言語化はどういう人がやることなのか
これ見て自分なりに考えたくなったsta.icon
これは身体感覚の使い方に関する言語化の必要性、という話 たとえば逆上がりの体感感覚の言語化に、どれだけの意味があるかとは思ってしまう
たぶん「言語化するのは分が悪い(そんなことせずに感覚でできた方がいい)」という前提があって、それでもあえて言語化しようとする層が一定いそう、という気づきを書いているのだと思う
実行力が強い人は、ただただ行動して結果出したいので、言語化なんてしない 戦略的思考力が強い人は、考えたい深堀りしたい広げたい集めたいので、言語化する そういった活動は言語を使うことでしかできない
言語を使うためには、言語に落とすことつまりは言語化が必要
(ただし感覚のまま抽象的に扱おうとする人もいる → 芸術家とか)
顕示したい人
sta.iconは少しでも承認されるため・顕示するために、なるべく公開している
公開すればするほどチャンスが広がるから
まあネット自体が広大なので正直ゴミみたいなもんだけど
力を持ったギラギラ人達も、歴史に名を残すために残す
戦国時代の時点でも武将たちは残させている
史料
自分を捉えたい人
自分を知ってるのは自分だけだから、自分の力で捉えるしかない
これは「人の無意識の下には膨大な宝物があるから、何年も何十年もかけて取り組むことに価値がある」とまで踏み込んでいる
創作やプログラミングが好きな人がいるように、知的生産が好きな人もいる
新しい事柄や新しい概念を生み出すのが好きな人
「知的生産」という雑なくくりをしているけど、まあ時代が進めばもっと細分化されてくるだろうsta.icon
働き方や仕事のやり方
性など人に対する捉え方やあり方
秀逸な比喩やネーミング etc
(楽したり後世のために)残したい人
暗黙知は形式知に変換して残しておかないと途絶える
人材が著しく少ない場合は絶滅してしまう恐れも
古い職人とかはこのパターン
train.icon言語化は無理とかいわれるが、そんなことはない
スポーツの世界だって根性論はとっくに終わってる
まあ「優れた身体能力で安定したパフォーマンスを出す」ためには何千何万時間と鍛錬が必要なわけだが……
筋肉と神経と記憶に定着させるために、これは避けて通れない