人間の条件
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人間の活動的生活を《労働》《仕事》《活動》の三側面から考察し、《労働》優位の近代世界を思想史的に批判したアレントの主著。 人間になるために読みたいmtane0412.icon
すごい眠くなった
原典ってやっぱり難しい
人間が地上の生命を得た際の根本的条件に、それぞれが対応しているからである
人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力
人間の肉体が自然に成長し、新陳代謝を行い、そして最後には朽ちてしまうこの過程は、労働によって生命過程の中で生みだされ消費される生活の必要物に拘束されている。
人間存在の非自然性に対応する活動力
仕事は、すべての自然環境と際立って異なる物の「人工的」世界を作り出す。」仕事の創りだすものとは、住居や様々な生活上の施設、町など、人の生命の長さを超えた耐久性・永続性を持つものである。
物あるいは事柄の介入なしに直接人と人との間で行なわれる唯一の活動力
多数性が人間活動の条件であるというのは、私たちが人間であるという点ですべて同一でありながら、だれ一人として、過去に生きた他人、現に生きている他人、将来生きるであろう他人と、けっして同一ではないからである。
アリストテレスの場合、人間が自由に選びうる生活とは、自分が創りだした諸関係と生活の必要物にまったく関係なく自由に選びうる生活…のことであった…この生活が自由であるというのは、主として自分の生命を維持するのに捧げられる生活様式は一切この生活から除かれているからである。 「ポリスの生活とは、非常に特殊な自由に選ばれた政治組織形態を意味しており、人びとをただ従順に結びつけておくのに必要な形態ではなかった。」
アウグスチヌスの頃(4―5世紀)になると、古代の都市国家の消滅とともに、「〈活動的生活〉という用語は特殊に政治的な意味を失って、この世界の物事にたいするあらゆる種類の積極的な係わりを意味するようになった…つまり、活動も今や現世的生活の必要物の一つとなり下がり、したがって観照生活…だけが唯一の真に自由な生活様式として残ったのである。 観照生活とは、「永遠なる事物の探究」すなわち哲学的生活のことを指し、すでにプラトン、アリストテレスによって、活動を含めてあらゆる種類の活動力に対するその優位が主張されている。すなわち、古代ギリシアのポリスの時代においても、プラトン、アリストテレスの時代にすでに脱政治的理想が説かれていた。 二つの事件によって、〈活動的生活〉と政治的生活は完全に観照の侍女になり下がった 古代ギリシアにおいては、「人間の共同体に現われ必要とされるすべての活動力のうち、ただ二つのものだけが政治的であるように思われ」た。
そこから人間事象の領域…が生じるのであるが、そこからは単に必要なもの、あるいは有益なものは、一切厳格に除かれている。
思考は言論よりも下位にあったが、言論と活動は同時的なもの、同等のもの…同種のものと考えられていた ポリスは、政治体の中でも、最も饒舌な政治体と呼ばれた…その経験から生まれた政治哲学において、活動と言論は分離し、ますます独立した活動力となった。重点は、活動から言論に移り、それも、…説得の手段としての言論に移った。政治的であるということは、ポリスで生活するということであり、ポリスで生活するということは、すべてが力と暴力によらず、言葉と説得によって決定されるという意味であった。ギリシア人の自己理解では、暴力によって人を強制すること、つまり説得するのではなく命令することは、人を扱う前政治的方法であり、ポリスの外部の生活に固有のものであった。 古代ギリシアのポリスにおける政治とは、
生活の必要や有益性から自由であること(私的利害に煩わされず、公的活動に専念できる中立性と時間的余裕)、 しかし、そのような政治は、ローマ帝国の没落、キリスト教の普及の中で失われていく。それは近代における「社会」の出現でさらに決定的となる。 古代においては2つの区別は自明のもの
「私的なものでもなく公的なものでもない社会的領域の出現は、比較的に新しい現象であって、その起源は近代の出現と時を同じく」する 今日、この公私の境界は非常にあいまいになっている。「それは、私たちが、人間の集合体や政治共同体というのは、結局のところ、巨大な民族大の家政によって日々の問題を解決するある種の家族にすぎないと考えているからである。
すなわち、家族の集団が経済的に組織されて、一つの超人間的家族の模写となっているものこそ、私たちが「社会」と呼んでいるものであり、その政治的な組織形態が「国民」と呼ばれている」。 古代の思想においては、経済的なもの、「すなわち個体の生命と種の生存に係わるものはすべて、定義上、非政治的な家族問題だったからである。」
「家族内における生命の必然(必要)を克服することがポリスの自由のための条件である」
私的領域=家族が必然(必要)によって支配される
公的領域=ポリスは自由(フリーダム)の領域
暴力が私的領域で正当化されるのは、それらが必然を克服し、自由となるための唯一の手段であるからだということを当然なことと見ていた
奴隷を支配する等
「現代世界においては、社会的領域と政治的領域があまりはっきり区別されていない。政治は社会の機能にすぎず、活動と言論と思考は、何よりもまず社会的利害の上部構造であるというのはマルクスの発見ではなく、むしろ…自明の仮定の一つである。…これは理論あるいはイデオロギーの問題ではない。というのは、社会が勃興し、「家族」あるいは経済行動が公的領域に侵入してくるとともに、家計と、かつては家族の私的領域に関連していたすべての問題が「集団的」関心となったからである。現代世界では、公的領域と私的領域のこの二つは、実際、生命過程の止むことのない流れの波のように、絶えず互いの領域の中に流れ込んでいる。 政治と暴力は本質的に相容れないものと観念されていた
