嘘を嘘と見抜くのは困難
かつて、2ちゃんねるという掲示板群をつくったひろゆきは「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」と言った この言葉から自分が学んだことを書いていく
嘘を嘘と見抜くのは困難である
人間が物事を認識するときに、少なくとも次のような過程を経る
1. ことが起きたという情報を知る
2. 経験や他の事実と照らし合わせて、情報を解釈する
3. 2で得た事実の解釈と、自分が正しいと思っていること(思想)をベースに次の行動をとる
次の行動の例
知識として貯める
新たなデータを探す
必要な物理的な行動をとる
手順1において、本当に事実かどうかわからない
それが実際に起きたかどうかを検証することは難しい
思考実験:遠くで火事が起きたとして、Twitterの写真を見て本当かどうか判断するのはどれぐらい本当か 自分なら、「デマではなさそう」ということを確認するために少なくとも以下の点を確認する
アカウントの信頼性チェック
捨て垢でないこと
前後のツイートが異常でないこと
一定量のツイートがある
恒常的にツイートしている(不都合なツイートを削除していない)
機械的に作られたツイートではない
普段のツイートが普通の人のような振る舞いであること
正確な情報源をさがす
この場合は消防
公共機関の消防の情報は事実であることが多いので、単に事実とみなしている
現代日本においてはほとんどの場合正しいが、正しい可能性が高いというだけ
反例:戦時下の大本営発表
何か起きたことはわかっても、その細部まで事実かはわからない
組織の上層部ですらわからないことがある。正しく情報が上がってくるとは限らない。伝言ゲームが情報を捻じ曲げる。 新聞社の記事は取材の結果であるが
記者の理解が正確という保証はない
一次情報自体が間違っている可能性がある
すぐ嘘かどうかわかることは何がある?
1. 自分も体験していること
「自信が起きたぞ!」「確かに揺れている」
現実的な解:なるべく正しく認識する
しかし、なんらかの行動を起こさないとジリ貧である
間違いを恐れて何もしないより何かする方がトータルでいいように見える。だから行動をする。
目的を正しくもって何かする方がもっといい
この目的を正しくもつことが難しいというのが以上で述べたこと。
そこで、絶対的に正しいことを諦め、「なるべく正しくする」という統計的な考え方を持ち出す。
20%の確率で正しいより、80%の確率で正しいことを信じる
情報源が正しいか正しくないかのバラツキが大きい場合は、複数の情報源からの検証をする
1人の人が言ってるより2つのことなる人が言っている方が「正しそう」
なるべく正しくするために
絶え間ない情報収集
絶え間ない情報検証
重要かつ変更がしにくい意思決定に関しては、根幹となる事実の裏どりはコストが高くてもやる
事実が誤っていたときに判断をやり直す
論理が正しくても、前提が正しくなければ結論は合わない
比較衡量をする
@refeia: 「嘘を嘘と見抜けない人はインターネットを使うのは難しい」、「俺はどちらかというと見抜ける側の人間」と思っているor思いたい人々が多いせいで良い言葉として受け入れられてしまったけど、 実際には「インターネットの嘘」は運が良くない限りは現実的な手間では見抜けない場合が多いと思う
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