シャトーブリアン
フォルテュナ・ストロウスキー
そうして彼はロマン主義的パスカルとなるべきものの全身像を描いた。彼はパスカルのうちに世紀病を見出したのである。
Les Pensées de Pascal(1930)
1797『諸革命についての試論』
過ぎ去った諸革命の松明を手に、私たちは未来の諸革命の闇の中に勇敢に入って行こう。仮装して姿を偽った昔の人間のことを見抜き、そして、[ポセイドンの従者、予言と変身に長けている]プロテウスに、来るべき未来の人間にかぶせられたヴェールを取らせよう。ここには、広大な視野が開かれている。ここで、僭越ながら、私は、まだ全く人の手が入っていない哲学の道に、読者を導いていけると考えている。私は読者に、人類についての発見の数々と新たな展望とをお約束する。
「社会の原初の約束(convention)について
君主政だったと考えられる原初の政府から、どうやって人類は自然の自由とは別の様相をした自由を着想するに至ったのであろうか。あるいは、原初の政体(constitution primitive)が共和政であったと言いたいのなら、人間の精神は、数世紀にわたる観察をした後で、また、どんな政府でも災禍が生じてきたのを見た後で、こうしたどれくらいの段階を経て、かくも長い間忘却の淵に追いやっていた自然の政体(constitution naturelle)を思い出したというのだろう。
Génie du christianisme
1802『キリスト教精髄』
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世紀病〔=ロマン主義的メランコリー〕の発見
大洪水のときと同じように、人々は芸術と文明の残骸を携えて山の頂に逃げ込んだ。孤独の地は、椰子の葉を身にまとい、天の怒りを鎮めるために終わりのない苦行に身を捧げる穴居人で埋め尽くされた。世俗に惑わされた不幸な人々が引きこもる修道院や、無残に裏切られる危険を冒すくらいなら、人生のある感情を無視することを好む魂たちが、あちこちに生まれた。メランコリーは情念の曖昧さによって生じるものであり、情念が目的もなく孤独な心の中で自らを消耗させるからである。
しかし「情念が目的もなく孤独な心の中で自らを消耗させる」とはどのような詩趣なのか。シャトーブリアンは、メランコリックな感情を表現するのに適したイマージュを「物音、明かり、人間、人生の不安などの不在に他ならない、夜の静寂、森の暗がり、山の孤独、墓の静けさなどのように、否定的な対象」としたが如何様に理解できるのだろうか。それはミュッセの『世紀児の告白』やセナンクールの『オーベルマン』と並んで世紀病を扱った作品として、当時から人々の注目を集めた『ルネ』に象徴的である(ルネの物語は本来本書内に記載されるはずであった文学なため以下でつぶさに紹介したい)。
まずルネは、姉アメリー(シャトーブリアンが近親相姦的な愛情を抱いていた実際の姉ジュリーの姿が仮託されている)と同様に、生来、繊細な感受性と虚無的な気分を備えていた。「アメリーと僕が誰にもましてこうした厳粛で感じやすい考え方を持っていたのは事実です。というのも、僕たち二人は、心の奥底に一抹の悲しみを持っていたからなのです。僕たちは、この悲しみを神様か母親から受けいだものと思います」。こうした特定の対象をいた悲しみは彼が長じるにつれて現世への無常感を養い、修道院と死への憧れを育んでいった。修道院と死、共にロマン主義の好んだ主題である。「おお、人里を離れた修道院に日々を送り、生の沈黙から死の沈黙へと移っていった人々よ、あなた方の墓を見ていると、僕はつくづくこの地上の生活が厭わしいものに思えてしかたがありません」。現世の嫌悪は、当然のことながらそのまま社会の嫌悪を意味する。「間もなく僕は、自分の国にいながら、外国にいた時よりももっと孤独な気持になってしまいました。世間の人々は僕に話しかけたり、僕の言葉を聞いたりしてはくれませんでしたが、僕はしばらくの間こうした世の中にとびこんでみようと思いました。それまで一度も情熱のためにすりへらされることのなかった僕の魂は、情熱を注ぎこめるような人を求めていたのです。しかし、どんなものに打ちこんでみても、ただ打ちこんでいるだけで期待したほどのものは得られないのに気がつきました。世の中の人が僕に求めていたものは、気高い言葉でも、深い感情でもなかったのです。世間の水準に合わせようと思えば、自分の生き方を難しくするようなことにばかり力を入れなければなりませんでした。僕は、どこへ行っても空想的な心の持主と思われ、自分の演じている役割が恥ずかしくなり、だんだん物事や人間がうとましくなり、場末町に身を潜めて、世間から全く無視された暮しをしたいと決心しました」。こうして現実の社会に絶望したルネは、一度は逆にこの社会に溢れる群集の中に完全に溶けこみ、自己の個性を圧殺してしまうことを願う。