2023/09/16-2023/09/20
Kindleで
単行本派ではあるんだけど、youtubeで
リアクション芸
体育会系
▷いや、なんでこんな文章というかシミュレーション、頭の中でねちねち考えたんだろうな…… とりあえず、考えちゃったからには、頭の外に出さないとすっきりしないというか、安心できないから出すけどさ……。
《その跳ぼうとする行為 それがギャンブル》
ミサイル時の防御姿勢の講習のはなし。
・爆心地だったら、即死だからたしかに無駄だというのも分かるけど、その周辺のそれなりに広大な領域で、それをするかしないかで助かるかどうかが変わる領域はあるのだから、知っていて無駄にはならない情報のはず。実際には。
→しかし、感情的な反発感もわかる。
一つには、被害が起きたときの軽減策、というのは、起きた時点でマイナスであり、根本的な解決になっていない感覚があること。
二つには、ダメなときはダメ、ということは、した努力が無駄になるかもしれないということ。
三つめとして、ミサイルを撃ち落とす、それ以前に発射基地をなんとかする、外交的に相手を降参させる、等、なんらかの “より上流工程での対策” がなされる約束や、なされているお知らせがないなかで、末端市民への協力要請が起こることは、「あらゆることを現場の根性論でなんとかさせようとしている” のではないかという不信感を与えることになるから。上層部の怠慢や無策による、戦略段階の不利の皺寄せを。
……、で。「感情的にイライラすること」だからこそ、冷静に対応しないといけない。
「女性ならではの感性」に猛批判「絶望的に古くさい」 内閣改造で新閣僚巡る岸田首相の発言に潜む感性 …
東京新聞までいいだしたけど、東京新聞の過去記事で「女性ならではの視点」「女性ならではの感性」とか検索したらだめだぞ!!!絶対に!!!
⇒細かい点だけど、「〜ならではの視点」ならよくて「〜ならではの感性」だと駄目、という観点はあるのだと思う。それは、「男は論理的、女は感情的」と言われてきた文脈を、感性、は思い起こさせてしまうから。
(視点、なら、「こういう施設での女子トイレは、こうなっていてくれないと使いにくいものですよ」みたいな気づきみを指しうるから、ずっとマシになる)
ただまあ、かなりグレーな領域を、今までマスメディアがポジティブな文脈で煽りまくってきたことも事実でしょうから、そこはちょっと恥じらいというか、反省がほしいよね。
▷そう、バイブルサイズって、表紙(バインダーの)のサイズは魔法的に良いけど、リフィルのサイズはすごく狭いよね……。
▷あのリフィルのサイズは、「正方形の付箋を上下に2つ貼れるよ」くらいの面積なので、「あとで綴じれる、ポストイット・フリーライディング」のつもりで使うと使えるのかもしれない……。 (情報カード3×5でええやん、って言われそうだが) まあ、私も続きませんでしたが。
▷ノウハウの群れって、別に体系化しなくてもいいとは思ってるけど、バラバラなTipsの寄せ集めだと、覚えていきにくいし、適切なタイミングで思い出すのも難しくなりそうではあるんだよね。
▷ロシアと北朝鮮って、隆で国境を接してた
の.....
▷〜 く停戦は、>〜<戦闘を何度も阻止した
が、停戦のたびに、彼らは次の戦闘に備えて新たに部隊の兵員を補充し、訓練し、装備を整えた。これによって戦争を長引かせ、死者数を増やし、破壊の範囲を広げた>
人類は救えないな......
