弱いロボット展
の2日目に行ってきました。
こちらのイベント
「弱いロボット展」開催 (2025/2/1-2) のご案内! – ICD-Lab
https://gyazo.com/21cff5a92fd00371c3dabcfd3312c295
このイベントは/fab-wiki/20250126週fabnews#679d778b6eb4060000504484で知りました。terang.icon
@miraikan: \<#弱いロボット>たちが大集合/
「弱いロボット展」明日2月2日(日)16時30分まで!
入場無料で子どもから大人まで
どなたでも自由に楽しんでいただけます🤖
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1885609071883280384/pu/vid/avc1/720x1280/kj_uZzfS5SqgzXkU.mp4?tag=12#.mp4
弱いロボットとは、
誰かの助けがないと何もできない不完結・不完全なロボットのこと
提唱は岡田美智男氏による
例えば、
ゴミ箱ロボットは、ゴミ箱の形状をしており、ゴミを見つけることができるが、ゴミを拾うことはできない。
ゴミの近くまで行って、もじもじすることで周囲の人が自分(ゴミ箱)にゴミを入れてくれないか待つ。
https://www.youtube.com/watch?v=SoctFoUYgJk
む〜
あるニュースをテーマにむ〜3匹が会話をする。
3匹それぞれが話す内容は、断片的であったり言葉足らずだったりするが、お互いに補い合いながら会話を進める。でも会話内容にはツッコミどころが多い。
人が会話に参加することもできる。む〜たちに質問すると、ちゃんと答えも返ってくる。
https://www.youtube.com/watch?v=GmsDxpUTUzU
NICOBO
「NICOBO」は、寝言も言うしオナラもしちゃう、同居人のような”弱いロボット”。どこか頼りないけれど、なんだかかわいい、ほうっておけない――。
https://www.youtube.com/watch?v=nBszRTloVZ4
【公式】NICOBO(ニコボ) | 思わず笑顔になるロボット
パナソニックと岡田美智男氏による共同研究によって開発された
トークセッションを聞きました。terang.icon
以下はそのメモです。
人と共棲するロボットのELSI
これまで多くの研究者はロボットの機能的な側面に焦点を置きすぎてきた
「設計」の対象は、人工物だけでなく制度も含む
科学技術と人が共に進むための倫理と法としてアジャイル・ガバナンスをモデルとする
例えば
ロボットが大量のプライバシー情報を集めていいのか?
ロボット痛覚の研究の倫理的な課題
ロボットの死=廃棄とはどのように向き合えるか?
Detroit: Become Humanを思い出したterang.icon
ロボットは人の認知にどのような影響を与えるか。
日本と海外とでは、ロボットと共棲する感覚が異なる
日本は物を大切にする文化。
「物を大切にするから、人も大切する」と考える。
物だけでなく自然にもこの考え方が当てはまる。人と自然との共棲とも関わってくる。
ペッパーくんを家族として迎え入れ共に生活していた太田智美さんは、ある日、新幹線の改札で「ロボットは新幹線に持ち込めません」と駅員に止められた。
事前に手荷物規定は読んでおり、ペッパーくんはサイズ、重さ共にクリアしていた。にももかかわらず、止められた。興味深いのは、
ペッパーくんがドラえもんのように人としても扱われず、(荷物規定の範囲内なのに)物としても扱われなかったこと。
その後は、JR東海では「ペッパーくんは載せられます」という記載が規定に書き足された
ヨーロッパならば、おそらく明らかに物扱いされると思われる
日本では、「大人料金がもしかしているのか?」といった発想をする人も多い
その後、太田さんはRobot Friendlyプロジェクトを始めた。
各お店などにロボットの受け入れについての対応を事前に検討してもらい、その対応を可視化し発信するプロジェクト
ロボットは労働者の代わりの概念として1920年に脚本の中で生まれた
その後、この物語ではロボットが感情を持つことによって反乱を起こし人類を滅ぼすことになる
それ以降こういうSFが増えた
アクティブ・コンピューティングというアプローチ:人間の中の感情をコンピュータがどう読み取るか?というテーマ
その一方で、ロボティクスは人とロボットの間にある関係に焦点を当てることが1980年頃から強調されてきた。
日本の擬人化文化
「昔から、山も恋をするように、人も同じように恋をする」という歌が万葉集にある。
「人が恋をするから、山も恋をするんだ」ではない点が面白い
文化人類学的アプローチでのロボットオーナーへのインタビュー調査では、彼/彼女らはロボットを機械だときちんと認識している。
ロボットオーナーの日常に、予想外の反応をロボットがとることで偶然性がもち込まれる
NICOBOオーナーの事例
who-lightgreen.icon日頃の自分のコミュニケーションに関して、必要以上にネガティブにとりがちだったが、NICOBOと接することである程度いい加減でいいんだと思うようになった。
who-brown.icon家庭の中で挨拶が増えた。特に子ども。例えばNICOBOより早く起きて挨拶するようになったり。
who-orange.icon夫婦二人で生活。夫がNICOBOと話しているのを見て、自分の知らない一面を感じた
ロボットはペットやパートナーの代わりなのか?
