宿命論
「宿命 (fate)」 および 「宿命論 (fatalism)」 に関する議論はかなり古くから存在する。 他方で、この問題に関心のあるひとは知っているように、現代の英語圏の哲学でも、刷新された仕方で宿命論が論じられている。 宿命論は最も抽象的には 《生じることはすべて必然的に生じる》 というテーゼで特徴づけられるが、その論拠と含意に従っていくつかのタイプが区別される。 例えば、論拠を基準にして、しばしば三つのタイプが分けられる。 「論理的宿命論 (logical fatalism)」 は、論理的な前提のみにもとづいて、宿命論のテーゼを主張する。 この場合、テーゼにおける 「必然的に」 は論理的必然性と解釈される。 「形而上学的宿命論 (metaphysical fatalism)」 は、世界に関する形而上学的な前提 (および論理法則) にもとづいて、宿命論のテーゼを主張する。 例えば、私たちの世界では充足理由律が成立するという前提にもとづき、一切の必然性を主張する立場がこれである。 「神学的宿命論 (theological fatalism)」 は、神の諸属性・諸特性にもとづいて、宿命論のテーゼを主張する。 例えば、《神が一切をあらかじめ知っていること》 や 《神が恣意的でない仕方で世界を創造したこと》 にもとづき、一切の (ある意味の) 必然性を主張する立場がこれである。