なんちゃって代弁
@wakaruhitohawak: 最近、「考えてたことを言語化してくれた」というタイプのツイートをよく見かけるが、思うにこの手のユーザーにはそもそも「考えてたこと」など何もなく、都合の良い文章をさも自分の意見だったかのように振る舞うことで、自分にできなかったことは「言語化」だけだったと思いこんでいるだけなのでは 先行として以下をあげてる
@_vetechu: コメントでたまに「自分が考えたことを言語化してくれてありがとう」って言われるけど、俺はお前の考えたことなんか話してないし、お前は短期的に俺の考えになんとなく説得されてるだけで本来ぜんぜん何も考えてないし、俺がひとりで考えたことををちょっと納得したくらいで自分の手柄にすんな、と思う @salt_of_fox: 自戒として、自分の思想を見事に言い表したような言説を見つけたからといって、それをまるで自分の元からの意見のように引用してはならない。曖昧な感情を言語化する努力をしていない時点でその言葉はお前のものではないし、自分で一から言語化した言葉とでは全く違う見た目をしているはずだから。 sta.icon
鋭い考察
マジョリティに刺さりそうなことを見て「そう、それが言いたかったんよ!」みたいに勘違いする
当人は「言語化したかったけどできなかった。あなたがしてくれた」と考えているが、いや、単に多数に刺さりそうなことをそうだと勘違いしているだけではという考察
でもこれは「儀式的な準備行動を伴ったあとに」だから違うか?sta.icon
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それはそれとして、僕もそう思う(言語化は本来大変なものやで) 一生涯をかけて自分と向き合い、昇華していく
同じものは一つとしてないだろうし、他者がそれを知ることもできない
そういう意味で、言語化は「それを知る自分達自身がやるしかない
この感じsta.icon
そう、だからこそ僕はいちいち自分の言葉で書く。
拙くても、自分より優れた人たちによるインプットが腐るほどあっても。
インプット偏執になると言語化ができなくなるのだ。