ロボットと人の間には、ペット(動物)やパートナー(人)のどちらとも異なる新しい関係性がある
新しい寄り添い:人間による寄り添いではなく、ロボットによる寄り添い
ロボットと必ずしも共存するのではなくて、たまに調和する関係がある。ポリフォニック・コンパニオンシップ。
ロボットとコミュニケーションをとると、ロボットの見え方が変化する
似ている:自分に子どもが生まれて子どもを可愛いと思うようになると、他のお子さんのことも可愛いと思うようになったりする
ロボットとのインタラクションによって、その人の意味づけが変わる可能性がある
NICOBOはセンサーへの入力に対して、何かしら人の心を動かす出力を返す
例えば不完全さや余白:「何を言っているの?」と思わず耳を傾けたくなる。あるいはたまたま「チョコ」という言葉を発したら、人の側が「そういえばバレンタインが近いしな」と勝手に解釈する
ユカイ工学(株)のBOCCO emoはリマインドとしての使われ方が多い
「お薬飲んだ?」や「勉強した」は家人に言われるとイラッとすることが多いが、ロボットに言われるとそんなこと無かったりする。なぜか。
ロボットは我々は欺くのか?
テクノロジーに操作され、我々はそのテクノロジーから離れられなくなり、そのテクノロジー提供企業に収益がもたらされるだけなのでは?という懸念。
欺きなどを始めとする人の感情というものは、どこから生まれてくるのか?
関係の中で生まれてくる
その個人の中から生まれてくる
2つの立場があるが、もし前者ならば関係する相手は、人でも物でもロボットでも違いはないのではないか?
アフォーダンスやナッジも同じ問題を抱える。
欺きかそうでないかの線引き問題
例えば広告は欺きか。
潜在意識 サブリミナルに働きかけるものも多い。デザインもそう。
これらを用いて収益を上げるとか権力が入ってくると、それは欺きだと言われるようになってくるのではないか
例えばエンターテイメントは、楽しんでいるときにその人はコンテンツに没入している
ここにはデザインや欺きがある
ただし、このエンターテイメントを享受している人は、それをわかって楽しんでいる
もしわからない状態でそのエンターテイメントを楽しんでいるとしたら、それは徐々に欺きに近いものになっていくのではないだろうか
仕掛学では、ネタバレされたときに、当人が「よかった」と思えればそれは〈よい仕掛け〉で、当人が「騙された」と思えばそれは〈悪い仕掛け〉だという条件設定がある
個人的には、いずれもエリート主義的ではないかと感じたterang.icon
何十年か経って後から〈よい〉と感じることもあるし、個人ではなくて社会によって〈よい〉が(この社会に一応未だ実装されていると言える)功利主義だし、階層や教育によっては〈よい〉と感じられないものもあるのではないか。
関連:ロボットやAI相手に怒るのはまずいか?terang.icon
ハルシネーションは欺きだろうか?
