もっと言ってはいけない
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差別とは合理的に説明できないこと
2015 年 1 月の 「シャルリー・エブド」 編集部がイスラーム過激派の武装集団に襲撃された事件
これを受けて、日本の自称 「リベラル」 は 「テロは否定するが、ひとが嫌がるようなことをする表現の自由はない」 と述べた
→ 情緒的な理解であって、世界標準のリベラリズムとはかけ離れている
相手が不快に思うかどうかだと、「私は傷ついた」 といえばどのような言論も封殺できる
世界標準のリベラルの原則 : 差別的な言論は表現の自由を制限されてもやむをえないが、その基準はアカウンタビリティ (証拠によって合理的に説明できること) で判断する
「ゲイ遺伝子」 の発見
教育への投資効果は年率 10 %?
「知能に対する遺伝の影響は成長とともに高まり、幼児教育の効果は思春期になるとほぼ消失する」という発達行動遺伝学の知見
安藤 寿康 『遺伝と環境の心理学 人間行動遺伝学入門』 培風館
「教育を無償化すればみんなが幸福になれる」 という通説の背後には、「教育は無条件によきもの」 という信念がある。 私はこれを疑わしいと思っているが、それはとりあえず本題ではない。
単独親権の制度を共同親権に変え、離婚後の父親にも親としての権利を認める一方で、養育費の強制徴収など支払い義務を徹底させた方が効果は高そうだ (日本では離婚後の親権を母親がもつことがほとんどだが、夫婦関係の有無にかかわらず親であることは変わらないのだから、先進国では共同親権が主流になっている)
もしあなたが、広い意味の東アジア人なら、同じ流儀で、あなたの家系図のどこかの頂点にチンギスカンが座っていることはほとんど確実で、実際にそう主張する人も多い
この説明も科学的にまちがってはいないが、ここから 「秋田犬とブルドッグの性格のちがいを語ることに意味がない」 とか、「犬種を論じるのはイヌ差別だ」 といわれたら困惑するだけだろう。 人種のちがいを否定するために遺伝的多様性をもちだすのはこれとまったく同じ論法で、科学ではなく政治的イデオロギーなのだ。
人類も、過去に水生生活をしていたのではないか。
アクア説っていうらしい
進化を 「遺伝的な偏り (遺伝子頻度の変動)」 とするならば、それが生じる原因は突然変異だけではない。 それ以外に、主要なものとして移住、遺伝的浮動、自然選択、社会選択があり、近年ではエピジェネティクス (遺伝子発現の後天的変化) に注目が集まっている。
数千年でヨーロッパや西アジアでチーズなどが食卓に供されるようになったが、日本など東アジア圏では牧畜が一般的ではなかったため、いまだに乳糖不耐性のタイプがかなりいて、牛乳を飲むとおなかをこわしやすく、チーズはソフトタイプよりハードタイプを好む。
現代の遺伝学は、「人種」 のちがいに意味がないことを明らかにした。 だが 「大陸系統」 には、集団遺伝学的にみて明らかな偏りがある。
ヒトの進化が 「加速」 しているのは、遺伝と文化 (社会) が共進化するからだ。 文化によって社会環境が変わると、それに適応した遺伝子が選択され、その効果はポリジェニックに増幅される。数千年どころか数百年あれば、これだけで他の集団とは異なる遺伝的傾向をもつグループが生まれる可能性がある。
ヒトと社会の共進化
より少ない人手で米をつくると失業者が溢れて村の秩序が崩壊するからだ。 それを避けるために日本では、農地を家ごとに細かく分割し、土地の所有権を絶対化して大規模農家が生まれないようにしたうえで、村人全員が日々 〝勤勉に〟 農作業に従事することで食糧の増産を図った。 システム化 (工業化) によって生産力を増大させる産業革命 Industrial Revolution に対して、日本では豊富な人口を活用した労働集約型の勤勉革命 Industrious Revolution が起きたのだ。  
ネオテニー仮説
東アジア系は知能は高いが不安感が強く、目先の利益よりも将来のことを心配
日本人の不幸は、遺伝的にストレスに弱いにもかかわらず、文化的に高ストレスの環境をつくってしまうことにある。
人類の第一の 「革命」 は石器の発明で、「誰もが誰もを殺せる社会」 で生き延びるために自己家畜化が始まった。 第二の 「革命」 は農耕の開始で、ムラ社会に適応できない遺伝子が淘汰されてさらに自己家畜化が進んだ。 第三の 「革命」 が科学とテクノロジーだが、ヒトの遺伝子は、わずか 10 世代程度では知識社会化がもたらす巨大な変化にとうてい適応できない。 ここに、現代社会が抱える問題が集約されているのだろう。