井戸端について
ここ数日で、書きたいと思いながら書けていないことが数件ある。このプロジェクトに一つの記事を書くのに、僕は少なくとも1時間は費やすんだけれども、そうやって時間をかけて練った文章は、気軽にリンクしやすいScrapboxの機能も相まってか、何度も参照することが多く、しかも、自分の書いたものなのに、読むたびに学ぶことがある。ここで時間をかけて書いた記事は僕の財産だと思う。それでも書けなかったのは、僕にとって心苦しい出来事があり、Scrapboxを通じてそれを想起することが耐え難いものだからなのかもしれない。今回はその僕の行いの顛末とこの弱さ、そして目指すべき強靭さについて。
この段落に移ってさえ、まだ僕は躊躇うほどなのだが、思い切って精算する。
以下時系列順に
いや、ここまで整理して気づいたが、これ少しばかり、自分の傷になっているな。。。
今は無理に整理しようとしない方がいいのかもしれない
参考文献
いや、改めて読み直してみると、僕の発言にもどうにもおかしく見える点が複数ある。修正点として列挙しておきたい
未回答の質問が目立つ
理由は複数ある
まず美濃は複数の人間を同時に相手していて手が回らなかった
手数以上に疲弊もしていた
議論が沸騰しすぎないように回答を絞るという選択肢をとっていた
ほぼ全てに「答えたい内容」はある
「あっここですれ違ってる」というポイントがいくつもあった
しかも美濃は気づいていないことが多々ある
これは反省しかない
美濃はかなりイメージが先行する癖があるようだ
前々から恐れていたことではある…
なぜ以前の読み返しで理解しなかったかというと、まさしく、会話の内容からイメージを掻き立てられてしまうから...
イメージが掻き立てられると文面の飛躍に気づきにくくなる
指摘されていた造語のうちの一部は隠喩表現など
ダイナミックな語法を使いがち
美濃の言語は大量の個人メモの蓄積や、自分語りが許されやすい環境で主に培われてきた
語法が議論向きでない可能性
これまた心当たりがある
人一倍Twitterでの論争の経験があり、ある程度は矯正になったはずだが…