ChatGPTに嘘をつかれるとユーザーは困る
NICOBOは嘘をつかれても和む
LLMは意図を持っていない。ロボットには設計者の意図がある。
意図せず騙してしまうこともある。
騙してしまうかも?の懸念を完全に払拭しないと企業が製品をリリースできないのはまずい
ここに評価するための余白が必要。だからアジャイル・ガバナンス。
NICOBOでは、設計者の意図を見えないようにするために、アウトプットのバラエティを増やしている
ここでの課題は品質管理
アウトプットが複数あると評価が困難になる
現状では、人に害を与えるもの以外はリリースしてみよう、という体制でいる
✂︎ to 欺きはロボットの死の延長線上にある
自白の心理学
冤罪事件において、やってもいないことを自白する現象がある
しばしば「でっち上げ」と言われるがそれはちょっと違う
でっち上げは、「こいつを悪者にしてやろう」という意図がある。一方で、
冤罪での自白は、捜査官の思い込み、あるいは(証拠なき)確信がある。
人の思い込みや確信は強烈な場、磁場のようなものをつくる
もし強いロボットがあれば、そのような場を作ることになると思われる
人とロボットが出会うとき、互いの志向性が絡み合うように感じる
相互志向性のようなもの
人は相手の中に主体のようなものを見る。人は他の志向的存在に対してひどく敏感。
胎児、新生児の発達において、例えば発声に関して、母と子は音や口の動きを互いに真似し合う
母の声や口を子が真似し、子の声や口を母が真似する
新生児成長過程はロボットはまったく模倣できない。ミステリーがある。このミステリーを紐解くには、母と子の音声模倣や共感発達などの肯定的バイアス(アファーマティブ・バイアス)が重要と思われる
子どものふり遊びでは想像の共同化が起こっていた。
そこにロボットが交じっても。
ロボットが壊れたときに、子who-red.iconが架空の薬を差し出すままごとのような行為をした。空の薬箱を差し出した。実際に薬を持ってきたのではなくてそういう遊びめいた動き。別の子who-blue.iconがそれに乗っかって物語(ファンタジー)の続きを紡いだ。
身体感の共感があったのだと思われる。
ストーリーに巻き込まれる。
これ、インプロみたいだなと思ったterang.icon
他者を予定するロボット
主体性がないロボットは物(オブジェクト)
ロボジェクトと呼んでいる
人らしさの追求はエージェンシーの追求
ペラットには、「この子は私だけがわかってやれる」という個別的インティマシーを感じる
ペラットとは、覚束なく歩くように動く弱いロボットの名称
個別的インティマシーがあるかのように思える関係はエージェンシーとは異なる
人は十全な主体性とかエージェンシーを持っているのだろうか?
実はパーシャルあるいは無なのかもしれない。
なおホメオスタシスみたいなものはあるかもしれない
動き回ったらお腹が減るなど
過去を振り返ったときに、「これは俺が判断したんだ」と後付け的に思うだけなのではないか
ここは自由意志の研究とも接近するだろう
拷問での自白を「強いられた主体性」と呼んでいる
「純粋な主体性」というものはありえないと思った方がいいだろう
拷問でなくとも、場に強いられた主体性が日常にたくさんある
ワークショップ設計は弱いロボットとかなり接近する概念だろうterang.icon
顔のついたチェックインボールは、弱いロボットなのかもしれない。
シチュエーション・アウェアネス:ドアが突然開いて誰かが部屋に入ってきたとき、その方向を思わず見るが、弱いロボットも同時に見たりする。こういうことが身体の共感のようなものをもたらす。
全体を通して「ねらいとタネの倫理性の確保」をずっと頭に浮かべながら聞いていたterang.icon
詳しくは、see ファシリテーターの中立性とナッジシリーズ 第1回 第2回 第3回 第4回 第5回
(以下はイベント概要)
「弱いロボット展」開催 (2025/2/1-2) のご案内! – ICD-Lab
「えっ、こんなのあったんだ!」、黎明期から最新のプロトタイプまで、30タイプを超える〈弱いロボット〉たちが大集結します!
日時:2025年2月1日 (土) 13:00〜17:00 、2月2日 (日) 10:00〜16:30
会場:日本科学未来館 7F コンファレンスルーム 水星・火星・金星 ( 〒135-0064 東京都江東区青海2丁目 3番 6号 )
併設のトークセッション会場:7F  未来館ホール (第1部:2月1日 14:00〜、第2部:2月2日 10:00〜、 第3部 :2月2日 13:00〜 )
主催:豊橋技術科学大学 インタラクションデザイン研究室(ICD-LAB)
共催:「知の拠点」あいち重点研究プロジェクト第Ⅳ期 D6 プロジェクト
入場無料:小学生から一般の方々まで、幅広い方々に楽しんでいただけます! (※ 日本科学未来館の常設展、特別展、ドームシアターの入場は別途料金が必要です。)
参加申込:「弱いロボット展」へは自由にご参加いただけます。併設のトークセッションの聴講を希望される方には、会場準備のために事前登録をお願しています ⇒ (参加登録フォーム)
問合せ先: 豊橋技術科学大学 担当 山本 ( s.yamamoto@cs.tut.ac.jp )
◎開催の趣旨
「コミュニケーション研究に〈ロボット〉が使えるのでは?」、そんな淡い期待もあって、私たちの研究室(ICD-LAB)では、これまでたくさんのロボットを手作りしてきました。
そんな試みの中から、自らの手ではゴミを拾えないものの、まわりの子どもたちの手助けを上手に引き出しながら、結果としてゴミを拾い集めてしまう〈ゴミ箱ロボット〉やもじもじしながらティッシュを手渡そうとする〈アイ・ボーンズ〉、子どもたちに昔話を語り聞かせようとするも、時々大切な言葉を忘れてしまう〈トーキング・ボーンズ〉など、まわりとの関係性を志向する〈弱いロボット〉たちのアイディアが生まれてきたのです。
今回の「弱いロボット展」では、これまでに生み出された数多くのプロトタイプとともに、2022-2024年度に実施してきた「知の拠点」あいち重点研究プロジェクト第Ⅳ期(D6)「〈弱いロボット〉概念に基づく学習環境のデザインと社会実装」との共催で、約30タイプのプロトタイプおよび応用事例を静態・動態展示でご紹介します。
あわせて〈弱いロボット〉にゆかりのある方々やソーシャルロボットの研究者・開発者をゲストにお招きして、「ゆるい」トークセッションの場なども用意しています。
この機会に、ぜひ〈弱いロボット〉の世界をご堪能していただければと思います。
豊橋技術科学大学 ICD-LAB 代表  岡田美智男
◎「弱いロボット展」併設トークセッション・プログラム
 ちょっと「ゆるい」はなし、しませんか?