「はじめのうちは、この世を捨てた自由な生活にもかなりの楽しみがありました。僕は誰にも知られずに、群集というあの広大な人間の砂漠に溶けこんでいったのです!」しかし、この状態が持続するはずはない。彼は以前にもまして耐えがたい倦怠の淵へと沈んでゆかざるをえない。「だが悲しいかな!僕はひとりぼっちでした。この世にただひとりきりだったのです。(...)幼い時から感じていた人生に対する嫌悪感が、新たに力を盛り返して僕を襲ったのです。間もなく僕の心はもう思想に糧を与えるものとはならなくなり、自分が生きている証拠としては深い倦怠の気持ちがあるばかりでした」。この魂の席から逃れるためには、その原因であるこの現世、この社会そのものから離れること、すなわち自らの生命を絶つことしか残されていないのではないか。ルネもまた、ロマン主義者たちに共通のあの自殺願望に苦しめられる。「生の重荷から免れたいと覚悟を決めた僕は、自殺というこの気違いじみた行為を全く理性的にやってのけようと決心しました。急ぐ理由は少しもありませんでしたので、この世を去る時期は決めませんでした。」しかし、ルネが死の道を選ぶ前に彼を決定的な絶望へと突きおとす事件が出来する。姉アメリーがこの世を捨てて修道女になってしまったのである。この衝撃的な出来事は、死にもまして激しい苦悩が、奇妙なことに彼を倦怠から救い出し、魂に恵る種の慰めを与えてくれることを教える。それ限りない歓喜であれ耐えがたい苦悩であれ、要するに魂を激しい感情の動きで満たすものこそが、無関心と倦怠に蝕まれた世紀病患者には何よりの滋養なのである。この意味で苦悩することそのものを楽しむ、或いは自らすすんで苦悩を求めるというロマン主義者特有の心性をルネもまた共有している。「ああ、みなさん、僕はこのようにして、夢ならぬ現実の不幸のために流す涙の味を知ったのです!長い聞めあてを持っていなかった僕の情念は、はじめての餌食と言ってよいこの現実の不幸に向かって猛然と飛びかかっていきました。僕は、胸に溢れるばかりの悲しみのうちに、思いがけない満足感とも呼べるべきものさえ味わったのです。そして、秘かな喜びの気持を感じながら、僕は苦悩が快楽とは違って、汲めども尽きない感情であることを悟ったのです。」
既に指摘したように、そもそも「ルネ」という小説は『キリスト教精随』第二部第三巻「時と人間との関係の関係-感情-」 の第九章「漠然たる感情について」に続いて、その具体例として挿入されるべきはずのものであった。シャトーブリアンによれば、この漠然たる感情とは、我々の諸能力が閉じこめられることなく活発に活動していながらそのための目的や対象を欠いている時に生じるものであり、こうした感情は古代人には殆ど知られてはおらず、文明が進歩するにつれてますます増大してゆく-「文明化が進めば進むほど、情念の空漠の状態は増大する」。それは以下のようなシャトーブリアンの近代観に現れている。
想像力は豊かで、溢れるばかりで、驚くほどに発達しているのに、世界は貧しく、無味乾燥で、魅力のないものだからである。我々は、満ち追れる魂を持ちつつ、空虚な世界に住んでいる。そして、空しく時を過ごした挙句に我々は、あらゆるものに対して醒めてしまっているのである。
これに対して古代人は、この世界に倦み疲れるということはなかったという。
偉大な政治制度、体育場や練兵場での運動、議会や公共の場所への参加、こういったものが彼らの一瞬一瞬を満たし、魂に怠を覚えさせる余地など残さなかった。
このように漢然たる感情がすぐれて近代特有のものである所以は、古代と近代の分水瀬に位置するキリスト教の世界観、すなわちこの現実的世界の貶価と超越的世界の設定に求められる。
結局、ギリシア人やローマ人は、彼らの視線を生の彼方へと走らせることは殆どなかったし、この世界の喜び以上に完全な喜びがあるのではないかと疑ってみることもなく、彼らの信仰の性格上我々のように瞑想や希望へと導かれることもなかった。我々の悲惨と我々の欲求のために作られたこのキリスト教は、我々に絶えず、地上の悲嘆と天なる歓喜との二重のタブローを提供してくれる。そして、この方法によってキリスト数は、魂の中に現実の苦しみと遥かな希望の源泉を植えつけ、そこから尽きせぬ夢想が流れ出しているのである。キリスト者は、常に自らをここの谷を通り過ぎ墓の中でのみ体を休める旅人と看做している。世界は彼の誓願の対象ではない。なぜならば、人間がこの世にあるのはほんのわずかであり、こんな対象はたちどころに彼の許を去ってしまうであろうことを、彼は承知しているからである。
しかしながら、世界そのものがキリスト教的色彩に彩られていた時代は遠く去り、すべてが世俗的な価値によって測られる時代を迎えてはじめて、本来のキリスト教の本質をなしていたはずの漠然たる感情は、より失鋭な姿をもって人々の前に現れ、時代に反抗するその持ち主は一層充実の目で見られることになろう。ここにロマン主義者特有の世紀病が生まれてくるのである。