▷完全平和を作るためには条件がある。一つは全ての兵器を排除すること、もう一つは人々から戦う意志を取り除くことだ。byゼクス・マーキス。
▷死ぬほど死んでからじゃないと、和平ってできないのかもな。
▷まあそんでこれは、「当事者が気の済むまではやらせる」ということだから、開戦時・紛争時に大きく不利だった側の住人は、滅びるって形以外では戦後の繁栄はないということになる。降参しても戦後に民族浄化とかが起きかねないことを考えると、なんとも救いのない話だ。
▷まあそんでこれは、「当事者が気の済むまではやらせる」ということだから、開戦時・紛争時に大きく不利だった側は、滅びるって形以外では戦後の繁栄はないということになる。降参しても戦後に民族浄化とかが起きかねないことを考えると、なんとも救いのない話だ。
▷この人は、難民についても、それぞれ別の国に受け入れてもらって、そこで移民として定着していく以外に戦後はない、というようなことも言っているので、つまり、焼け出された人はいずれにせよ元の土地に戻ることはできない、と見切っている…、こちらもまた、救いのない話。
▷ばりばりに細いズボンがいま流行っていないし、そもそもあれは暑苦しかったり窮屈だったりするので、体に沿うていどの細さのズボンにしようかな、という気持ちになることもあるけど、脚の形があんまりよくないので、そういうズボンは難しいんだよねー。
▷膝が出てるし、全体にO脚だし、ふくらはぎやや太めだし、数字の「3」みたいに膝下だけでも「O」な脚だし、そこに「やや細」なズボンをはくと、ふくらはぎの外側に面の当たり感が出たり、膝下がストンとしたシルエットにならなかったり、なかなか納得いかない感じになったりする。
▷自分ChatGPT脳ライティング、とまで極端じゃなくても、ある一定の場面で、「大自然」「命の大切さ」「人間ドラマ」みたいに、深く考えなくてもぽっと出てきやすい、特定の語彙はありますよね。紋切り型とかクリシェとか呼ばれるような。
▷『知的生産の技術』だったかの、「手紙」テーマのところで、そういう語彙だけで手紙が出せるのはいいことだ(った)みたいな章がなかったっけか。
▷「と目を細める」「と胸を張る」(新聞風)
▷「議論を呼びそうだ」w
▷「いかがでしたか?」←!
▷「遺憾である」「前向きに対処したい」
▷こういうのの、究極的に時間の選別に耐えちゃったものが、「清水の舞台から飛び降りるつもりで」みたいな慣用句になっていくのだろうな。
▷「ひとりひとりができることを考えたい」
▷「待ったなし」
「全米が泣いた」とかもそうか。 なんか【ゆるぼ】したくなってきたな。
「たちまち起こる剣戟の響き」とか「よってらっしゃい、見てらっしゃい」みたいな、“しゃべり”が主導するものもあるな。
▷VTR= Video Tape Recorder
▷テープ。
▷もともと自分にそういう傾向があったのはもちろんとして、物語を読む中で、主人公のすごい長所として「集中力」や「意思の強さ」みたいなものが描写される物語にたくさん触れたことで、「そうか、自分の中のこの要素は尖らせるべきなんだ」とら思ってしまった時期が若い頃にあったのもまた間違いない。
主人公特権ならぬファンタジーオブヒロイン
千葉:小説の中で細かに描いていることって、時代の風俗を描くためのうんちく程度に思っている人が多いけれど、実はもっと深く人のあり方に関わっているんですよね。実際、速水さんはラーメンというものから時代精神や日本人のトラウマを炙り出しているわけで。
速水:『エレクトリック』では、オートマ限定の免許とマニュアル車を運転することの意味の話も出てくる。ギアをセカンドからサードに入れる方法を細かに説明することで、人間が主体的に機械を制御することの意味を語っている。僕と同世代からオートマ限定の免許制度がスタートしていて、マニュアル車に乗るのは、マニアだけっていう時代ですけど僕はマニュアル派です。
千葉:すべてが自動制御になり、最終的に映画『マトリックス』のように人間がただただ快感のスープに浸かっているような時代になることに対する抵抗が、僕にはすごくあります。昔のマッキントッシュはすぐに調子が悪くなったりもしたけれど、そこで何度も再起動したりとか、面倒な関わりをすることの中に人間的な自由もあると思うんです。これまでもずっとそういうことを描いてきたし、これから先もずっと描いていくと思います。
例えばタバコで言うと、マルボロライトメンソールについて語ると、2000年前後の若者文化が立ち上がってくる。
速水:タバコの銘柄はそれだけで文学が立ち上がってきますね。学生運動の時代の小説には必ず両切のピースの話が出てくるなって思ってました。
