価値の選択
鈴木謙介が用いるキーターム。倫理研第1回(倫理研第1回: 共同討議 第2部(2))と倫理研第2回講演(倫理研第2回: 白田秀彰 講演(3))での白田秀彰の「保守主義(サイバー保守主義)」や「伝統主義」といった言葉で示していた、「社会がそもそも持っていた価値(正義)」を遡及したうえで、情報社会の設計を行っていくという主張と通ずるもの。
鈴木謙介はハワード・ラインゴールドの「スマートモブズ」に含まれる「サイバーリバタリアニズム」的な性格を読み取ったうえで、「そこには価値の選択がない」と批判する。
鈴木謙介「『価値の選択』を前提とした社会構想」(2003年)
http://www.glocom.ac.jp/project/chijo/2003_12/2003_12_12.html
「価値の選択」とは、ある社会の姿を構想するにあたって、それに先行しなければならない価値をあらかじめ選択しておくことで、政治哲学の中では「基礎付け主義」と呼ばれるものだ。
またレッシグの『CODE』でのアーキテクチャ論や、そこから引き出されるクリエイティブ・コモンズなどの運動について、
彼の主張の根幹は、「アーキテクチャの操作によってネットは完全な管理のツールとして利用すること『も』可能である。そのときに、われわれアメリカ人はそもそもどのような社会のグランドデザインを価値的に選択したのか、それを憲法起草時にまでさかのぼって思い出せ」というところにある。
と述べている。
こうした「価値の選択」という提言は、以下2点の問題にかち合うことがよく指摘される。
日本社会論:
日本社会においては憲法を市民が自ら選択したという原体験を持たない不十分な立憲政体なため、そもそもこの社会はいかなる価値の選択をしているのか、という理念的思考が風化しがちであるという点。
後期近代(ポストモダン)論:
再帰的あるいは自己言及的なシステムの作動においては、そもそものシステムの作動を駆動したきっかけである「イニシャルステップ(的な価値)」が不要とされる。ゆえに後期近代においては「価値の選択」を行うことが困難となる。