きっかんの音MAD観
引用とエミュレートのひとつとして音MADを見ている
楽曲の引用、素材の引用、先行作品の引用、それらとは一切異なるものへのパロディなどが多分に含まれる
本質的に全ての創作は二次創作的であるという考え方もあるが、音MADは特に他から引用するものが多いコンテンツ群 / 文化という印象
大喜利として音MADを見ている
映像や音楽の技法も楽しんではいるが、自由なアイデアから生まれる想像し得なかったものに巡り合うのが楽しい。
「これがやりたかっただけだろ」と親和性が高い
音MADは特に大喜利をやりやすいテーマであると感じている。
映像/音楽/文章/その他、さまざまな表現を取り込むことが可能であるため。
余談だが、自分がゲーム会社に就職する際の面接でも、同様の主張をしていた。
「ゲームは映像・音楽・文章を携えながら、ユーザーとのインタラクションも使える最高に可能性の大きいエンタメなので、その土俵で何ができるか戦ってみたい」
ニコニコ動画はコメントというシステムにより擬似的なインタラクションを手に入れており、音MADもその恩恵を享受している、と思う。
ニコニコメドレーとの共通項として、キャンバスだと思っている
ニコメドのフレームワークの中で何ができるのか 音MADのフレームワークの中で何ができるのか
「音MADとはなんなのか」という問いに対し、(あまり気は進まないが)なんらかの線引きを設けるとするなら、マインドに依存する部分がかなり強いと感じている
同様の構成要素であっても、音MADタグが付いたりつかなかったりする
要素分解すると同じことをやっているものが、音MADの文化の上にあるものだけ音MADだと呼ばれている
少なくとも、「音MADは音楽である」は偽だと思う。(『音MADラジオ』に出演した原口沙輔の発言に対して)
音楽と感じられる音MAD"も"あるだけ。
個人的には、全然原口も「自分は音楽聴くノリで音MADを楽しんでる」とか「音MADの中には(音楽を目的にしないものもあれど、)十分音楽として楽しめるものが存在する」ぐらいの意図で発言してたのだろうと思うが、それが界隈に過剰反応されていると感じる
みんなnerdtronics3の沙輔さんのパート見た???????
やっぱりそうだった!!!!!!
音MADは何にだってなりうる
打ち上げで話せる機会があって、「意図と違う拡散をされたのだろうと勝手に信じていました」「勝手にそれが回収されて嬉しかったです」と伝えた。本当に良かったです
エグいセトリだったマジで
一方、「音楽ができない人間がなんとかひり出したものが音MADだ」というのにも懐疑的でいる
野菜/タンパク質 音楽の人は認めないと思うけど、音MADは音楽と違う土俵に立つから勝機があるので「音MADは音楽」と引きずり込まれて喜んでるようでは既に負けたも同然でしょう。
何もできないけど音MADはできている、という人が実際にいるのは知っているのでわかる
比較されるようなところにわざわざ身を置くなよ、という部分だけ切り出すと、それはそう思う
ただ、全然音楽でやってる人が音MADもやる場合がある(そしてそれが面白い場合もある)よねえ……
「音MADは攻撃が本質である」も偽だと思う
そう思ってやっている人がいるだけ。
ギャグやユーモアは「普通でないこと」をフックにするので何かしらの攻撃性を常に孕んでいる、という思想に触れたことがあり、音MADにおいても同様の価値観を持つ人がいるのは理解できる寄り
「バカにするから面白い」のは、そういう笑いの種類があるだけだと思うのだけれど、これは僕が夢を見ているだけなんだろうか
「音MADは違法だから/アングラだから面白い」も偽だと思う
禁忌に触れることによる面白さが存在するのは確かなのだと思うし、それを裏付けるような素材の流行というのも明らかだ
宗教、政治、性的コンテンツなど
が、それが全てではないだろと思う
2024年、マクドナルドが音MADのWeb広告を公開し、ムラムラタムラが発注して零が制作した音MADが公開された後に、1時と交わした会話が印象深い
新品の素材が動画用に用意され、"無理やり素材にしている状態"ではなくなると質感の違いが明確に出る、という話だった
後にわたぴーによって『男船』のMVが制作された際、SNSの過去の投稿などを素材として使用する手法が見られ、「音MAD的マインド」を感じるに至り、面白かった
このことから、「悪いことをやっているから面白い」に関しては明確に否定の立場をとるが、「画像/映像/音声を、本来想定されていない用途で引用することで音MAD的面白さが出てくる」ということは間違いないのではないかと感じていて、そうすると「音MADは想定されていない引用をするから面白い」は「音MADは違法だから面白い」と微妙にニアピンするのだ、という感覚もある
ただ、この考えは、自分の音MAD観が「アイデアで笑う」だからそうなっているだけで、露悪的な楽しみ方をしている人には共感してもらえないかもしれない
よく話題に上がる「音MADの大衆化」
大衆化されようが特に失われるものはないと感じていて、なるようになるし刻一刻と変化は続いていくだろう、というスタンス
そのため賛成でも反対でもないが、いろんなことがあると面白いので大衆化には加担するような動きをしている自覚がある
-----------
物語を持たない素材、非生物(誰得)の素材を好む
アニメや映画などをほとんど嗜まず、物語の咀嚼に苦手意識があるため → 物語と当事者意識
ファンアート的な音MADは「目的」が明確であるため、あまり食指が伸びない実情もある
面白いものが多数あるのも知っているし、ファンアートをやるにあたってもさまざまなアイデアが活かされている、ということを2022年ぐらいからは考えるようになった
ウマ娘 プリティダービー、アグネスタキオン(ウマ娘)に対する感情も、ファンアート音MADを見るようになった一因と言えるだろう
音MADを見始めの時は、図鑑改訂シリーズ、ネイティオとオムナイト、チャージマン研、バトルドーム、ヤマザキ春のパン祭りなどの動画に傾倒していた
2010年前後ぐらいの、音ゲー曲の流行や音程合わせが盛んに行われていた時期の印象が強い
もともと音ゲーコミュニティにいたこともあり、ニコニコメドレークラスタにいたこともあり、曲が素材シリーズやmegamix的な音MADをかなり好んで見ていた
直近その傾向がほぼ消え失せている
#きっかん思想