僕ら二人だけの世界
夜。
「会いたい」って、ほんだけ。
でも、ほんだけ打つんにどんだけ勇気がいったんか、今ならわかる。
どうやって甘えたらええんかわからんって叫んだ東雲さんの顔が、鮮明に思い出された。
ここで選択を間違ったら、何もかも失ってしまう気がした。
インターホンを鳴らすと申し訳なさそうな顔をした東雲さんがドアを開けた。
「疲れとんのに、すんません……」
きれいな黒髪が指にまとわりついた。
結局、東雲さんは泣き出してしもた。
「気づいてやれんでごめんな」
東雲さんはいつもきちんと髪をセットしてきとうけん、触ったらアカンのかと思とった。
静や和にするみたいに、子供扱いしたらアカンのやと思とった。
全部、僕の勝手な思い込みやった。ほれが余計に、東雲さんを傷付けとった。
僕は東雲さんの髪をぐしゃぐしゃにして、ほれから優しく指でとかした。
東雲さんの髪は、なめらかやった。
僕はリビングのソファに腰かけて、小さな買い物袋をテーブルの上に置いた。
寂しい思いをしてメッセージを送ってきたんやろうから、おいしいもん食べて元気を出してほしかった。
「伊勢原さん、ハーゲンダッツ好きなけんな」
僕の顔を見て、東雲さんはクスクスと笑うた。
「やっと笑うた。円は笑顔が一番男前やけん」
自然と東雲さんのことを円って名前で呼んでしもた。頬に涙の跡を残して笑う東雲さんが、やたらと幼く見えたもんやけん。
「僕のこと、円って」
「嫌やった?」
ちょっと心配になって尋ねると、円は首を横に振った。
「呼んでほしかった、円って」
ああ、円、また泣きそうな顔して。
円は初めて会うたときから大人っぽくて、7つも年下やと思えんかった。
みんなが円には一目置いとった。僕もそうやった。どんだけ親しいなっても、名前で呼び捨てにしようなんて思いもせんかった。
でも円は、僕に甘えたかったんや。これからは好きなだけ甘えてもらおう。
僕はカップを開けると、アイスクリームをスプーンですくって円の口に入れた。 円の好きなラムレーズンのアイスは、食べごろに柔らかく溶けとった。 口の中でアイスを舐めた円の目から、また涙があふれてきた。
「円は泣き虫やな」
僕は円の涙を指で拭った。
「僕も、呼びたい。遥って呼びたい」
円は声を詰まらせながら言うた。僕は「うん」とうなずいた。
円、ごめん。ずっと寂しかったんやな。
僕は膝枕をしながら円の髪をなでた。気持ちよさそうな笑い声が聞こえた。
ほんな声で笑うんやな、知らんかったよ。
円と二人でおるこの部屋だけ、違う世界みたいやった。
僕ら二人だけの世界。
ここにおるときだけは、円が一番。円が、唯一。
ごめんな、静。