2025/5/31
#生活ロギング 2025/5 2025/6/1 - 2025/5/30
読書記録
『中動態の世界―意志と責任の考古学―(新潮文庫)』
『街とその不確かな壁(上)(新潮文庫)』
『基本文法から学ぶ 英語リーディング教本』
きょうは誕生日です。34歳になりました。ケーキがおいしかったです。
振り返ると一年前はまだブックカタリストの読書会にすら参加してなかったです。(初参加は2025年8月)
この一年でブックカタリストの読書会、ナレッジスタック、公開Cosenseとずいぶんサードプレイスが広がりました。
一日一日がすぎるのはあっという間ですが、こうして振り返ると1年間の変化はけっこう大きなものがあります。
34歳の一年間もどうなるか楽しみです。また振り返りがきちんとできるのも記録をつけているおかげです。
/kohtecho/250531
おめでとうございます!
本人に向かって言ってるような、言ってないような不思議な感覚
/rashitamemo/2025/5/31
おめでとうございます!
祝言ありがとうございます。これからも引き続きよろしくお願いします。
ブックカタリスト会報017(2025年05月号)
やっぱり一人ひとり読書のスタイルが違っていますし、ある程度続けている人は、何かしらの「読書哲学」(おおげさに書きましたよ)を持っているものです。そうした話を集めてみたら、それはそれで面白いのではないか、という気もします。
読書に限らずこのようにこだわりや習性のような個人的な哲学がとても好きです。
村上春樹のエッセイで、サマセット・モームの引用があります。
サマセット・モームは「どんな髭剃りにも哲学がある」と書いている。
どんなにつまらないことでも、日々続けていれば、そこには何かしらの觀照のようなものが生まれるということなのだろう。僕もモーム氏の説に心から賛同したい。
昨晩の読書会の終盤にも本の読み方についてさまざまな個性が伺えました。
tksさんが簡潔にメモ書きされています。 /practicefield/2025/05/31
僕個人として、ほかの方と異なっていた特徴は以下の2つです。まとめておきます。
基本方針に積読本を買わない。
読む前に、読む範囲を決めてから読むことがある。
基本方針に積読本を買わない。
積読をしないことについてについて以下を追記します。
積読本を買わない理由として、買った直後が一番読みたいから、ということです。
ある本Aを読んでいる最中に、書店に行って気になっている本Bを買って積読本として置いておきます。
本Aを読み終わったときに、読了後の開放感もあって書店に行きます。そして気になった本Cを買います。
この時に積読本Bよりも、直近に買った本Cのほうが読みたい欲求が高まっています。したがって本Cを読みます。
その結果、せっかく読みたくて買った本Bが適切に比較されないため、なかなか読めない事態に陥ります。
上記の積読本Bの発生を防ぐために、本Aを読んでいる期間に書店へ行ったときは本を買わずに、読みたい本リストへ本Bを追加するだけします。
そして読み終えたタイミングで書店に行ったときに、店頭で本Bと本Cを比較したうえで次に読む本を買って読みます。
この方法のメリット
積読本にかかる費用が抑えられる
積読本を読まないといけないというプレッシャーがない
次に読む本を書店の店頭で公平に比較検討できる
買った直後の読みたい欲求が高まった状態で次の本を読める
この方法のデメリット
読みたい本が書店の店頭にない可能性がある
本を読み終えたタイミングで書店へいけない場合、次に読みたい本が手に入らない
読む前に、読む範囲を決めてから読むことがある。
毎回ではありませんが、時間が限られているときなどに、予め読む範囲を想定してから読み進めることがあります。
『中動態の世界―意志と責任の考古学―(新潮文庫)』や『街とその不確かな壁(上)(新潮文庫)』は細かく章立てされているので、わりとゴールを決めてから読んでいます。
初頭効果や終末効果のように、最初と最後だけ集中できるようなところがあるので、読む範囲が最初から有限のほうが、その範囲に集中して読めるから、読む範囲を決めているのだと思います。
また想定時間をもとにして想定範囲を決めているので、この範囲なら時間を気にせずにゆっくり読める安心感を自分へ与えられるところがあります。
読んでいる最中も、残り何ページと確認しながら読むことがあります。集中力が落ちてきたときに残りのページ数がわかると終末効果のように最後に集中して読めるようになります。
もちろん当初の想定範囲に達せずに終了することや、当初の範囲を超えて読み進めることもよくあります。
好きなものをがんばるのではなくて、がんばって好きになる
ごりゅごさん
だから今は「おもろいと思ったことは全部やったるで」という気持ちでなんでも手を出しています。
おっしゃる通り、ごりゅごさんの趣味の変遷過程を拝見していると「がんばって好きになる」姿勢がとても浮き彫りになっています。
何よりも見習うべきところは、「好きになるためにがんばっている過程」もきちんと記録して自己観察し、自分を励ましながら楽しめているように伺えるところです。
以前おっしゃっていた『練習の哲学』があるとすれば、この「がんばって好きになる」は練習の哲学の基本方針に近い立ち位置かと思いました。
またがんばって好きになる姿勢はわりと物事のあらゆるものに通底してそうです。
例えば子どもの習い事を始めるときも、子どもが好きなものを習わせて合わなかったら止めるだけでなくて、子どもが気になっていることを習わせて、がんばって好きになる経験をしてもらうように配慮してみます。
自分が好きなことだと思って始めてみたけど合わなそうだなと思ったときにすぐ止めるのではなくて、まだ好きになる前の段階だと捉え直して、これから好きになるようにがんばってみるスタンスにしてみます。
読んだことのないジャンルの本や少し難しい本を読む動機も、がんばって好きになるの姿勢が背後にありそうです。
がんばって読み進めることでそのジャンルの知識が備わって好きになったり、わざわざ難しい本をがんばって読むことで自分の知見を深めていくことができる喜びを感じたりすることがモチベーションになっているからです。
そう考えると好きなことを見つければすぐに熱中できるという考え方は押しなべて言えるわけではなさそうです。
気になっていることをがんばって努力することで、少しずつ好きになっていって、いつのまにか熱中しているほど深みにハマる感じです。