2025/3/28
昨日の深夜、すごい雨だった。
/jinJIN/2025/3/27
生活ログは日記とエスノグラフィの両方に対して、下地となるメモ素材の役割がある。
これはその通りだと思う。「下地となるメモ素材」は、研究者のフィールドノートに近しいと想像する。
自分自身の人生に参与観察することで、あるいはそれによってはじめて自分の人生に「参与」できる、ということがあるのかもしれない。
これはコミットメントの問題。
僕たちは自分自身の人生とどのような関係を結んでいるのか?
そういえば、『エスノグラフィ入門 (ちくま新書 1817)』では「フィールドに通う(行くではなく)」が重要という話がされていたが、職場というのはまさに「通う場所」だ。
フィールドワーカーが、フィールドに何度も通ううちにそのフィールドから価値観の影響を受けることがあるように、僕たちは仕事=職場に通ううちに、その仕事=職場から価値観の影響を受けることがあるのかもしれない。
「行って帰ってくるだけの人=コミットメントが低い人」では起きにくいかもしれない
考えてみるとそれは怖いことだ。
これは職業病的視線や行動というだけではない。職業病的視線とは、小売り業をやっている人間が、買い物に出かけたらそのお店の回転率や利益率をどうしても計算してしまう、というようなことを指す。あるいはコンビニの店員がついつい他のコンビニで前出し(棚の奥にある商品を前に持ってきて列を綺麗に整えること)してしまうのも同様だ。思考や行動が習慣づけられていて、ついうっかり発動してしまう。これも仕事からの日常生活への影響だろう。一方で、明確な利益につながらない行動(趣味的なもの)について価値があるのか?と考えてしまうようなこと、1秒の遅れですら罪悪であるように感じてしまうこと、といったある判断基準すらも職場のそれの影響を受けてしまうことは十分にありえる。
僕たちは、ただ働いているだけではないのだろう。否応無しに関係を築いてしまう。
指が完全にWorkFlowyに慣れきってしまっているので、どうしてもBikeを使うと違和感がある
この移行は、新しいキーボード入力に慣れる程度のハードさを予期しておく必要がありそう
単に文章を書くだけなれば問題なくて、アウトライン操作をしようとしたときに違和感が発動する
本日は夜からブックカタリスト読書会。忘れないようにしておかないと。
準備:/BCBookReadingCircle/2025年3月読書会メモ(倉下)
今月はほぼ新書だった。
今、一番中毒性がある場所、それが生活ログ。
どうなんだろうか。芸能人のゴシップとかが好きな人はこういうのぜんぜん面白くないんだろうか(ないんだろうな)
真剣な遊び、不真面目な仕事|江草 令
真剣さと真面目さは異なるベクトルだと僕も思う
両方に「真」が入っているのはちょっと面白い。
/anfieldroad/2025-03-28
新しくログが始まる予感
そう考えると、気軽に誰かの意見やニュースに一言物申せるTwitterは総ヤフコメ状態なんだな。
オープンさは大切でも、オープンであればなんでもよいということはなくて、関係性のデザインが必要ということなのだろう
🔬ルーズリーフの研究
信実とは、決して空虚な妄想ではなかった
『走れメロス』
/thst/20250328日誌
のCosense版
昨日のツイートを読み返す
「読んだ」と「読んでない」の間には無限のグラデーションがあることはよく言われるが、『読めない人が「読む」世界』では、そもその「読む」が一筋縄ではいかない概念であることが確認される。
僕たちがあたかも共通概念であるかのように軽く「読む」(読字)という言葉を使っているが、その実体はニューロダイバシティを持つ。読むことの困難を抱えていない人同士では、そうした差異が普通問題にされない→注目されない
「精神論」という言葉が否定的に使われるが、しかし精神を無視することは可能なのか、あるいは適切なのか
