愛がある
「愛がある」って何?
前提として外から規定できるものではないのに、第三者がそれをいうことがあり意味不明だ
以下、「愛がある創作」の話
リスペクトだとか愛だとかで表現されるもの全体に対する懐疑的な感覚がずっとある
想定される思考回路
細かいところにまで目を向けている、クオリティが高い ⇒ 愛がある
愛がないのに実力で精緻な結果を出していた場合は?
愛があるのに稚拙な出来栄えだった場合は?
努力を惜しまない ⇒ 愛がある
好きなマイナー(弱い)キャラクターを活躍させていると「愛がある」とされる
キャラクター愛
愛がないのに、技術を誇示するためにわざと難しいキャラクターを活躍させた場合は?
努力をしたかどうかが品質の高さから見積もられる場合がある
この場合は「クオリティが高い⇒愛がある」のことでしょう
見返りを求める⇒愛を感じない
二次創作における嫌儲思想
権利元の利益の最大化を愛だとするならそれでもいいけど、だとしたらもっと優先される行動がある
二次創作は権利元にとってプラスである場合も多いけどね
「愛がある」と感じる、あるいは「好きなんだな」と思うのは感想として一般的なものであったとて、本来それはプラスにもマイナスにもならない要素ではないだろうか
そもそも、なぜ「愛がある」ことがポジティブなのか?
よくできている⇒ポジティブ と 愛がある⇒ポジティブ を混同しているのではないか
愛を感じたからよかった、ということもあるのだろうか
気になって過去に自分が描いた感想文を見てきたんだけど「愛があってよかった」って全然言ってなくてたまげた
全然ダブスタやってると思ったのに
そういう動画に対して「魅力が伝わるように上手に作られていてよかった」って書いてる やべー
/takoochiki-imp/愛がある
愛は技術であると考えている
/lec-a/愛を感じる
網羅性が高い/工数がかかっている で言い換えられそう
こと音MADにおいては、恐らくリターンもないのに凝った編集をしてる気持ちがわからないからその理由付けとして雑に用いられていそう
「自分もそれを好きだからうれしい」とかは「愛がある」でポジティブになる要素だったりするかな
これは理解しやすい
あと発信者の態度とか立ち振る舞いね
現代はそれが創作物の評価に大いに反映されるし、愛の有無は際たるものだろう
ブランディング
生成AIに対する反感が「愛がないから」で要約されることがある
ここではわかりやすくするために任意のキャラクターをイラスト生成AIで出力することを考える
(部分的に活用するなどさまざまなバリエーションがあるが一旦考慮しない)
努力
そもそも、アウトプットの上達までにかかる努力や工数は、キャラクターに向けて割かれたものではないのでは?
「努力をしているという状態」であれば無条件で愛があることにはならないだろう
成立するまでに必要なスキルを習得する行為はキャラクターへの愛とは関係ないのでは?
また、関係ないところで野球の素振りを毎日200回やっていたとして、愛があることにはならないでしょう
それなら、努力方面での主張は「その作品単体を完成させるために工数がかかっている」ことだと導ける
生成AI製のプロダクトは努力していないことにされがちではある
しかし、プロンプトの試行錯誤やリタッチを汗水たらしてやってる場合もあるよね
その出力を得るために環境設定とか投資をしてる場合も少なくないよね
ワンドロが「愛のない創作」みたいに扱われた前例って存在するんでしょうか
きっかんは努力のアンチなので根本的にどうでもいい(同じ出力なら工数は少ない方がよい)と思っている
細部・質感
前提として、市井の人間より出力の総合的な品質は高い
が、細部にミスが多く出現する
「大枠合っているけどディテールで間違えている」というのが「生成AI」っぽさだと市井に思われている気がする
見直しが苦手な人間に対する敵かも
多く言われるのはここでしょう
人間だっていくらでもミスを犯すのにね
逆に言うけど細部が完全に解決されていたら愛があることになるんでしょうか?
EATER昔はPCで描く→愛がないじゃった____________
セルフレジブチギレジジイって今も昔も存在するのだろうな
「努力すべき」とする主張を通したいのか、「努力しなくても評価される可能性があることによって、間接的に努力が否定されると困る」のかがわからない
いずれにしても「愛がない」になるのは謎で、単に否定したいだけに思える