千葉:リズムや構成は音楽的なイメージで作っていますね。文章に韻文的なところがあると思うし、ある描写の後に外し的な台詞がきて、外れたところで回収せずに次のシーンにいったりとか。音楽では和音が外れたところで綺麗に回収しないまま、次の展開にいった方がかっこよかったりするし、ゴダールの映画のモンタージュも回収しないまま進んだりするじゃないですか。そういう感覚は、僕にとっては因果関係よりも重要です。一つのショットの中にあるオブジェクトや空間構成が次のショットにどう影響を与えるか、とか。
千葉:ワープロの登場時は、それによって書き方や思考の仕方も変わると指摘している本がありました。奥出直人さんが1991年に書いた『思考のエンジン―Writing on Computer』などがそれですが、ワープロによって組み替え可能性が高まって、時間体験や空間体験が一本筋で進んでいくリニアなものじゃなくなるという発想は、当時はすごく斬新でした。ドゥルーズ=ガタリの「リゾーム」という概念は、大まかに言えば、どんなことでもつなげられるという意味ですが、ついにそれが実現されたみたいな感覚があったわけです。でも、今はそれが当たり前になっていますよね。当時、多くの人が抱いていた、複数の可能性が同時に広がっていくことに対するワクワク感や、何がどう繋がるのかわからないということへの期待は大事にしたいです。
速水:後の世からはツールの移行期に何が起きていたのかは、掴みづらい。Windows 95が登場してインターネットが普及したみたいに、かなり混濁した記憶が定着してしまう。本当は、ちょっと前に実は重要な変化が、いくつか同時に起こっていたみたいなことが多い気がします。
千葉:そうですね。iPhone以降、マルチウィンドウは実は効率が悪いという風潮になって、コンピューターもシングルウィンドウ化が進んでいるじゃないですか。でも、マルチウィンドウはすごく衝撃的な体験だったし、僕は再評価すべきなんじゃないかと思っています。マルチウィンドウは現実世界のデスクの素朴な反映なんですけれど、画面の中に画面が複数あって、それをつまんでズラしたりできるという体験は驚くべきものでした。コピー&ペーストと同じくらい偉大な発明だったと思うんです。
速水:コンピューター上のデータは、テキストであろうが画像だろうが自由にコピー&ペーストができるって、そもそも強烈な思想ですよね。セキュリティー側とか権利強化の発想とはもともと相容れないはず。最近は、スマホ世代がコピペに頼らないとか、自明なものではなくなりつつある。
マルチウィンドウは、常にメタ意識があって、後ろや横にもウィンドウがあるというイメージですよね。だからこそ、80、90年代の「なんちゃって感」だったり、ちょっと引いた視点からのアイロニーが成立していたんだと思います。
⇒タイプライターモードとか、ワンアウトラインとか、画面がシンプルになって集中できることがどちらかというと、技術好き界隈では歓迎されていた傾向があった気がするけど、そうでもないのかな。
「話すように書きたい」派、「書くように話したい」派。
⇒これは中学生くらいの頃から考えていた。口でしゃべる時にも、難しい用語は出てきてしまうし、丁寧語でしゃべる。
それでいて、書き文字であっても、ライブなリズムと強いエモーションがなった状態で書く。
「一夜の無政府主義より数百年にわたる圧政の方がましだ」アラブの格言
●同じ店から買うな。同じ道を歩くな。
客がこの店のモノを必要としていると気づかれれば、店は強気に出る。従ってこのような表現になるようです。
⇒みたいなものもあるそう。
また、韓国の「韓国漫画博物館」ではデジタルの漫画原稿データも公的にアーカイブするようにしているとのこと。その理由は「漫画家本人だけに任せておくと、PCトラブルで頻繁に原稿データを削除・紛失してしまうから。」なのだそうです。・・・あ~、まあ確かに😂
リビアの水害に救援を、なんてオバマが言っているけれど、アラブの春以降、シリア、エジプト、リビアでどれだけ人が死んだか。エジプトなど一度ムバラク政権を倒して、選挙をするとムスリム同胞団が勝って、イスラム法を志向したので、軍部がクーデターを起こして、一周してしまった。シリアでは、反アサドにテコ入れして、シリア不安定化させると、イスラム国が跋扈して、イスラムの恐怖政治を行い、いまだにグチャグチャ。リビアでは英米仏でカダフィを打倒したら、無政府状態で大量の黒い人が雪崩れ込み、それがヨーロッパを目指して、地中海を渡っている。今回のランペドゥーザ島の事件など、その一つにすぎない。シリアなど、中東にしてはそこそこ文明的な国だったのに、いつ安定が戻るか分からない。その大量の難民はトルコへ、そしてヨーロッパへ向かったのは周知の事実。何とかなったのはチュニジアくらいです。プーチンは自国のことは分からないみたいだが、アラブの春で、米国が触れたものはみな腐る、と言っていたのは正しい。それで、リビアで二万くらい死んだので、救援をなんて言っているが、オバマのために死んだ人は、そんな数ではきかない。完全なカオスより、曲がりなりにも秩序がある方が、一般人にはよっぽど大切なんだよ。