精神を無視するのは非常に「行動主義」的な感じがする。あるいは、ある手順に沿えば期待通りの効果が上げられますよという風に「ノウハウ」を理解しているかのような→2025/3/24#67e15e0d9dc7d8000066325b
脳は行動の前にシミュレーションをしている。それに作用を与えるのが「精神」だろう。
気の持ちようだけで問題を解決するのは難しいかもしれないが、問題を解決する上で自分の感情をケアすることはかなり大切だと思う。
人間中心主義のノウハウ論、ということだ。
🔬日ごとノートの研究
https://x.com/agathajuuun
明日大阪でオープンされる本屋さんのアカウント
「はたしてちゃんとオープンできるのか」というドキュメンタリーを見ているかのよう
Evernoteのタグ整理
DIYというタグを削除
1つのノートだけについていた
読書手帳2019に画像を移動させてノートは削除した
ライフログと生成AIによる、シン・パーソナルコンピュータ
たぶん「ライフログ」の概念は(一般の人に使われるには)早すぎた
メディアとしてノウハウを発信し続けると、特に何もなくてもひねり出さなければならなくなる
そうなるとだんだん複雑化してくる
「新商品の紹介」というタイプのメディアは、少なくともそういう複雑化は避けられる
逆に、その「新商品」はだいたい複雑化するわけだが
メディア的な「情報の新奇さ」を担保するために、特に必要ではない情報操作(情報生産)が行われる
社会人の読書は「読んだあと」がすべて。成果につなげるための「紙1枚読書まとめ」 - STUDY HACKER(スタディーハッカー)|社会人の勉強法&英語学習
仮に100冊の本を読んでなにもしない人と、本は1冊しか読んでいないけれどその内容を仕事にフル活用している人がいたら、評価されるのは間違いなく後者です。本を読んだだけで満足している人も多いのが実情ですが、社会人は「読んだあと」を大事にしなければなりません。
何かしらのノウハウを「売り込む」ためにこうした言説がよく用いられる
だいたい冒頭にある
ノウハウを受け取るときには、こうした価値観・考え方をセットで受け取ることになる
だいたい冒頭にあるので、最後まで読まない人でもこの部分だけは読んでいることが多い
ノウハウそのものが問題がなくても(問題があるノウハウを見つけるほうが難しい)、こうした価値観や考え方が(あまりにも狭かったり、偏っていたりして)問題があることがある
提供している方は、枕詞というか修辞のようなものなので真剣に考えていないかもしれないが、人が情報を受けとるときにはむしろ、そうした考え方・価値観をより奥の方へ浸透させてしまうことが起こりうる。
見出しに「100冊の本を読んでも、仕事に活かさなければ意味はない」とあるが、これは「100冊の本を読んでも、仕事に活かさなければ(仕事においては)意味はない」というのが本当のところで、それ以外の領域で意味があることはあるし、そもそも「仕事に活かす」というのが、どういうことなのか、自分の実践? 世間話? 上司へのアピール? とさまざまに考えられる。「仕事に活かす」なんてことが簡単に言えると考えている時点で、思考の枠組みが狭いことが自明。
こういうことにいちいち反応していてはキリがないが、でも言うべきことは言っていかないといけない。
欧米のような「自分の意見を持つ」が推奨されている環境なら違うかもしれないが、日本文化では悪影響が強すぎる
凡庸性の話
@finalvent: ポストにしては、長いお話。
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マクドナルドって、昔は「アメリカ帝国主義や資本主義の手先だ」なんて言われてたんですよね。でも今はそんなイメージも薄れてきた気がします。ちょっと前、マクドナルドが何かでめっちゃ叩かれて、経営がヤバいんじゃないかって時期があったんですよ。「これ、どうなるんだろう?」って思ってたら、アメリカから優秀な経営者が赴任したんです。なんか経営大学院を出たみたいな感じの人で、ちゃんと経営学に基づいて立て直したら、あっという間に回復しちゃいました。
