ドキュメンテーション
不足していると
コンテキストを一致するためのオーバーヘッドが生じる
考慮漏れや手戻りが増え開発コストは高くなる
不足していることによる問題は認知が難しいということ スケールしない
問題が表面化しづらい
関連機能の関連が見えなくなる
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仮に用意したとしても読んでもらえるかはわからない
それぞれのドキュメントに対する意識の差によっては、結局同じ人ばかりがメンテすることに
活用できるかも読み手次第
ドキュメントの類、「分かった後に読むと非常に分かるのだが、分かる前に読むと何一つ分からない」みたいな所があって、この「分かる」のきっかけが必要なのだが、ここにあんまり再現性がない所が現実の課題としてある。
ある人は無心で写経してる内に分かるようになり、別の人は何故か最初から分かっており、さらに別の人は最長老が頭の上に手を当てて「はぁ……!」とかやったら分かるようになったりする。
情報は提供できるが、経験からくる知識は提供できない ---
そもそも専門性があるならいらないよねという話
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