不快な表現もあって良い
from 漫画の与える影響
表現の自由は自分にとって異常なものを受け入れること
自分としては「自分にとって不快な表現がない世界はおかしい」という感覚がある
世の中にはたくさんの自分と違った人がいるのだから、たくさんの不快なもので溢れているのが当然だ
ややエッジな例で考えていく
@sodium: 普通に考えて「犯罪」を「サービスとして楽しむ」ことを子供向けで肯定してはダメかと。
例えば「女子を楽しみながら殴る」漫画を、「漫画でくらいサービスシーンとして楽しませて欲しいよね」ってなります?
女子への暴力を「楽しいサービス」だと思う時点でおかしいですよね。
性暴力も同じです。
具体的なものに対する反論のツイートなので文脈はわからないが
「子供向け作品において犯罪を肯定する作品を発表するのはありか」というやや高度な話
高度なポイント
子供向けであること
子供を守れという主張は証拠がなくても反論しづらい
これに対する自分の立場はこう
出版は自由である
自分にとってどんなに不快な表現が出ても、相手が作るのは自由であるということ
とはいえ大衆娯楽の場合は単純に売れなければ出版社も出さない選択をするだろう
批判も自由である
表明して不快になる人が周りにたくさんでるかもしれない
出版社はブランドを毀損するかもしれない
フィクションで女性を楽しみながら殴ることを暴力を楽しいと思う人がいても、そういう人もいるかもしれないと思う
自分以外の人が何を考えているのかなんてわからないし、自分の規範から外れている人がいるのは普通のことだ
おかしいと思うのと表現してはいけないと規制するのには大きな違いがある
現実とフィクションは全く別物である
あなたが想像の中でわたしをなぶり殺しにしても、実際にそれを実行したり危害を与えるようなことをしたりしなければ法律には触れない
そう言うことをしていますとあなたが私に言ったなら、私は不快になるからあなたとは友達になれないかもしれない。そう言うことを考えるのをやめてほしいというかもしれないが、やめるかどうかはあなたの自由だ。強制させることはできない。
子供に関するエビデンスはあまり知らないので知ったら立場は変わるかもしれない
「子供を守る」ことを目的にした表現規制は戦前からたくさんやられており、規制は弱まらないのでエビデンスと論点が非常に重要
香川県のネット・ゲーム規制
赤本マンガバッシング事件(1955)
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