いずれ老いていく僕たちを100年活躍させるための先端VRガイド
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2016
超高齢社会の到来は、わが国にとって最大の社会課題のひとつである。少子化にともなう人口減少、地方の空洞化、都市部における独居率の上昇、若年労働力の現象などなど、今後予想される変化は、社会システムの根本的な組み替えを要求することになるだろう。 本書はこういう状況の中で、情報技術、特にVR (バーチャルリアリティ) を代表とするメディア技術がどんな役割を演じることができるかについて、さまざまな角度から考えてみたものである。本書は、単なるVR技術の入門書でもなく、いたずらに超高齢社会に警鐘をならすだけの本でもない。両者が分かれがたく混合されたところに独自の研究領域があることを示した本である。 超高齢社会の1つのランドマークは、2050年である。この時代をどう予測すれば良いか、予測といっても単純にデータを外挿すれば良いわけではないことをこの本は語っている。その未来を知ることは、一体どんな意味があるのか、単なる量的予測を超えた質的な予測が重要である。むしろ、本書の主張を語る上で予測という言葉は不適切かも知れない。「こうなるだろう」という態度で問題が解決するほど超高齢社会の問題解決は単純ではない。「こうしたい」という確固たる意図がむしろ必要であるというのが本書の主張である。 高齢社会関係の話題に興味を示すのは、多くの場合、ある程度以上の年齢の人間である。しかしながら、本当に高齢社会を考えなければいけないのは、若年層の人々である。この問題がいよいよ本格化する2050年の高齢者は、現在の若者だからである。高齢化問題は若者たちの当事者問題であるという気持ちが、本書のタイトルに含まれている。
VRというと、やれHMDだとか、新しいインタラクション技術だとか、そういうレベルの話題がほとんどであるが、バーチャルの本当の意味は、「実効的」ということである。すなわち、リアルと同等なほどその意味が大きいのがバーチャルである。バーチャルという枠組み自体を使うことによって、リアルな世界では解決不可能な問題も、バーチャルな世界に持ち込めば解決可能かも知れないという、ある種の楽観主義が、本書の基本的トーンである。 第一章 VRとは何か
あたかもそこに存在するかのような現実感
現実世界では解決できない問題を解決する
臨場感・インタラクション・自律性
VRとARの共通点と相違点
リアルとバーチャルを分けるもの
VRによって何が実現できるのか
未来予測の精度が上がる
VR技術で制約条件を飛び越える
第二章 VRの歴史と現在
VRはエンタメを超える
2015年は二度目の「VR元年」?
サザランドの「究極のディスプレイ」
VPL社の「リンクモデル」
米国空軍とNASAの技術がベースに
電子空間というフロンティア開拓で第1次VRブームへ
VRは「仮想不動産」
完全コピーでは意味がない!?
第2次VRブームはただの焼き直しにすぎないのか
コンテンツに特化した「VR2・0」
第三章 21世紀型の問題解決とは
対立の構図がはっきりしていた20世紀
物事は複雑な方向にしか変化しない
エントロピーが高いエネルギーは使い勝手が悪い
現実とデジタルを結びつける「マクスウェルの悪魔」
ごく小さな問題を個別に解決する
デジタル革命がVRの普及を後押しする
マクロな視点からミクロな視点へ
第四章 未来予測とVR
未来予測とのつきあい方
合理的な「推論」が成り立つ範囲は限定的
「バタフライ効果」は予測できない
「いま」を基準に考えない
子どもは未来である
コンピュータ・シミュレーションの未来
消費予報とサイバネティックループ
リアルとバーチャルの区別がつかなくなる
「間接化」で失われる信用
ウソを見破ることはできるのか
意のままにできることの怖さ
第五章 超高齢社会の到来
2050年は「ゆとり世代」が主役
国民の半分以下しか労働しない国
人口減少と地方の過疎化
人生二毛作
変化する社会構造