2025/3/31
大人は不機嫌になったときに自覚できないのかもしれない。
不機嫌になっている人は、自分が不機嫌になっているとまず気がついていない
指摘すると「そんなことないよ!」と怒る
対象に関与するためには、まず認識が必要で、自覚できないと対処のしようもない
キュゥべえのセリフ
観測さえできれば干渉できる
干渉できるなら制御もできる
観測できない、存在すら確認できないものは手の出しようがない
自分が怒りや不機嫌のさなかにいることに気がついたら、もう半分は脱出できている
いや、怒りは「さなか」にいるときにはやや手遅れなことが多い。
怒りにとらわれはじめているな、くらいのタイミング
感情を抑える(自分を抑える)ことが要請される文化の中では、感情を認識し、表現する訓練は圧倒的に足りないことになるだろう。
こんまり流なども自分の感情を肯定する一種の認知的なセラピーと位置づけられる
一方で「個性を発揮しよう」などと言われる。ばかばかしいにも程がある。もっと言えば、それはダブルバインドを生じさせかねない危険な態度だ。 気になる
フレッシャーズ向けの季節が再掲されるタイミング。
自分も何かあったはず。
これだ。
書類の整理法はKnowledge Walkersに記事としてちゃんと書き残しておこう
GitHubにアップしておいてもいい(倉下とMicrosoftのどちらの寿命が長いか)
知識・技術・技能・技法をちゃんと継承すること、継承できるように整えておくこと
某大統領がやっていることと逆のことを淡々とこなしていく
そもそも倫理観のない広告主・広告代理店がきわどい広告を入れてくることが発端ではあるんですけど(それなのにアドフラウドとかブランドセーフティーなどと言って自分たちが被害者側であることばかり対策を進めているのがおかしいという話でもありますが)、根本的な問題はプラットフォームがザル審査なところにあると私は思います。
認識を上書きするのではなく、合金に(あるいは合成物に)していく
「A」という信念があるときに、それを否定して「B」になるのではなく、その両方を取り扱えるようになる
日ごとページから切り出す記述と、日ごとページに書いた内容を参照しつつ別途書き直す記述があるな
処理を単一の方式に限定しなくてもいい
勉強ノート、研究ノートのように切り出されるページの解像度を上げることで処理の引き出しも増えていく
月インデックスページ
May I help you? or Can I help you? (お店っぽい)/ Do you need some help?
Excuse me→Yes?(語尾をあげて)
I'm looking for this store.
Are you looking for this store?
This store is that way.
It's not very far from here.
It's pretty far from here.
「書き出す」という行為そのものに、認知への整理的機能がある
「自分がコミットしているプロジェクトを一度書き出してみよう」という営みは、単にプロジェクトのリストが表示されるのとは違っている。
人は「見た」ときに、運動用の細胞などを活性化させている
ただ「見る」ということで終わってはいない
PKM界隈の、研究ではなく勉強する姿勢が多い人、is 謎
というか日本ではそもそもそれが大勢ということなのかもしれない
PKMそのものをPKMしない
というかKをMするのがどういうことなのかのメンタルモデルが学校の(というよりも義務教育の)授業の感じを受ける
「あなたはあなたの研究をするんです」
よく使うこういうフレーズをページにしておくとリンクですぐ呼び出せて便利
リンクは添えるだけ
『Sketch Your Mind: Nurture a Playful and Creative Brain (English Edition)』はNexus読み終えたら読むかも(読まないかも)
「やらなければいけないことをやるのではなくやった方がいいことをやる」
義務感からではなく欲求で行動せよ!
やらなければいけないこと→「やらなければいけない」と自分が感じていること
やった方がいいこと→「やった方がいい」と自分が感じていること
(↑通分してみた)
「欲求」じゃない方がいいかもしれないが、今のところ思いつかないのでこれで
「義務からではなく欲求から行動を起こせ!」(添削)
しかし「行動せよ!」の方がパワーがあるな。
「やらなければいけない」は、どんな審級によってその判断が下されているか?
Cosenseを使うときは、注意の矛先をかなり「書く内容」だけに向けられる
Notionは「書く内容」以外のことを結構考えないといけない
特に環境を作る最初の段階ではそれが大きい(最初の段階ほど簡単・認知的に負荷が小さくあるべきだと個人的には思う)
Obsidianも「目をつぶっていれば」単なるテキストエディタなのだが、いろいろ「目に入ってくる」ので、考えて書く、という以外のことをやりたくなってくる。
思考の道具は、自転車くらいシンプルな方がいい
少なくともそういうものを一つ持っておいた方がいい
格好良くツールを使いこなしたいという欲求は珍しいものではないが、それはそれとして「思考すること」に注意を向けておきたい
デイリータスクリストは一日の「軸」を作る
その通りにしなければならないものではなく、そういう方向に進みたいという自分の思い
いくつかのポイントを示せればそれでいい
「一日」という単位でそうした軸があるならば、もう少し「上」のレイヤーにも軸があってもいいのかもしれない。
粒度は上に行くほどどんどん粗くなるだろうけれども。
図書館で借りてきたリストを作っているが、これはB5よりもA5の方がいい感じがする。
まだブックカタリストで取り上げると決まっていない段階から読書メモを作りはじめるテスト
総合小説と総合ノウハウ
井戸は庭にある
ウラジーミル・プロップ『昔話の形態学』による昔話の分析(31の機能)
比喩は物語を瞬間的に脱線させる
たとえば「ピアノを使いこなす」なんて言うだろうか
「自転車を使いこなす」はギリありえるが、それでも一般的ではない
「自転車を乗りこなす」も日本語としては自然だが「自転車を乗りこなしたいんです」というニーズはかなりレアだろう。
にもかかわらず、「xxx(情報ツールの名前が入る)を使いこなしたいんです」というニーズというかそういう声は良く訊く
そこにはどんなビジョンが描かれているのだろうか。