現代思想入門
複雑なことを単純化しないで考えられる
20世紀の思想は排除される余計なものをクリエイティブとして肯定した。
秩序を作る思想と秩序から逃れる思想、どちらも必要
構造主義はスタティック、静的で、世界をパターンの反復として割り切る 脱構築は物事を二項対立によって捉えてよしわるしをいうのを一旦保留する 能動性と受動性のあいだのグレーゾーンに人生のリアリティがある
二項対立の決定不可能性を担う第3の概念。パルマコン、ギリシア語で薬でも毒でもある
パロール、本質的なモノ。エクリチュール、非本質的なもの
未練込みの決断こそ大人な決断
ドゥールズ:世界は差異でできている。世界は時間的であって、すべては運動のただなかにある 狂気の歴史:正常と異常の脱構築。狂気を隔離していきクリーン化していくことが近代化。 対立の両側を捉えて宙吊り状態にすることが二項対立の脱構築 人はフィルターを通してしか社会を見れない。それを感とは超越論的なものと呼んだ。
フーコーの古典主義時代では、思考に対する表象が区別することなく、事物を思考によってじかに分類整理できる時代。ここにおいては表象と事物は一致しているのか擦れているのかという問題意識はなかった。 近代化の進展において、表象の背後には事物がそのようにできている深い原因がある。表象をみるだけでわからない原因を解明しようという知の運動が始まった。そして思考(表象)と現実(事物)がすれているかもというのは現代にとっては当たり前だけれども、昔はズレがなかった。その表象と事物が分離されそれをどうつなぐかが問われて、そこに対して取り組んでいった。 思考によって世界に一致しようと試みるが結局はできない。近代的な有限性はここにある
カントの純粋理性批判:新たなる有限者としての近代的人間の在り方を明記した。真理に向かおうとするが、真理への到達不可能性によって牽引されつづける マルクス主義においてはすべての人が構造から開放されるにはどうするか、すべての人が自分自身に力を取り戻すにはどうするかを考えた
精神分析は人間は過剰な動物だという定義を与えている。秩序からの逸脱性。人間はエネルギーをもてあましている。そもそもまとまっていない認知のエネルギーを制限し、整流していくのが人間の発達過程。教育とはまず制限である。人間は認知エネルギーを余している。 快には2つある。1つは緊張が解けて弛緩すること。2つは偶然に振り回されて死ぬかもしれないというギリギリなところで安全地帯に戻ってくるスリル。フロイトでいう死の欲動であり、死の偶然性と隣合わせであるような快をラカンは京楽とよんだ。 言語習得は世界を貧しくしていく。言語とはドゥールズの言い方をするには精度である。
人は規律訓練を求めるのは、認知エネルギーが溢れていてどうしたらいいかわからない状態は不快であって、そこに制約をかけて自分を安定させることには快があるから。しかし一方ではルールから外れてエネルギーを爆発させたいときもある
近代的有限性