイドでは、オプションのタグをすべて省略することを推奨している。その結果、ボイラープレートがはるかにコンパクトになる。
code:bar.html
<!DOCTYPE html>
<title></title>
1. 排中律の採用及び、二重否定の除去;
2. 無矛盾律と、矛盾からはいかなることも導ける(en:Principle of explosion)とすること(矛盾許容論理も参照);
3. 帰結関係(論理的帰結を参照)の単調性(en:Monotonicity of entailment、単調写像を参照)と帰結関係の冪等性(en:Idempotency of entailment);
4. 論理積の交換法則(en:Commutativity of conjunction);
5. ド・モルガンの双対性: 全ての論理演算子はどれか他の演算子の双対である;
今日はやり方を変え、空調下でサイクリングマシンを繰り返し漕ぐ。カッコ悪いが、ときにはこうした管理されたフロントカントリーでの実験の方が、純粋なバックカントリーに終日を費やすよりも啓発的な場合がある。可変要素を分離すると、相違点がより明確になる。
雨天時の走行を模倣するつもりで、着用前に屋外のホースで最初のジャケットをずぶ濡れにした。フードをかぶり、ジッパーを上げ、バイクにまたがり、タイマーを15分にセットする。体内温度の上昇にしばらくかかり、その間に細かなことに気付く。最初の試作品の裏地は肌にひんやりする。2番目のものはベタベタまとわり付く。3番目のシェルはシャカシャカうるさいが、はるかに放熱性に優れる。スマホにメモすると、親指の下でスクリーンに汗の滴がたまった。
Singin’ in the Rain
One of my favorite pieces of music is Singin’ in the Rain.
私の好きな曲の一つは「雨に唄えば」です。
Of course, I know it best from the 1952 film, but it’s actually from a 1929 film that just entered public domain called The Hollywood Review.
もちろん、私は 1952 年の映画からそれを最もよく知っていますが、実際には、パブリック ドメインになったばかりの 1929 年の映画「The Hollywood Review」からのものです。
The songs featured a couple of times, being sung by Cliff Edwards, who would later go on to be Jiminy Cricket, and then later on by this giant chorus of stars who are from the silent era and the early talky era, all singing in raincoats in two-strip Technicolor, so some really early color in film.
これらの曲は、後にジミニー・クリケットとなるクリフ・エドワーズによって歌われ、その後、サイレント時代やトーキー時代初期のスターたちの大合唱によって、レインコートを着て2ストリップ・テクニカラーで歌われ、映画の非常に初期の色彩表現となりました。
Now when we think about Singing of the Rain, we think about how many half-lives it’s already had under copyright.
さて、『雨に唄えば』について考えるとき、私たちはこの作品が著作権の下ですでに何回半減期を迎えたかを考えます。
The 1952 film, it’s reuse later on in A Clockwork Orange, and so many countless other moments.
1952 年の映画、後に『時計じかけのオレンジ』で再利用され、その他数え切れないほど多くの場面があります。
So now that it’s in the public domain and it belongs to all of us, we can remix Singing in the Rain however we want.
だから、今はパブリックドメインになっていて、私たち全員のものなので、「雨に唄えば」を好きなようにリミックスすることができます。
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フリーについて
「自由に走れ(ラン・フリー)!」とカバーヨ・ブランコがよく唱えた2語からなる鬨の声に、それは申し分なく集約される。〝フリー〞は〝好き勝手〞に近いけれど、同じではない。カバーヨが言いたかったのは、けがからの自由。ストレスからの自由。法外な価格のシューズやギアやレース参加料からの自由だ。ラン・フリー、休み時間に外に飛び出していく子供のように……あるいは現代世界を捨て、ちっぽけな小屋と奇天烈ながらも愛情にあふれるララムリの家族を選んだ不機嫌な一匹狼のように。
最初の章が「シェーン・マッコンキー」についてだった。
マッコンキーは頑として聞き入れなかった。ずんずん歩いて崖に登っていってしまった。ウインターは崖の下にとどまった。嫌な予感がして仕方がない。ヘッドセットを通してカウントダウンが聞こえた。そして、そのときだった。マッコンキーは崖から飛び出してきた。スキーブーツ以外、何も身につけずに。ダブル・バックフリップはやらなかった。マッコンキーがやってみせたのは、その後すぐに彼の代名詞的な技(シグネチャー・トリック)となる、飛距離の大きな、裸でのスプレッド・イーグルだった。
1993年。まさにスキーが甦ったときの話。そしてシェーン・マッコンキーはオレのアイドルになった。
マッコンキーは、バスケットコートプレーヤーなどよりも、大航海時代のスペインの探検家にむしろ近いのです。マッコンキーのようなアスリートを誰かと比較したければ、まずはマゼランあたりから始めなければなりません
スノーボードのフリーライディングから始まって、シェーン・マッコンキーがスキーにおいてその意味を大きく引き伸ばした「フリー」という概念と、最近ではえらく狭く窮屈で卑屈でビジネスっぽくなってしまったこのインターネットでのウェッブサーフィンを再び結びつけるようななにかを、いつか書く。
Cosense 、自分からブラケティングしていくのが面倒だと感じる人は、そもそもブラケティングする必要がないのだと思う
もしくは書いて書きっぱなしなのだろう。それじゃあ、モズの早贄だ(枝に刺したまま、忘れてしまう、という意味で)
end