パウロ・フレイレ
ルソーが提唱した「能動的な学習者としてのこども」という概念は、基本的に「銀行型教育」の概念と同じものであるタブラ・ラーサとは道を異にしている。またデューイやホワイトヘッドのような思想家は、ただの「事実」の伝達が教育の目標であるという考え方を批判していた。 https://scrapbox.io/files/65165fa4a91bcc001ba8cc23.png
預金型教育批判
教師が主体になって一方的にしゃべりまくるので、生徒たちは、語りかけられた内容をただ機械的に記憶するだけの存在になっていく。生徒たちをたんなる容器、教師たちによって充填されるべきたんなる容れ物に変えてしまうのだ。〜こうして教育は預金行為になっていく。生徒は貯金箱で、教師は預金者。ヘーゲルの弁証法における奴隷のように疎外されている生徒は、教師が存在するのは自分たちが無知だからであると考える。だが、ヘーゲル弁証法とは違って、自分たちが教師を教育するということにはけっして気づかない。教師がすべてを知り、生徒は何も知らない。教師が語り、生徒は耳を傾ける―おとなしく。教師が行動し、生徒は教師の行動をとおして行動したという幻想を抱く。 フレイレはこのような場においては「人間は、もう人間ではありえない」とし、それを一種の暴力と見なす。そしてフレイレのなかで銀行型教育の「非人間化の暴力」は、植民地的状況における抑圧者から被抑圧者への暴力と同一視される。 抑圧者の暴力は、被抑圧者が人間として存在することを禁圧するものであり、そうである以上、この暴力に対する反撃は、人間であることへの権利を求める渇望に根差すものと言わなければならない。
生徒を非人間化する銀行型教育を抜け出して人間として在るためには、自分たちが銀行型教育によって閉じ込められていることを自覚し、批判的意識によってお互いを人間化する努力をしなければならない。
則、フレイレ思想において「銀行型教育」は、「非人間化」を共通のキーワードとして植民地支配における抑圧者-非抑圧者の構造とアナロジカルな関係にあるとされている。
本書において,「銀行型教育(educação bancãria: the banking concept of education)」による抑圧(非人間化)と 「課題提起教育(educação problematizadora: problemposing education)」 による 「解放 (libertação: liberation)」(人間化)という教育の両義性を明らかにした。「課題提起教育」は,「対話dialogo: dialogue」と「意識化conscientização」に貫かれ,識字教育実践や学校教育のカリキュラム構想として行われた。
解放を表すポルトガル語「libertação」は,自由を表すliberdadeと行動を表すaçãoの合成語」である。
カトリック教徒であるフレイレの「解放」思想は,解放の神学との関連が指摘されている通り、当時のラテンアメリカにおける搾取,疎外,抑圧が横行する社会的背景から生まれている。フレイレは,後に 「解放の神学」 の成立へと連なる社会運動 「カトリック・アクション」 に参加するほか, キリスト教思想を研究した。 その中でも,ムーニエの罪を犯す不完全な存在でありながらも,「愛」や「自由」を希求する存在としての人間像に影響を受けた。その影響は,フレイレが 「解放」を「人間化(Ser Mais: humanization)」、すなわち「より以上に人間らしく存在する」ことに向かうものであるとする主張に表れている。 フレイレは,自身が影響を受けた人物の筆頭にマルクスを挙げている。
人間と「世界」との弁証法的関係は,一方で「非人間化」としての「被抑圧者の二重性」に表れている。
しかし,キリスト教思想でも,マルクスの弁証法的唯物論でも,人間と「世界」は「未完成」であり,歴史的に未来の可能性に開かれている。ここに,フレイレの「解放」の教育思想における両者の結合点が見いだせる。すなわち,キリスト教思想にもとづく「人間化」は,マルクスの弁証法的唯物論の受容により,「非人間化」された人間と「世界」との関係における「被抑圧者の二重性」を「出発点」に,教育によって「人間化」された関係へと変革する,という「解放」の教育思想として成立するに至るのである。
以上の思想的背景において、学習者の「自己解放の闘い」として構想されたのが下記であった
意識の本質 -志向性(intentionality)-に相応する課題提起教育
「志向性」とは、フッサールの援用であり、対象物にだけではなく,何かを意識している意識そのものにも向かう意識特性である。そこから下記と述べる これはジャコトの説明から翻訳に至ることによって無能化から解放へ繋がるという対応関係そのものである。
ナラティブ・メソッド
またフレイレは、被抑圧者がまずは自らの経験を物語として語り始めることが、解放の第一歩となると考え、それを通して民衆の側にある受動的で無気力な意識を能動的意識に変化させると語った。そのために彼が用いたひとつの重要な教育方法が「物語」を用いるナラティブ・メソッドであった。物語、つまりナラティブは、人に気付きを与え、変化に対するモチベーションを提供し、さらには社会を変える力をも内包する強力なペダゴジーであると彼は考えた。
対話すること
対話とは、我-汝の関係においてなされる、世界に媒介された人間と人間の出会いである。またそれは、世界を「命名する」行為である
フレイレの思想的深化のなかで「対話」の核とされてきたのが「生成」である。生成は、教育者の働きかけによって学習者を「自己解放」の主体として立ちあげるための鍵概念である。「生成」は、識字教育における「生成語 palavra gerador/generative word」、ポスト識字教育における「生成テーマ temas gerador/generative theme」、学校教育における「生成的問い questo gerador/genetive questions」のように、形容詞的に用いられている。そこには、学習者自身が言葉を生み出す、現実への課題意識を生み出すという意味が込められている。フレイレは以下のように語る。
人間が固有に持つ「意識の志向性」に依拠して,「生成語」や「生成テーマ」によって,被抑圧者の意識を方向づけることが重要だと述べている。
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被抑圧者の意識状態を指して「現実への埋没」と呼び,その特徴を下記のように示す 文脈の挑戦の多くをとらえることができない,あるいは歪んで知覚してしまう~事実がそうである理由の真実を理解する「構造的認知」ができない
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この中でフレイレは第三世界の社会的闘争の渦中に飛び込んで、さまざまな「民衆教育」の現場に立ち会う。そうした場面の一つは、1960年代動乱期のチリで農業改革の一環として農民の識字教育に携わった経験である。チリの農村の「文化サークル」を巡回して啓蒙的な講演活動や農民たちとの対話を行なっているうちに、フレイレはどこへ行っても非識字者の農民たちの口からある共通の言葉が出ることに気づく
「申し訳ないことをしました」とかれらの一人がいった。「わたしら、しゃべりすぎまして。あなたがしゃべるのがいいのです。あなたはものを知っていなさるかただし。わしらは何も知らんのですから」。
上記の経験から下記であると彼は気づかされる。
この経験から、「知っている者」としての教師の独裁的モノローグと「知らない者」としての生徒の沈黙を前提とする「銀行型教育」への批判、さらにはそれへのアンチテーゼとしての「問題提示型教育」の提起という、『被抑圧者の教育学』の中心をなす着想を得る。預金型教育をフレイレは次のように描写する。 https://scrapbox.io/files/65168073d5bd12001b5b5bbb.png
たがいに未完成なものとして,持続的に関係しあうがゆえに,人間は人間であり,世界は歴史的・文化的な世界たりうる
人間と世界の関係こそは,教育という営みを考察するさいの,われわれの出発点をなすものである