2022まとめ(ない)
こんばんは。なつれです。Naa_tsure.icon
年末ということで、なんかかっこいい2022まとめでも書いていい感じに締めたい――――――
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といってもまとめるという行為、実はあんまり好きじゃないんだよね。
もちろんに他人に自分の考えていることを短時間で伝えるためには、まとめるという行為は必須とも言えるわけだけど。
このまとめられた内容というのは多大な省略の上で成立しているわけで、その省略された行間を他人の知識で補ったらそりゃー別物になるよね。
その点、対談形式ってけっこう良いと思う。
もちろん聞き手の興味にそれがちという問題点はあるんだけど、行間の解釈に困りそうなところで聞き手が突っ込みを入れてくれるのはかなり助かる。
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浅い感想しか出てこないのが恥ずかしくて当時は感想を書かなかったんだけど、浅くても後から見返した時に新しい発見につながるかもしれないから残しておけば良かったな。
本編の話をすると、心というのは、本当は観測者側の問題なんじゃないの?って話は印象的だった。
なんだろう、例えば
彼には人としての心がまるでない。(とある殺人事件のヤフコメから引用:Yahooニュース)
このあたりを見てると、やはり人には心があるのが世間のデフォって感じがする。
他の物だと、
ご主人様もっとかまってにゃあ♡(ペット動画の字幕から引用:TikTok)
ここまでくると観測者(視聴者)が勝手に”心”というものを見出している感じがする。
下に関してはアニメだし。
https://youtu.be/1-o7fmQqSNg
まあちょうど今季やってたのでエンドピーク効果的なものが働いてるのかもしれないけど。
全体を通してみると、本当はすごい能力を隠し持ってる主人公がとある事情によって本領を発揮できないとかいうありがちな設定なんだけど、細かいアニメ表現にとにかく愛が詰まってる。MADの数とその作りこみがそれを物語っている。 原作は個人的にあんまりおもしろくはなかったけど、比較してみるとアニメ制作がいかにすごいことをやっていることがわかるはず。
まあ、そもそもきらら作品に面白さを求めるのは間違ってるのかもしれないけどね。 ちなみに原作はKindle Unlimitedで無料で読めます。サブスクしてる時点で無料じゃないけど。
サブスクといえば、最近niconicoがプレミアム会員無料キャンペーンを推してくるんですよね。
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一か月プレミアム会員になれるのがありがたいのは間違いないんだけど、そもそもniconicoのプレミアム会員って他の動画サイトなら一般会員が当たり前にできる内容だったりするんですよね。
プレミア特典として動画サイト界隈の平均レベルを超えるサービスを提供するのではなく、一般会員の機能を動画サイト界隈の平均以下に設定することでプレミア会員を誘おうとしているのが本当に嫌い。
例えば、niconicoの一般会員は360pまでしか画質がでないし、生放送も一枠で30分しかできない。
にもかかわらず、niconicoはルーキー配信者にとって理想な環境を提供しているつもりなんだとか…。
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配信を始めた直接的なきっかけはないんだけど、ニコ生のアクティブユーザーが3ぐらいの生配信が影響していると思う。
今や配信者勢いランキングを見れば一人で1万人の視聴者を集める配信者がごまんといるとかいうインフレを起こしている。 実際、僕もそういった多くの視聴者を抱える配信は好きだし、Twitch Recapによれば今年だけで1,220時間は見ているらしい。
これは一日平均3時間強見ている計算になるのでよほどの暇人であることが見て取れる。
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ただ、僕の理想像……というほど大げさな話ではないけど、こうありたいなあという配信はニコ生のいわゆる過疎だけど繕っていない配信。
エンターテイメントに特化した作られた物ではなく、現実の延長としての過度に修飾されていない配信でありたい。
まあそれが見る側にとって面白いのかと言われるとかなり微妙な気がするけど、僕は視聴者としていろんな配信を見てきて、配信は配信者が楽しんでこそ成立するものだと感じている。
それとアクティブが3ぐらいの配信の何がいいかというと、視聴者をそれぞれ別の自我を持った人間と認識できるから。
変な表現だけど、人数が多い配信になると自分は文字というか単なる統計量なのかという気分になる。
