「これは大事」と言っても大事さは真に伝わらない
from 自分で到達させる
「大事なんだ」ということがわかるだけ
「大事だ」とはならない
わかってないとわからない
これを守るべき、破ったら、評価が落ちる、怒られる的な
こうすると上手くいくとされている、と知ってる的な
ただ知ってるだけ
納得みたいな
マジの意味で納得するか
信じるの伝わらなさの感覚とかなり近い
それを素直に受け入れて、とりあえずやってみる、というのも大事そう
なんでそれがだいじやねん、と疑いつつも、いったんやってみる
やった上で判断する
知らない状態で批判しない的な
その延長線上で自分で到達する事ができるかも知れない
教える側の姿勢と、教わる側の姿勢、の両方について掘っていく必要がある
教える側に対しては、
言えば伝わるわけでへないっすよ、というのを理解している必要があるし、
教わる側も、
自分で到達しようとする姿勢が必要になってくる
寧ろ「その教えおかしくないっすか?こっちのほうがええだろ」と言っていく気概が大事
そういう能動性が備わっていると良い
↑そしてこの部分ですでに循環している問題もあるmrsekut.icon
「教わる側は能動性を持て」というフレーズも「「これは大事」と言っても大事さは真に伝わらない」ということになる
頑張って育成して徐々に気づかせるか、そういう能力がすでにある人を採用するか、みたいな話になってくる?
具体例
経営者が社員に対して「経営者目線を持とう」というやつ
/miyamonz/経営者目線を持とう的な話
「MVV大事だよ」的なやつ
これは2重に問題になる
なぜMVVが大事なのか、というものと
MVVがよくわからない
MVVの対象である「〇〇を大事にします」的なフレーズ自体