人工妊娠中絶における女性の権利の研究
https://kumadai.repo.nii.ac.jp/record/26449/files/21-0240.pdf
著 : 笹原八代美
発行年 : 2012 年
1970 年代以降、生命倫理学 (バイオエシックス) やフェミニズムの視点で人工妊娠中絶の正当性の根拠の研究
1971 年、人工妊娠中絶についてのトムソンの議論
1973 年、ロウ対ウェイド裁判
以降、女性の自己決定権対胎児の生命権といった枠組みで議論
1990 年代、ロナルド・ドウォーキン (Ronald Dworkin) は、中絶をめぐる論争は胎児の権利と利益から切り離されるべきという議論
中絶が悪なのは、一旦開始された人間の生命の本来的価値が損なわれるからとした
1995 年、ディルシラ・コーネル (Drucilla Cornell) は、女性の中絶の権利を自己決定権ではなく平等権として論じる
権利の枠組みによる議論と、価値の枠組みによる議論
中絶の問題にはいろいろな側面がある
1 章 自己決定権としての中絶の権利
望まない妊娠、中絶、母体保護法
身体的ダメージ、精神・心理的ダメージ (心的外傷 (PTSD)、トラウマ)
「人工妊娠中絶を受けた女性の内的世界」
女性自身が自分の身体についてあまりにも認識がなさすぎる (性行為に伴う妊娠の可能性)
女性の自由権や自己決定権、胎児の生命権
2 章 ジュディス・トムソンの議論
人工妊娠中絶についてのトムソンの議論
3 章 井上達夫と加藤秀一による論争
1980 年代、日本の女性解放運動はウーマン・リブからフェミニズムへ
ウーマン・リブでは、「産む産まないは女の権利」 という主張
権利の主張の宛先は国家や法律
フェミニズムは、主としてアメリカにてセウシュアル・ハラスメントや DV の問題を顕在化 → リプロダクティブ・フリーダムが求められるように
この権利概念は 1980 年代半ばに日本に輸入
社会全体に問いかける
どちらも、胎児を女性の一部として捉える考え
妊娠・出産プロセスによる胎児と女性の関係性の変化に言及がない
当時、日本においては優生保護法 (現母体保護法) により中絶の自由が条件付きで確保されていた
権利としての中絶というよりは、必要悪としての中絶というような扱い
このような状況下での井上・加藤論争
4 章 ロナルド・ドウォーキンの議論
5 章 ドゥルシラ・コーネルの議論
6 章 中絶議論における権利の新たな枠組みづくりに向けて
ジュディス・トムソンは、「人が生命への権利をもつとはどういうことか」 を問うべきとしていた
女性の自己決定権と胎児の生命権の間の道義的葛藤は、両者が絶対的権利ではなく、一応の権利 (a prima facie right) であることを含意