タイパを求めて削ぎ落とされたコンテンツばかり受信することは、体験を損なっているのではないか
https://www.youtube.com/watch?v=qGQCTJgyk1c
世界と触れ合わないためのテクノロジーは、方向が間違っていないか?
自分の手で絵を描く楽しさが減る
リコメンドされたコンテンツを見ることで、自分で本屋に行って眺める楽しさが消える
「コンテンツ」化が間違ってきたのじゃないか?
本を読むという体験は、手触り・匂い・表紙・めくる体験などがあった
それが 20KB程度の文字情報だけに抜き取られて「コンテンツ」になっている
音楽を聴く体験は、もともとは演奏する現場に行って、楽器や肉声を聴く体験があった
それが、音だけがサンプリング化され抜き取られて「コンテンツ化」されている
タイパを求めるなら生きていること自体をやめることになる
体験を求めているのに、削ぎ落とされたコンテンツだけが届けられることに、詐欺的なものを感じる by 東氏
@naoya_ito: 「学習系の動画を文字起こししてAIにサマリーを作ってもらったら高速で学習できる」みたいな人とはわかり合える気がしない。こういう結果だけに着目して、学習の中にあるプロセスをすっ飛ばすのは、自分にとっては学習とは言わない @naoya_ito: 動画でもテキストでもいいんだけど、それを触媒に自己の対話をおこなって脳内の知識体系を再編したり、メンタルモデルをアップデートしたりというプロセスにこそ学習の価値があるのであって、サマリーだけ吸収してそれをすっ飛ばすのは学習じゃないなあと タイパを求めた学習は、無理に急ごうとした結果すぐに忘れてしまうことになりがち