〈わたし〉 はどこにあるのか: ガザニガ脳科学講義
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人間の認知はかなり雑、ということが実験結果からわかる 自分が取った行動の理由を自分自身が正確に把握してなくても、何かしらの理由をでっち上げる
脳は大規模化に伴ってモジュール化された → ソフトウェアも同様だなー 各モジュールがそれぞれの専門領域について自動的に動く
意識をつかさどっていると思われるモジュールも左半球にあるっぽい
ヒトには生まれた時から社会性が備わっている (見返りを求めずに他者を助ける) が、成長に伴って自己の利益を考えるようになる 内容メモや感想
1 章 私たちのありよう
私たちは、自分がひとつのまとまった意識体として主体的に行動しており、ほぼすべてのことを自由に選択できると感じている。 しかし同時に、私たちは装置でもある。 もちろん人工的な装置ではなく生物学的な装置だが、いずれにしても宇宙を支配する物理法則の対象になる。 自由意志を信じなかったアインシュタインが言ったように、どちらの装置もすべてが定まっているのか、それとも選択の自由があるのだろうか? 『人間とは何か』 でも 『人間というものは単なる機械にしかすぎず、それ以上の何ものでもない』 って話があったなー。 神経接続についての現在のとらえかた (生まれも育ちも大切) 神経接続のパターンは基本的に遺伝子の制御下にある (脳の全体的な見取り図は遺伝子が描いている) 環境や訓練といった外部刺激もまた、神経細胞の成長や接続に影響をおよぼす (局所レベルでの個々の接続は実際の活動、つまり後天的な要因や経験に左右される) 「固定配線 (ハードワイアード)」 理論
脳のネットワークの経路や接続は化学的あるいは生理化学的な暗号によって決まっている。
霊長類の階段をのぼってヒトに到達するとき、単純に新しい技能が加わったというのが従来の仮説だったが、実は脳全体の再編成が行われた ダーウィンの 「ヒトと他の高等動物の隔たりは大きくともあくまで程度の差であって種類の違いではない」 というようなビッグブレイン説は否定された 大型の脳は接続の数を減らして、その分専門化したネットワークを増やす必要がある
ソフトウェアのモジュール化と一緒やな
ラットの脳 (小さな脳) では専門化された回路は形成されない → 過去の研究でラットやアカゲザルなどの脳を対象にした研究の結果をヒトに適用するには根拠が弱い
脳の同じ部位でも、種によって働きが異なる (チンパンジーとアカゲザルの前交連は視覚情報をやり取りするが、ヒトのそれは嗅覚および聴覚情報をやり取りする) 2 章 脳は並列分散処理
脳の機能局在は想像以上に細分化されている
側頭葉を損傷した人は、人工物の区別ができるのに動物が見分けられない、とか、その逆とか 側頭葉の特定の部位を損傷すると、トースターを認識できなくなったり、果物を認識できなくなったり 脳には生物・無生物という区分けのモジュールが存在していて、それぞれに独自の神経メカニズムが働いていると考えられる
脳の左右の半球を分離した分離脳患者を対象にした研究 脳幹という共通部分があるので完全に分断されるわけではない 視覚や触覚、固有受容性感覚、聴覚、嗅覚について、片方の半球が受けた情報はその半球だけで処理される
左半球 (右目) だけに物を見せて、その物と同じものを右手に選ばせる、という実験 → 選ぶことはできるのに患者は 「何も見えなかった」 と言う
脳の進化の目的は正しい判断を下して生殖の成功率を高めること 脳は汎用コンピュータではなく配線された無数の専用回路の集まり
モジュール同士は階層構造にはなっておらず、協調的に動く
3 章 インタープリター・モジュール
脳の活動の大部分は意識的な自覚や制御からはずれたところで行われている
多くのモジュールは刺激が入ってくれば自動的に仕事をする。 それが意識的に自覚されないことも多い
多くのモジュールが無意識的に自動的に動いているのに、自分の脳の動きに統一感をもてるのはなぜなのか?