でも、視聴者が0人だとなんで配信してるんだろ?という気持ちにはなるNaa_tsure.icon
配信の話が出たことだし、Vtuberの話でもしようかな。
Vtuberはもうオワコンと言われてはや数年、未だに多くのVtuberがデビューしている。
試しにTwitterで#Vtuber準備中みたいなタグで調べてみればわかるが、本当に途方もない数のVtuberがヒットする。 ロールプレイがあーだこーだとか、現実の話があーだこーだみたいな話は前に書いた通りなんだけど、ここでは最近のVtuber(くそでか主語)がリアルじゃない問題について書いてみたい。
Vtuberにバーチャルな存在であることを求めているわりに、リアルじゃないってお前はいったい何を書いてるんだ?って感じだけども。
これはバーチャル学会2022で聞いた話なんだけど、バーチャルな世界でもリアリティは存在しうるという考え方があるらしい。 (左下のパネルが一番わかりやすいかも。)
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なんというか周りを気にしすぎというかマーケットインの敗北というか。
配信者なんて自分が好きなように振舞ってなんぼだし、なんならVtuberであれば人間以外の生物にだってなれるというのに、なんでそこでニーズ?に合わせてしまうのか。
しかも個人勢でマーケットインって、もはやなんのために配信をしているのか疑問に思ってしまう。
これは勝手な推測なんだけど、なんだか背景に数字至上主義を感じちゃう。
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この本「天然知能」は人間の考え方が人工知能みたいになってるのやばくね?って話が書いてある。とんでもない意訳だけど。 人工知能的な考え方というのは、まず目標を具体的に数値等で設定して、その目標を達成するのに必要とされる情報のみを収集して最短ルートで解決を目指すという考え方。
意識高い系の実業家がnoteで有料販売してそう
もちろん短期で目標を達成する際には有用ではあるとは思うけど、その考え方で生きるのって本当に楽しい???????Naa_tsure.icon
ここで出てくるのが天然知能的な考え方。
細かい話を説明するのはかなり難しいので頑張って本編を読んでほしいんだけど、一番大事なのは世界の外部の存在を認めるというところ。
普通に考えると、世界というのはセンサーで知覚されいるもの、つまり目で見えていたり、耳で聞こえたりするものを指すけど、厳密にはこれは世界そのものではないよね。
たとえば、人間には紫外線や赤外線は知覚出来ないけどこの世界に存在している。
紫外線は知識として知っているからみんなが存在を認めているけど、これが知識として知らないものであったとしても存在を認める態度が天然知能。(多分)
これは個人的な解釈だけど、ある種妄想力と言ってもいいのかもしれない。
本編にも自然知能は問題や謎として知覚されたものだけに興奮し、人工知能は知覚できたデータだけを問題にするのに対し、「見えないものに興奮するのは、天然知能だけの特権」といった内容が書かれている。(天然知能の書評より引用) 最近は実学主義なるものが持ち上げられているけど、みんなが役に立つ(ことが既に知られている)ものだけを学ぶというのは返って全体のレベルを下げると思う。
役に立つかどうかもよくわからないものは、役に立たないものではなく、まだ他の物との結びつきが開拓されてないだけな可能性が十分にあるわけだから、そういうものに触れてこそ新たな発見が生まれるんじゃないかな?
幸せにはこういう態度が大事なのかなーと思ってBioに天然知能という単語を残してる。
数字至上主義はここでいうところの人工知能的な考えで、なんだか非人間的な生き方をしてるなあと。
幸せの話と言えば、今年は”何者”という話題がよく出ていた気がする。
何者かになっている人と何者でもない人。
僕がよくあったのは特にVR界隈でのお話。
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ちょっと話がずれるけど、このイベントについてもう少しだけ語らせて。Naa_tsure.icon このイベントの何が良いってとにかく体験を意識して設計されていること。(まさにVRにおけるリアリティ)
例えば、このイベントではVRという一瞬でワープできる媒体を用いているのに、わざわざ新宿ハチ公前に集合して空港へみんなで移動し、そこから飛行機に乗って空の上で自己紹介だったり、今後の旅程の話をしたりする。
飛行機はちゃんと離陸から着陸までやる。こういった一見面倒に思えるけれど現実だと必ず通るイベントをしっかりとなぞることで、終わった時の旅行してきたぞーー!という満足感が本当にすごい。(語彙がこい)
ワールドも迷子になるレベルで広いので、誰かが迷子になった際にはガイドさんが徒歩で探しに行ったりする。
VRを一年やってみた中でトップクラスの良イベントだった!