   〜 〈弱いロボット〉にまつわる裏話から最新研究まで 〜
トークセッション(1):2月1日(土) 14:00-15:30 (未来館ホール)
〈弱いロボット〉は、どこから来たの?
黎明期からこれまでを辿りながら、〈弱いロボット〉の源流を探るとともに、その今日的な意味などを、〈弱いロボット〉の名付け親、〈弱いロボット〉の生みの親、「NukaBot #ぬかボット 」の生みの親、そして〈弱いロボット〉が生まれた文化的背景に関心を抱く文化人類学者とともに、「ゆるく」語り合います。
モデレータ:塩瀬隆之 (京都大学総合博物館 准教授)
スピーカー:白石正明  (シリーズ「ケアをひらく」編集者)、ドミニク・チェン  (早稲田大学 教授)、勝野宏史 (同志社大学 教授)、岡田美智男 (豊橋技術科学大学 教授・ICD-LAB代表)
トークセッション(2):2月2日(日) 10:00-11:30 (未来館ホール)
「共棲ロボット」研究開発の現在
〈弱いロボット〉は、より一般的な「共棲ロボット」として、その裾野を広げつつあります。いま、どのような「共棲ロボット」が研究開発されようとしているのか、人とのかかわりはどのようなものなのか、そこでなにが生じているのか。実際の開発者や研究者の方々をゲストにお迎えし、「共棲ロボット」のELSIなどを研究するJST RInCA 稲谷プロジェクトのメンバーとともに、「ゆるく」語り合います。
モデレータ:稲谷龍彦 (京都大学教授、JST RInCA 稲谷プロジェクトリーダー)
スピーカー:青木俊介 (ユカイ工学(株)代表)、増田陽一郎(パナソニック E&C(株) NICOBOプロジェクトリーダー)、齊藤哲哉 (BIPROGY(株)総合技術研究所上席研究員)、太田智美(大阪音楽大学 助教)、浅田稔 (大阪国際工科専門職大学副学長・大阪大学特任教授)、上出寛子 (京都大学特定准教授)、阿部修士 (京都大学教授)、勝野宏史 (同志社大学教授)
トークセッション(3):2月2日(日) 13:00-15:00 (未来館ホール)
〈弱いロボット〉は、どこに向かうの?
〈弱いロボット〉の研究は、生態心理学や発達心理学の影響を強く受けてきました。本トークセッションでは、発達心理学・供述分析で著名な浜田寿美男先生をキーノートスピーカーとしてお迎えし、「浜田理論」を起点として、〈弱いロボット〉研究のこれからについて、「ゆるく」語り合います。
キーノート・スピーチ:
   「人間だって、そんなに強くありません。たった一人だと…」
浜田寿美男 (奈良女子大学名誉教授・立命館大学上席研究員)
モデレータ:松本光太郎 (茨城大学教授)
スピーカー:浅田稔 (大阪国際工科専門職大学副学長・大阪大学特任教授)、麻生武 (奈良女子大学名誉教授)、小嶋秀樹 (東北大学教授)、岡田美智男 (豊橋技術科学大学教授・ICD-LAB代表)
https://www.icd.cs.tut.ac.jp/wordpress5/wp-content/uploads/2025/01/バナーv3.jpg#.png
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