専門家こそが大衆の原型
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十三嗜好症
オルテガ『大衆の反逆』(100分 de 名著) p34 より引用
「知者」はまず、人間は知を完成することができず、過ちやほころびがいかに多いのかを認識していなくてはならない、というのがオルテガの考えです。総合的であろうとする人間ならば、自分の専門以外の分野や「知らない」ことに対して謙虚な態度を取るはずだが、そういう「知者」は近代にはいなくなった。実際にはほんの一部のことしか知らないのに、「俺は何でも知っている」と偉そうな顔をするような人間がはびこっていることを、彼は嫌悪したのです。
ひろゆきが頭によぎった
kidooom.iconもいくつか彼の動画を観たり、何冊か本も読んでいるがゆえに(反体制者が聞くと気持ちいいことを言っているなとは感じる)
知識が増えると同時に、自信と混乱と思い上がりとうぬぼれも増える
勉強して総合的な知識は1ミリしか増えてないのに、うぬぼれ度が100センチも伸びているかもしれない
作る経験はコピーできない
コピー可能な知識だけを得て専門家になってしまうと、現場でいざ何かを作るときに活躍できない
ミスや失敗をしないという人を褒め称える物語やドラマがいかに危険か
人間は個体として知を完成することはできない
完璧な答えや完成がないゲームを面白く感じるのは、自分にとっては良い感情
「何でも知っている」という人は、「何も分かっていない」
プラトン的なオタク、知的バカと呼ばれる
ダメな自分を前提にした仕組みを作る
専門領域の勉強は10%程度にとどめて、残りの90%で法律や哲学、政治、化学、生物、物理、数学などの学問の本を読むことを推奨している登大遊さんはオルテガ寄りの意見なので、今後も動向をチェックしたい