まとめると、文明化に連れて我々はあまねく領域にて豊かさを享受したが、それは同時に、-キリスト的現世貶価に下支えられた-空虚で無味乾燥な現世での目的消失を意味した。そうして往き場がない情念は、耐えがたい倦怠へと終着する。こうした実存的不安こそ、シャトーブリアンが「情念の空漠性」と呼び、コンスタンが「今世紀の主要な精神的な病のひとつ」と呼ぶロマン主義の「メランコリー」、即ち世紀病である。そしてそれはキリスト的な来世夢想、救済の希望を抱いた者達においては強烈な絶望として現れたのである。
人々がゴシック教会に足を踏み入れて、一種の慄き、そして神のたる感情を感じないことなどはありえなかった。
このような人間学は、彼が18世紀の子として引き継いだ、廃墟への好みに大いに好都合だ。原罪以後の人間の偉大と悲惨というパスカル的なモチーフを、彼は次のようにして廃墟のイメージによって形象化する。
彼は崩壊して、その瓦礫をもって手建された一つの宮殿である。そこには崇高な部分とおぞましい部分を、どこにも続かない壮麗な回廊を、高い柱廊と崩れ落ちた天蓋を、強い光と深い闇とを見て取ることができる。ひとことで言えば、いたるところでの混乱と無秩序、とりわけ聖域において。
パスカル的人間学
ストロウスキー曰く「パスカルのうちに世紀病を見出した」シャトーブリアンは、その人間観において「神なき人間の悲惨」を色濃く継承する。それはヘブライ語由来の「人間」という語の称揚に現れている。
人間という普通名詞がヘブライ語では熱または苦痛を意味するのは、きわめて途方もなく、同時にまた非常に哲学的なことではないただろうか?エノッシュ、人間とは、アナッシュ、すなわち危険な病に罹っているという意味の動詞を語源としている。神はこの名を、我々の最初の父に与えはしなかった。彼は単にアダム、すなわち赤土または泥土と呼ばれたのである。アダムの子孫がエノッシュの名を受け取ったのは原罪以後のことにすぎないのだが、この名は彼らの悲惨に完全に適ったものであり、またきわめて雄弁に罪と罰とを想起させる。
ヴォルテールは『パンセ』の悲観的な世界観を批判し、社会的有用性としての道徳に関心を示さないばかりでなく、世界全体を苦しみの相の下で捉えようとする病人として、パスカルを非難していた。それに対し、シャトーブリアンはパスカルを、健康な人物として捉え返すのではない。むしろ病人だからこそ評価するのである。原罪以後の人間を本質的に病んだ存在と見なす『キリスト教精髄』において、パスカルはそのような病人の英雄としての地位を与えられている。
無垢なるアダムであれば魅惑の道を通ってそこへと至ったことだろう。しかし罪人アダムは、断崖をよじ登ってしかたどり着けない。原初の父の過失以来、自然は変わってしまったのだ。
近代批判
万物が安住していた調和的状態から人間のみが追放されるという間を受けねばならなかったそもそも原因は、何だったのか。それは、人間が知恵の木の実を食べた結果、知性のみを伸長させるという罪を犯したからである。即ち、近代啓蒙の失敗はアダムに通ずる。
人間の原始的状態が、他の存在物においてもそのように確立されているのと同様に、調和のうちに存しているとすれば、自然が調和している状態を破するためには分銅を動かすだけで十分である。愛を感じる部分と思考する部分とは表々の内部で精妙な均衛を保っていた。アダムは、最も啓発された人間であると同時に最も善良な人間でもあり、思考においても愛においても最も力強い存在であった。しかし、一度生み出されたものはすべて、必然的に前進を開始する。新しい感情を伴なってのみ受け容れられたであろろ新しい知識の時代を告げる革命を待つことかできずに、アダムはいっぺんにすべてを知ろうとした。これから指摘する点が肝要である。つまり人間は、過度に愛することを欲するか、或いは過度に知ることを欲するという二つのやり方で、彼の置かれていた調和的状態を破滅することができたのだ。彼が犯したのは第二の罪のみである。その結果、我々は愛よりも知恵の方をはるかに誇りとするようになった。(...)アダムは宇宙を感情によってではなく、思考によって理解しようとし、知恵の木に触れることによって、知性の中に理性という力強い光がさすこんでくるのを認めた。その瞬間、均衡は破られ、混乱が人間のうちにしのびこむ。約束された明るい光ではなく、厚い闇が彼の視界をおおう。彼の罪が、彼と宇宙の間にヴェールのように拡がる。彼の魂は混乱に陥り、波だつ。激情が判断力に闘いを挑み、判断力は激情を一掃しようとする。そして、この凄まじい嵐の中で死の暗礁が、難破した最初の犠牲者を前にして歓喜の叫びをあげたのだ。
1848~50『墓の彼方の回想』
私は憂感を抱えているが、それは肉体的悲しみ、真の病である。