さて、本編に戻るとこのワールド、例えばこのレーゲンスブルク大聖堂もこれをVR空間に作った製作者様がいる。
VR界隈の何者というのは、簡単に言うとVR空間で創作をしている人としていない人。
多いのはワールドやアバターの作成、イベントの主催などもこれにあたると思う。
これの何がすごい?かというと、
現実空間での肩書がフラットになることが強みであるVR空間で新たに格付けが始まってしまうからだ。
最近英語の勉強のために海外のYoutubeの動画ばかり見ているが、よく日本人のことを争いを避けて温和な環境を好む人々と紹介しているのを目にする。
これは間違ってはいないが、実際の日本人(くそでか主語)は格付けするのが大好きだ。
TVは毎日のようにあらゆるものをランキング付けするし、タワマンの階層でマウントを取り合うし、彼氏の学歴でポケモンバトルをするような人種である。
そのような性質を持つ人間はフラットな環境に入っても結局、何かしらで格付けを始めてしまう。
そんなところがVRChatの日本人コミュニティの苦手な部分。
これ関連でいうと、最近(2022/12/31)左ききのエレンという漫画を読んだ。 キャッチコピーは「天才になれなかった全ての人へ」
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天才ではない主人公:光一と絵の才能に恵まれたエレンが互いに影響しあいながら、それぞれの生き方を模索していくお話。
主人公には何か突出した才能はないけれど、普通の幸せを享受できる能力は備わっている。しかし、普通ではない何者に強くあこがれている。
一方でエレンは絵描きの才能に恵まれているが、普通の生き方が出来ないことに苦しむ。
ないものは欲しくなるし、隣の芝生が青く見えるのは世の常だなと。
でも世の中は本編でいうところの何者でもない替えの効くモブによって廻っているからなぁとも思う。
替えの効かない何者といってわかりやすいのは、芸術家とか創業者とかだと思うけど、僕は科学者もこれにあたると思っている。
世界でまだ誰一人として発見していないものを開拓する職業。
例えば生物系ならキリンの人とかアリの人とかそういった二つ名(何者の称号)がつくイメージ。
人生をかけて自分の疑問に取り組むわけだけど、別に何者になることは目的でも何でもない。
逆に疑問が解決したその先になにがあるんだろうかとも思う。
僕は博士号を持っていないのでわかんないけどNaa_tsure.icon
こう考えるとなんだか何者かであること自体にはそんなに意味がないような気がしてしまう。
何者かであることによって他人からわかりやすくちやほやされたいという承認欲求なんじゃないかと。
そんな風に思ってしまう。
本編には人生がスタートした瞬間がわかるみたいな話があったけど、別にそれに何者かであることは必要ではない気がする。
別に世界全体レベルで見たときの希少な存在ではなくとも、日常的に観測可能な限られたコミュニティにおける希少な存在であればアイデンティティの確立は十分出来そう。
逆にこの世界で唯一無二の存在だと、この世界の主人公だと思われている人だとしても、宇宙レベルで見たらその人の超上位互換みたいな知的生命体がうじゃうじゃいるのかもしれない。というか多分いると思う。
なんだけど、自分がこの世界で唯一無二の存在だと思えるのは観測できる範囲がこの地球上に限定されているからなのでは?
若干屁理屈っぽいけど、そういうことなんじゃないかなNaa_tsure.icon
https://youtu.be/02Kgf9dCgME
観測しなければ自分は世界最強。ネットによっていろんなものが見えるようになって、常に比較してしまいがちなこの世の中。意外と井の中の蛙も悪くない―――――――というか身近なコミュニティを大事にしていくことが大切なんじゃないかと。
ここまでまとまりのないことをあーだこーだ書いてきたけど、最後に来年(2023)にやることを書いておこう。
1.30日チャレンジ
2.動画投稿(多分ボイロ)
まあ細かいことはあまり定めないで、役に立たないとされるものにも触れながら生きていこうと思う。天然知能なので。Naa_tsure.icon