分離脳患者の右目と左目に別々の絵を見せて、それに関連する絵を右手と左手で選んでもらい、なぜその絵を選んだのかを聞く実験
右手で選んだものについては右目で見えたものの関連を答えるが、左手で選んだものについては状況と矛盾しない後付けの答えをこしらえる → 左半球でこのプロセスが行われる。 これを 「インタープリター (解釈装置)」 と名付けた
右半球と左半球の世界のとらえ方の違い
蓋然性予想実験 : 上と下のどちらかが光る装置で、どちらが光るか予想する。 装置は上の方が光る頻度が多くなっている ヒト以外の動物は過去に最も多く起こった方を選ぶ。 「マキシマイザー」。 ヒトも 4 歳未満は他の動物と同じ 4 歳を過ぎた人は 頻度整合 という戦略を導入して、確率を予想にからめるようになる → が、これだとはずれが増える 分離脳患者の右半球はマキシマイザーの戦略をとる。 左半球は頻度整合に走った
左半球はシステムを解明しようとする。 構造性の仮説を立てずにはいられない
不利に働く状況でもつい顔を出してしまうぐらいこの衝動は強力
右半球はものごとを額面通りに受け取り、正確に記憶する
左半球はよく似たものを混同しやすいし、できごとでもでっちあげをやってのける
情動の領域にも手を出して、気分の変化を説明しようとする
少ないわかっていることからストーリーを作り上げる。 事実とは違う解釈をすることもある
右脳には視覚インタープリター・モジュールが入っているかもしれない
インタープリター・モジュールは入力された情報以上のことはできない
逆に誤った情報を入力してインタープリター・モジュールを乗っ取ったりもできる
「人をむやみと疑ったり、偏見の目で見たりしてはいけない」 という解釈を繰り返していると、インタープリターが警戒信号を見逃したりもする これ自分にありがちな気がする nobuoka.icon
左半球があらゆる入力情報から状況を大まかにつかんで、そこからパターンを見出してつじつまの合う解釈にまとめる
右頭頂葉には異常検知器のようなシステムがあり、食い違いが著しくなると騒ぎだす。 (左半球が奇想天外なストーリーを作っても、ここが食い止める) 右頭頂葉を損傷した人は極端で突拍子もないストーリーを語りがち
4 章 自由意志という概念を捨てる
インタープリターにより、我々は自己という幻影をこしらえ、自己という動作主体が自分の行動を 「自由に」 決定できると感じている
知性が発達し、ものごとの関係を見抜く能力が磨かれ、やがて人生の意味を考えるようになる 決定論的な文章を読むと攻撃的な傾向が強まり、他者への親切心が薄れるという実験結果 「人間には自由意志がある」 と考えることが、自分勝手な行動に走ろうとする自動的な衝動を抑えるのかも 脳の多数のモジュールと外からの文脈の影響力という相互に作用する複雑な環境によって選択された創発的な精神状態の結果として一連の行動が形作られる。 それを我々のインタープリターが 「自由意志で選択した」 と結論付ける 5 章 ソーシャルマインド
1 年 2 ヵ月の赤ん坊も利他的な行動をする。 非血縁者への利他的行動という進化的にまれな要素 12 ヵ月の赤ん坊が他人を助ける情報提供をする (探し物を指さして教える) とかも。 これはチンパンジーにはないらしい
3 歳を過ぎたころから生来の利他的行動を抑制することを覚える 手助けする相手を選別するようになる。 過去に助けてくれた人とか。 互恵的利他主義の特徴 (このような行動はチンパンジーにもみられるらしい) ヒトの社会的プロセスの進化を 2 段階で考える
進化心理学が念を押すのは、初期の祖先は人口が極端に少ない環境で生きていたこと 初期は捕食動物から身を守り、狩りで協力するために小さな集団を形成する → 社会性の芽生え
人口密度の上昇で第 2 段階。 どんどん人が増えていく社会を管理するため
150 から 200 人というのが組織を階層化しなくても制御できるぎりぎりの数というのが研究で確認されている
この数の制限は、社会的関係を築くために必要な認知能力のうち 「複数の人間関係の情報を一元的に処理する」 という能力の制約ではないかと考えられている
ボールドウィン効果 : 生物体が環境の変化に合わせて行動を柔軟に適応できる能力の進化を説明できるメカニズム 行動上の複雑な特徴が社会的に学習されるみたいな感じ
特徴 P を学習することが有利な環境では特徴 P を学習しやすい遺伝子が残りやすいような淘汰圧がある → 遺伝的同化
遺伝子的に特徴 P を学習しやすくても、そもそも環境に P が存在しなければ学べない → ニッチ構築
チンパンジーはあまり協力しないが、ヒトは協力する
ヒトが大規模な社会集団で必要な協力レベルを実現するために、攻撃性と競争心をやわらげる必要があった
→ 他者への攻撃性や横暴な態度が行き過ぎたものは集団から追放されるか、殺されるか
最近のソフトウェア開発業界の動きもこんな感じっぽい気がする (昔は人間的にやりづらくても技術力が高かったら許容されてたけど、最近は許容されなくなってきた) nobuoka.icon
ヒトは、自分を自分で飼いならす過程を経ていった
観察と行動模倣がニューロンでつながっている