古代ギリアの民主制と奴隷制は表裏一体
奴隷制=暴力が容認されていた領域があくまで私的領域
公的領域では排されていた
公私領域の区別がはっきりしていた
近現代は政治において強制力=暴力は欠かせないものとして観念された
社会が発展していく中で、公私領域の区別が曖昧になった
国家とは暴力の正当な行使を独占する存在
「画一主義は社会に固有のものであり、それが生まれたのは、人間関係の主要な様式として、行動(ビヘイヴィア)が活動(アクション)に取って代わったためである。近代の平等は、このような画一主義にもとづいており、すべての点で古代、とりわけギリシアの都市国家の平等と異なっている。かつて、少数の「平等なる者」…に属するということは、自分と同じ同格者の間に生活することが許されるという意味であった。しかし、公的領域そのものにほかならないポリスは、激しい競技精神で満たされていて、どんな人でも、自分を常に他人と区別しなければならず、ユニークな偉業や成績によって、自分が万人の中の最良の者であること…を示さなければならなかった。…公的領域は個性のために保持されていた。それは人びとが、他人と取り換えることのできない真実の自分を示しうる唯一の場所であった。各人が、司法や防衛や公的問題の管理などの重荷を多かれ少なかれ進んで引き受けていたのは、真実の自分を示すというこのチャンスのためであり、政治体に対する愛のためであった。 「つまり、近代の経済学は、人間は行動する(ビヘイヴ)するのであって、お互い同士活動するのではないと仮定している…経済学が科学的性格を帯びるようになったのは、ようやく人間が社会的存在となり、一致して一定の行動パターンに従い、そのため、規則を守らない人たちが非社会的あるいは異常とみなされるようになってからである。」
あらゆるタイプの社会に見られる一枚岩的な性格、ただ一つの利害とただ一つの意見しか許さないという画一主義は、結局のところ、ヒトの一者性(ワン・ネス)にもとづいている。 「社会が生命過程そのものの公的組織にほかならないという最も明白な証拠は、おそらく、比較的短い期間のうちに新しい社会領域が、近代の共同体をすべて労働者と賃仕事人の社会に変えたという事実の中に見ることができよう。いいかえると、近代の共同体はすべて、たちまちのうちに、生命を維持するのに必要な唯一の活動力である労働を中心とするようになったのである。
「労働が公的な分野に入り込んできたために、労働の過程は循環的で単調な反復から解放され、急速に進む発展に変わった。その結果、数世紀のうちに人間の住む世界全体は全面的に変化した。私的領域に閉じ込められていた労働は、いまやそのために押し付けられていた制限から解放された。…労働がいったん解放されると、それはあたかも、すべての有機的生命に見られる成長の要素が異常発育を遂げ、その結果、自然界で、有機生命を阻止しその均衡を保持する腐食の過程の方は、完全に屈服し、征服されたかのようであった。…いわば、自然的なるものの不自然な成長を解き放した。この結果、一方では私的なるものと親密なるものが、他方では狭義の政治的なるものが、それぞれわが身を守ることができなくなった。」
私的なものと公的なものとの根本的な違いは、その公開性にある 「一方には、ともかく存在するためには隠しておく必要のあるものがあり、他方には、公に示す必要のあるものがあるということである。」
「イエスが言葉と行為で教えた唯一の活動力は、善の活動力であり、この善は明らかに、見られ聞かれることから隠れようとする傾向を秘めている。キリスト教は、公的領域に敵意をもっており、少なくとも、初期のキリスト教はできる限り公的領域から離れた生活を送ろうとする傾向をもっている。これは、ある種の信仰や期待とは一切関係がなく、ただ善行に献身しようとすれば当然現れる結果にすぎないと考えられる。なぜなら善行は、それが知られ、公になった途端、ただ善のためにのみなされるという善の特殊な性格を失うからである。善が公に現れるとき、なるほど、それは組織された同胞愛あるいは連帯の一活動としてやはり有益ではあろう。しかし、それは、もはや善ではない。したがって「自分の義を見られるために人の前で行わないように、注意しなさい」ということになる。善が存在しうるのは、ただ、その行為者でさえそれに気づかないときだけである。自分が善行を行っていると気づいている人は、もはや善人ではなく、せいぜい有益な社会人か、義務に忠実な教会の一員にすぎない。したがって「右の手のしていることを左の手に知らせるな」ということになる。」(105頁) こうして、善行は、「すぐに忘れられなければならないから、けっして世界の一部分となることはない。それは、生まれ、なんの痕跡も残さずに去る。実際、善行はこの世界のものではない。」(108頁)「したがって、善を一貫した生活様式として実行しようとしても、それは公的領域の境界内では不可能であるばかりか、むしろ公的領域を破壊してしまう。…犯罪行為も、別の理由からではあるが、他人によってみられ、聞かれることを避ける…マキャヴェリにとって、政治活動の基準は、古典古代と同様、栄光である。ところが、悪は善と同じく、栄光に輝くことはない。…隠れることから生じる悪は無謀であり、共通世界を直接破壊する。同じように、本来、善は隠すことから生じるものである以上、それが公的役割を引き受けるとき、善はもはや善ではなく、自ら腐敗し、その腐敗を至るところに撒き散らすであろう。」(109頁)