可死性
宇宙では万物が不死である。しかし、その中で人間だけが死すべきものであり、したがって、可死性が人間存在の印となった。 「人間は生から死までのはっきりとした生涯の物語をもっている」から他の生物と区別している 他の生物は不死の生命を生殖によって保障している
一切のものが円環にそって動いている宇宙にあって、直線にそって動くこと、これが可死性である 「死すべきものの任務と潜在的な偉大さは、無限の中にあって住家に値する、そして少なくともある程度まで住家である物―仕事、偉業、言葉―を生みだす能力にある。こうして死すべきものは、それらの物によって、自分を除いては一切が不死である宇宙の中に自分たちの場所を見つけることができたのである。不死の偉業に対する能力、不朽の痕跡を残しうる能力によって、人間はその個体の可死性にもかかわらず、自分たちの不死を獲得し、自分たち自身が「神」の性格をもつものであることを証明する。人間と動物のこのような区別は人間の種そのものの中にも適用される。だから、自分をたえず最良な者として証明する…最良な者…「死すべきものよりは不死の名声を好む」者だけが、真の人間であり、逆に、自然が与えてくれる快楽だけに満足する者は動物のように生き、動物のように死ぬのである。
あらゆる生命体は死するが、動植物は基本的にすべて群生の中での生殖過程を通じて種の存続が、特別な条件で絶滅しない限り、継続的に維持される。そこに個体の「死」はない。しかし、人間の場合、生と死のサイクルがはっきりと意識される。群生における生殖過程による種の永続性と個体の死は明確に区別される。したがって人間の場合、自らを不死にするためには、特別の工作によって「住家」をつくって死を克服し、その永続性を勝ち取らなければならない。ここに言う「住家」とは、通常の建造物の「家(イエ)」ではなく、それを含む、人間によって特別に生み出され獲得された、人間の生きた証を打ち立て、死後に残す多様な道具(言語など)や工作物(アレントの言う「世界」)である。そしてそうした能力にたけた者が偉大であり、最良の者とされ、そうでない者は、動物に近い存在と評価される。この不死と永続性を打ち立てようとする人間の営みこそが、人間が政治を生みだし、政治を必要とする基本条件である。