ヒトにおいては、情動理解にもミラーニューロンが使われているっぽい
相手がこちらを模倣しているのを見ると相手に好感を持つ。 社会相互作用の潤滑油となる
競争が発生する場合などは状況が変わる
関係性によって模倣反応が変わったり、情動反応の種類によって模倣されたりされなかったりすることが実験でわかっている
幸せな表情は常に模倣されるが、否定的な表情は模倣される人物による
模倣は相手との親密度を上げるが、必ずしもそれが利益になるとは限らない
幸福感は観察者にとってコストが低いので常に模倣が起こる 否定的な表情は、こちらが手助けしなければならなかったり脅威の危機があったりして、コストがかかる可能性がある
幸福感は低コストだけど否定的な表情だとコストがかかりうると思うという話めっちゃ興味深いな nobuoka.icon 腹側内側前頭前皮質 (VMPC; 正常な情動を生み出すのに不可欠) に損傷を持つ患者 (推論能力もあるし道徳的規範を宣言的知識として持ってはいるが、情動的な反応と情動の調節に問題がある) だと? → トロッコ問題の後者のようなパターンにおいても実利的な答えを出した 5 つ
他者を傷つけず、困っていれば助けの手を差しのべる
公正、正義、他者を平等に扱う
伝統や正当な権威者を敬う
所属集団、家族、国に忠誠を示す
清潔を尊び、汚染と肉欲を遠ざける
狩猟、採集の生活のときに進化したもので、直感的な道徳判断もここから生まれる
所属集団などに忠誠を示すとか、肉欲を遠ざけるとか、ほんまかいな、って気もする nobuoka.icon
誤信念課題で誤信念を持つ人の行動を予測するときに右半球の特定の領域が活発になる 分離脳患者は右半球の信念に関する判断と左半球の論理的思考を統合できないのか? → A さんが B さんを殺すつもりでコーヒーに毒 (だと A さんが思っているもの) を入れるが、実は毒ではなかった場合、A さんの信念 (意図) をもとに判断すると A さんの行為は許されないが、分離脳患者は信念による判断はせず結果だけを見て A さんを許せると判断した
公正さに関わる難しい判断も道徳に関連する
最後通牒ゲームでは、ある程度公正な配分だと納得できる例でないと分配される側が了承しない → 通常この領域は自己利益を抑制して意思決定プロセスに利己的な欲求が入らないようにしているぽい
これって道徳の話なんだろうか? nobuoka.icon 他の研究で、この領域を子どものころに損傷した成人に道徳的課題について答えてもらったところ、他者の立場に立つことができず、自己中心的な態度が出たとのころ。 大人になってからこの領域を損傷した人はうまく折り合いをつけられていたらしい
道徳のネットワークと体系はすべての人に共通だから、同じような問題にはみんな同じ反応を示す傾向がある。 違うのはその理由付けと、異なる道徳体系への価値の置き方だろう
6 章 私たちが法律だ
この 2, 3 百年ほどの研究で、人間自身やその行動、動機のとらえ方が大きく変わってきている
社会の枠組みも再構築した方が良いのでは? という話 (司法制度に関わる部分とか) 行動、認知態度、それらの根底にある生理機能までもが、文化に影響し、影響されうる → ニッチ構築モデルの重要性
さらに言うと、法体系や道徳規則が、社会環境をどう形作り、影響をおよぼすか? どんな行動が選別されるか? 生存と生殖に適すると判断される人間はどのようなものか? 仮想的に懲罰を与えるゲームで、最初に決定論について書かれた文章を読んだ被験者はそうでない被験者より軽い罰しか与えなかった : 脳の働きは私たちの在り方や行動にこれほど影響を与える 意図を履行するかどうか?
背側正中皮質の活動の個人差が抑制活動の頻度と相関関係にある (自己抑制できる / できないという本人の傾向がこれに由来) 「人間とは何か」 で老人が言っていた鍛錬というのはこういうところな気がする nobuoka.icon 法廷での先入観
白人種バイアス : 自分と同じ人種の顔は他人種の顔より正しく認識できる 証人が人を取り違えて犯人扱いしてしまうとか
戦争時に敵を非人間化するのもこれ
正義の方向性
実利的正義 : 処罰することで社会により良い未来をもたらすことを目的にする 修復的正義 : 犯罪を国家ではなく個人に対する行為だとみなす。犯罪者はできる限り犯行以前の状態に戻すことを努力し、被害者は被害者への支援を求め、犯罪者がコミュニティに復帰できる機会を提供する 懲罰に対する信念と実際の行動はかけ離れている
人々は、懲罰を能力剥奪と抑止の目的で行うべき (実利的正義) と思いつつ、実際には犯罪の深刻さに応じた量刑を求める
7 章 あとがきにかえて
人間は一種の装置であり、物理的に定められた宇宙の力に自動的かつ無自覚に奉仕しているだけである (人間とはただの機械である) という言説
本書では別の解を示そうとした : 人生で得られる経験は精神を変調させる。 脳に制約をかけるだけではなく、脳と精神の相互作用が 「いま」 という現実を生み出していることを教えてくれる
現象レベルで人生の素晴らしさを称えるのと何が違うのかいまいちわからん nobuoka.icon