読書しすぎるとバカになる
ショーペンハウアーの読書についてという本 says
読書しているとき、私たちの頭は他人の思想が駆け巡る運動場にすぎない。読書をやめて、他人の思想が私たちの頭から離れていったら、いったい何が残るだろう。だからほとんど一日中、おそろしくたくさん本を読んでいると、何も考えずに暇つぶしができて骨休めにはなるが、自分の頭で考える能力がしだいに失われていく。いつも馬に乗っていると、しまいに自分の足で歩けなくなってしまうのと同じだ。 井戸端民 says
mtane0412.iconの感覚では「おそろしくたくさん本を読んで」「自分の頭で考える能力」が著しく低い人物を「馬鹿」と呼べないと感じる / 自分で考えられなくても本から知識を引き出せて、その量がおそろしくたくさんだったらなんか「馬鹿」とは呼べない気がする
「自分の頭で考える能力がしだいに失われていく」と「馬鹿になる」んじゃないんですか? 増井俊之.icon
逆です。たとえるなら「醤油を1リットル飲むと死ぬ」を「醤油を使うと死ぬ」に言い換える行為です。nishio.icon
読みすぎると馬鹿になる、はtrue
あとは「読みすぎる」の程度をどこに引くかと、「読書すると」という「すぎる」のない表現にそれを持たせるかどうかの話
gpt
「読書しすぎるとバカになる」という言葉があります。ショーペンハウアーの「読書について」という本から得た感想だそうです。どういう意味ですか?
決して読書自体がバカにするものではありません。ショーペンハウアーは、読書を否定しているのではなく、その方法や質に注目しています。
彼の主張は、一方的に情報を収集し続けるだけの読書は、人の思考力を奪う可能性があるというもの。つまり、「本から得た知識だけを鵜呑みにし、自分自身の思考や反省を怠ってしまうと、知識を持つだけの表面的な人間になってしまい、真の理解や深い思考力が育たない」という意味で「読書しすぎるとバカになる」と述べていると解釈されます。
自分自身で考えることなく、他人の意見や情報に頼りきってしまうと、知識は増えても、それを活用したり、新たなアイデアを考え出すような創造性や柔軟性は失われてしまうという警告でもあります。
つまり、読書という行為には自己反省や自己啓発が伴うべきだという、知識と思考のバランスを重視する考えを示しています。 良い言葉
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俺の言語化:
外山滋比古さんも似たようなこと言ってた気がする(ちょっと引用引っ張ってこれないけどsta.icon) 今ならもうちょっと言語化できる
主義の問題である
ターゲットインに傾注して「自分」が薄まることをバカと言っているんじゃない?sta.icon*2
sta.icon
理論と実践の関係なのかなぁと思う
読んでばかりいると知識(理論)は貯まるが、行動しないのであんま意味ない
ただし、
「行動しないと意味がない」もまた解釈の一つでしかない(万人にとって正しい真理ではない)
(現実としては社会は行動していかないと得られない・食っていけないから行動至上主義が多いけど) 医者は人体と健康について誰よりも知っているが、医者自身が健康的に過ごしているとは限らない
知っていることと行動できることは別次元の話
他にありそうなのは、
読書自体は「自分事として捉える(消化する)」をしない
読書自体は何も生産しない(どころか生産する機会を奪う可能性もある)
突き詰めると哲学になるな……
たとえば博識な人なら、たとえ自分で考えたことがなくても知識を駆使して答えを出せるだろう
そもそも「自分で考える」とは何なのか
etc
別の言い方をすると「バカの定義とは」
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僕個人はアウトプットを重視したいかな
そういう性分なので
sta.icon
創造指向なるものがある気がしたよ、今一年ぶりくらいに見たら