人生の意味
人生に意味はあるのか――この問いは哲学の内外で提起されうる。 この問いは複数の解釈をもつ (私の人生について語っているのか、人間一般の生について語っているのか、など)。 また、ここでの 「意味」 の意味も問題になる。 とはいえ本稿ではこうした解釈問題を避け、必要な点を約定するにとどめる。 本稿は 「創造性 (creativity)」 としての人生の意味へ焦点を絞る。 私たちは決められたレールにのる人生をしばしば無意味と見なす。 あるいは、ルーティン化された作業だけを繰り返す生活を無意味と感じるときがある。 なぜか。 その理由は重要な意味の新しさがこうした生に欠けていることである。 少なからぬひとは、それまでになかった何かを新たに生み出した人生こそを、有意味な生と考える (とりわけ学者や芸術家にこのタイプのひとがいる)。
なぜ創造性はときに人生の意味の条件となるのか。 この点は明快な説明が難しい。 おそらく 《自分の人生が 「無」 であることを避けるために、人生を通じて世界の存在全体へ何かを付け加えたりそれに変化を与えたりしたい》 という欲求が関連していると思われる。 もちろん 「意味」 には他の意味もある。 とはいえ少なくとも創造性という意味での 「人生の意味」 が語られうることは確かである。 そして――すぐ後で見るように――宿命論が矛先を向ける人生の意味は、この意味のそれである。 自分は 「人生において何かしらを成して世界に影響を与えたとしても、世界の存在自体に意味がないのなら意味がない」 みたいな考え方をしていたので、「宿命論においては創造性を発揮しえないから意味がない」 みたいな視点は新鮮だった nobuoka.icon