ゲンロン戦記-「知の観客」をつくる
https://gyazo.com/e492309161b70a90af04da9cc7d724b5
「数」の論理と資本主義が支配するこの残酷な世界で、人間が自由であることは可能なのか? 「観客」「誤配」という言葉で武装し、大資本の罠、ネット万能主義、敵/味方の分断にあらがう、東浩紀の渾身の思想。難解な哲学を明快に論じ、ネット社会の未来を夢見た時代の寵児は、2010年、新たな知的空間の構築を目指して「ゲンロン」を立ち上げ、戦端を開く。ゲンロンカフェ開業、思想誌『ゲンロン』刊行、動画配信プラットフォーム開設……いっけん華々しい戦績の裏にあったのは、仲間の離反、資金のショート、組織の腐敗、計画の頓挫など、予期せぬ失敗の連続だった。ゲンロン10年をつづるスリル満点の物語。〈聞き手〉石戸諭 2010年に創業したゲンロンの経営を振り返った自省録
誤配による、意図していなかった結果にこそ価値を感じる姿勢が、好き 「事務」を軽んじた結果、「事務」で何度も痛い目をあうことになり、「事務」の大切さに気づいていく
会社の本体はむしろ「事務」にあるという気づきを得ている
p32-33
本書ではいろいろなことを話しますが、もっとも重要なのは、「なにか新しいことを実現するためには、いっけん本質的でないことこそ本質的で、本質的なことばかりを追求するとむしろ新しいことは実現できなくなる」というこの逆説的なメッセージかもしれません。
本質的なことばかりやろうとすると、うまくいかなくなるという反省
自分も心に響く点があるkidooom.icon
共同で起業した場合、お金関連を特定の人に丸投げしてはいけない
ブラックボックスは、腐敗や不正の格好の隠れ蓑になる
経理関連だけは経営陣で透明化してキッチリ管理しなければならない
「任せる」ではなく「目を逸らす」だったと反省している
ゲンロンカフェという「誤配」が産んだ収益源
普通に企画を立てていたら、成功しなかった場
様々な誤配が特異な場を生み、なんかしらんが楽しい空間となって成功した
p92
ゲンロンカフェは、まさにそのような「誤配」のための空間です。登壇者が長く話す。思わぬことも話してしまう。観客同士が思わぬ出会いをする。そういう可能性のためにつくった空間でしたが、いま振り返ると、成り立ちそのものも「誤配」に満ちていたように思います。さきほど述べたように、ゲンロンカフェはそもそもAさんがいなければできなかった。動画配信も時間無制限も最初は考えていなかった。すべて「たまたま」の連続でできています。
ゲンロンカフェも、計画とは違う方向に誤配した結果、会社の収益柱となっている
長時間話していると、雑談の時間が増える。その雑談の中に「誤配」が満ちている。短時間で効率よく何かを学ぶのとは違う方向性 出社して長時間近くの場にいると雑談が増える、リモートワークだとそういった誤配のチャンスが減ってしまう
自然は回復していて、普通に人々が行き来して生活している
専門家による取材は、「酷い事件・死の大地」ありきのレポートとなって歪められていることが多い
専門家の意見が正しいと思うことへの危険性を感じた
言葉だけに頼ることは危ない p164
ぼくたちの社会では、SNSが普及したこともあり、「言葉だけで決着をつけることができる」と思い込んでいるひとがじつに多くなっています。でもほんとうはそうじゃない。言葉と現実はつねにズレている。報道で想像して悲惨なイメージをもって被災地に行ったり被害者に会ったりしたら、全然ちがう印象を受けた。あるいはその逆だったということはよくあるわけです。そういう経験がなく言葉だけで正しさを決めようとしても意味はない。むしろ大事なのは、言葉と現実のズレに敏感であり続けることです。ぼくのいう「観光」は、そのためのトレーニングです。
会社に搾取されているような感覚、会社のメンバーに馬鹿にされてるような、好かれていない感覚で心が折れて代表を降りたとのこと
同世代の同性とつるんでしまいがちな点を問題点としている
代表を女性の上田さんに交代してから従業員の女性比率が上がっている。
それまで無意識的に男性ばかり採用してたことを反省している
「ぼくみたいな奴」を無意識で探してしまっていた。それではいけなかったと