きっかんが音MADを作る理由
以下の理由からきっかんが音MADを投稿することはない 「作りたいもの」がない
音MADの制作に関連する技術に何か秀でているわけではない(という自己評価である)
つまり、パフォーマンスとして制作する蓋然性がない
特定の知的財産に対して、二次創作を行うことによって好意を示したい、魅力を伝えたいと思うことがない
音MADをファンアートのためのキャンバスとする動機もない
それでも音MADを作る/作ったことがあるのには、別の理由がある
音MAD作者側の気持ち/知識/前提を知るため
音MADは内輪ネタ/楽屋オチがかなり取り込まれるジャンルであるため、より楽しむために作る側の視点を持ちたいと考えている。 ReaperやAviUtlで編集を行っていないとわからないユーモアに関しては理解することができた。
合作に参加することによってクローズドな環境を見ることができるようになった
知識が増えてめちゃくちゃうれしい
所属するため/舐められないため
音MADの関係者の一部には作品を投稿するクリエイターこそが偉い(肯定の言い換えではなく、本当に偉大であるという意味の「偉い」)とする人がいる 当方ガチアンチとさせていただきます
比較的見る専にも優しい界隈でもあるが、何かしら投稿しているか否かで扱いが変わる感覚がある 面白いことに、扱いを変える人も伸びているか否かではあまり扱いが変わらない印象がある
お互い好きなものを作っている、という前提があるからだろうか
"郷に入っては郷に従え"だから作っている、と言っても過言ではない
発言に説得力を持たせるのにも有用
ジェネラリストとして
「作ってみる」「投稿してみる」という体験自体にやる価値がある。
なんでもそうだが制作はあまり再現性がないので面白いと思う。
音MADも多種多様な方向性を内包するから面白いと思っている
自己紹介にいろんなこと書いてあった方が自分らしくて面白い
音MADにはたくさん笑わせてもらったため、普通に「ウケたい」と言う気持ちがある
テキスト以外でウケ狙いをするのはめちゃくちゃ不得意
音MADでウケるためにも基礎が必要だと考えしばらくは割り切っている
思想の現れとして
上述のクリエイター信仰同様に「言いたいことは作品で言え」という風潮がある
当方ガチアンチとさせていただきます
ガチアンチなのだが、思想をぶつけて効果がないと意味がない(啓蒙できなければ意味がない)
そのため、最適な手段であるならばやる場合もある
ジェネラリストであるとするならば最適な方法を選べることを長所としなければ価値が発揮されないでしょう
啓蒙でなくても良い場合は普通にツイートとかnoteとかでいい
作りたいものはないのに、作る目的はある
音MADや音MADを取り巻く人が好き
だから知識欲求や所属欲求がある
作る体験に価値があると考える
挑戦もしがいがあると思っている
のだが……
作りたいものがあるわけではない。しかし、"ツール"として制作を行うのをよしとしない人が必ずいる
"愛"で何かをするということは基本的になく、別の打算で動いていることも、また疎まれうるだろう
許せねえktzkn_.icon
よしとしない立場に大して知らねーとふるまうことが不得意なのだが、それをやっていく