それを見て思ったんですけど、マクドナルドみたいな規格化された、いかにも資本主義的な商売って、きちんと経営学的に管理すれば成功するものなんじゃないかって。そういうのって、教科書通りとか、学問的に「正しい」「優れてる」って言われがちですよね。でも視点を変えると、これって「凡庸」ってことでもあると思うんです。いい意味での凡庸さっていうか。独創性とか創造性とか、そんなのいらないわけですよ。だから、マクドナルドって「凡庸性の帝国主義」なんじゃないかって感じるんです。
で、この「凡庸性の帝国主義」の最新兵器が、AIなんじゃないかと思うんですよね。
話が飛ぶけど、最近の若い子たちって、「タイパ」(タイムパフォーマンス)とか「コスパ」(コストパフォーマンス)とかよく言うじゃないですか。これもまた、凡庸な考え方ですよね。
こう話してると、「お前ら凡庸すぎるだろ!」とか言いんかーいと思われ?かもしれないけど、もともとそういう批判がしたいわけじゃないんですよ。ただ、これからの時代って、圧倒的な「凡庸さ」がどんどん出てくるんだろうなって思うんですよね。若い人も受け入れていくだろうし。それだけ。
気になっている本
『スケーリング・ピープル 人に寄り添い、チームを強くするマネジメント戦略』
梅棹忠夫著『知的生産の技術』をとらえなおす
情報の本質はポテンシャルである 〜梅棹忠夫著『情報論ノート』〜 : 発想法 - 情報処理と問題解決 -
情報の検索システムをつくる 〜梅棹忠夫著『メディアとしての博物館』〜 : 発想法 - 情報処理と問題解決 -
検索システムのつくりかた
1.情報のインプット
見たり聞いたりする感覚や行動したりする体験により情報が心にインプットされます。
2,プロセシング
重要な情報を選択したり、情報の概要や要点をつかんだりします。
3.見出し(ラベル)をつける
情報のひとまとまりのそれぞれに見出し(ラベル)をつけます。見出しは、一般的には言葉をつかいますが記号や絵などでもよいです。見出しは、いつでもすぐに閲覧できるように整理しておきます。ツイッターやフェイスズックやブログなどをつかえば効果的です。
見出しは、情報の本体を適切に要約したものであることがのぞましいです。これは、分類項目をつける作業とはちがうことに注意してください。
4.情報をとりだして利用する
見出し(ラベル)を見て、あるいは見出しを通して情報の本体を想起(検索)し、利用します。
文章には好みがある。
書き手も読み手もそれはどうしようもない。
「正しい文章の書きかた」などない
正しい・文章の書き方、正しい文章・の書き方のどちらの意味においても
不特定多数を想定したときの「マス向け」における正しさ、というのはあるが、それは正しさの一つの測り方に過ぎない。
文章の役割はもっと自由で多彩だ。自分が想定している文脈が、存在しうる唯一の文脈だと思うのはやはり狭い視点だろう。
狭くて何が悪い、という反論はありうる。
実際、それだけでは(善悪の)悪とは言えない。
Bikeはモードがあることが、WorkFlowyはそれがないことが特徴になっている。
牛スジを煮込みます
たとえ完全に達成することが不可能でも、掲げられなければいけない理念がある
たとえば現実世界で「人権」が100%守られていないにしても、そういうレベルのものを「人権」と基準を落とすのは違うだろう。
どのようにしたところで、絶対に100%そうならないにしても「そこに向かって進む」という方向性を示すものがある達成にはどうしても必要になる
ある種の"現実主義"的な態度は"理想"の存在を認めないが、そのような態度は現時点で行われ、維持されてしまっている不正を糾弾することができない。
ある基準があるからこそ、良い悪いが言えるようになり、それが方向性の決定に影響を与える。
6mmの罫線と7mmの罫線はほとんど違いはないが、文字を書くと如実に違いが出てくる
夕食はどて焼き
Go to the next day:2025/3/29