とりあえず、現状は独裁で秩序を保っていた方がマシだったと言えるくらいに悲惨です。未来永劫に渡って強権政治を必要とするかは、その国の人が決めれば良い。国際的に問題になるとか、他国の脅威であるとか、ドイツみたいにユダヤ人を組織的になぶり殺しするのでなければ、その運命に責任を持つ者が決着をつけるべき問題で、他国の問題ではありません。わたし、人権が世界共通普遍的であるとは思っていないから。日本人の場合は、日本人が努力して試行錯誤した結果しか人権は担保できない。それが現実。日本だって、たかが400年ほど前は殺し合いで決着をつけ、江戸時代になった。その後、幕府を倒して江戸開城、明治新政府、西南戦争、書いていたらキリがないけれど、日本人で決着をつけて来たんです。その場所が、日本で言う戦国時代なら、400年待つべきです。米国は政権を破壊しても、その後の尻拭いはしない。米国の、中東改造計画はほぼ全て失敗です。
さらにルトワックは韓国について「日本が謝罪しても無駄だ。彼らが本当に憎んでいる相手は、日本の統治に抵抗せずに従った自分たちの祖父だからだ」と看破しています
ドイツと戦ったユーゴスラビアは戦後ドイツ人を歓迎したが、ドイツに抵抗しなかったオランダでは戦後の対独感情が悪かったようにと
「女性ならではの感性や共感力」はほんとうに下手ですが、「女性だから」登用したわけではないと言おうとしたからこそこうなるんでしょう。「女性だからというわけではないが数やバランスは改善すること自体に意味がある。ぜひ女性ならではの視点をいかして仕事をしていただきたい」ならどうだったか。
バランスやクォータの充足を急務としつつ、「女性だから」という理由で選抜したのではないことをいかに説明するか、色んな組織でこれから苦心させられるところで、「岸田、馬鹿なやつ」と言ってればすむ問題とも私には思えないですけどね。
「あくまで適材適所です。女性が多い?組
閣にあたっては性別は全く意識せず能力で選びました。数で言ったらまだ少ないでしょう、半分以下なんですから」がもちろん模範的解答なんですが、こういう模範解答をさらっと言える政治家への免疫は確かに本邦人士においては低そうな。
⇒まあ、確かにね……。
能力で選び、適任だと思ったからです。増えていくこと、は正しいと思いますので目指していきたいです、ということを、同時に伝えないといけないからね……。
必然性というか、昔はなかったはずなのに、昔からあったようなというか、ああまさにそうあるはずだなあという感慨を人に与えるものを古典的というとしたら、道頓堀のあの写真、まさに古典的なたたずまいを感じるな。 まずは最大限を要求して「無理!」と断られたら「だろうね」と応じて交渉して決めていこうとするカルチャーと、最初から狙いすました「妥当なライン」を提示しようとするカルチャーの違いってあるよな。後者の者に会うと「こんなこと要求された!」とショックを受けるというのもよくある。
多様な意見に基づく議論がそこにあるかどうか
地域のケース会議、児童心理治療施設のSVを数年やって気づいたのですが、子どもが「寂しさ」を基に問題行動を起こすと全て「愛着の問題」に捉える傾向が福祉、教育(+一部医療者)にあるように感じます。
寂しさ含む曖昧な感情を抱えきれないことは愛着の問題と単純化するのではなく、情動調節や関係性の問題、感情のラベリングやコミュニケーションの問題ともう少し因数分解して考えて欲しいところです。
しいていうと、エヴァも進撃もリゼロもそうか、SAOもやや、など、終局面で、「女に救われる」という原型があるのはなぜだろう。しかもこれはゲーテのファウストやダンテの神曲における「女に救われる」というのとは、「女」の位相が異なる。
⇒んー? そんなに厄介な問題かな。そういう物語を求める欲求というか、快感のツボって当たり前だと思ってたけど。
この世界に存在すること、この世界でしていた努力、に承認がほしいんだよ。
ある意味ではグレートマザーなんだけど、女の人との関わりに、社会の代表者としての姿を見ている。社会の、入り口で、典型で、トップタイアーとしての。
それはある意味では、裏返ったエディプスコンプレックスなのかもしれない。抑圧してくる社会の象徴である父を打ち倒すのではなく、すべてに無関心で打ち捨てられる荒野のような社会の中で、オアシスというか、「ここにいていいよ」「生きていていいよ」という承認なり肯定なり許しを与えてくれる存在。
それを探し彷徨うことが生きる理由である、みたいな。
「あなたのやってた、それでいいよ」とかかな。
そういえば、『ダイの大冒険』の漫画のなかで、バランとソアラの出会いのシーンが、当時すごく好きで印象に残ったんだけど、あそこで何を会話してたっけ? 何をしてもらってたっけ? と思って読み返すと、そこはほんの1ページというか、ほぼ1コマだったんだね…… (Kindle7巻、位置185/298)
個人的な感覚ですが、毎週のように話す場に臨んでいることで、箱の中身が日常的に充実してくる感じはあります。
⇒我々は、そういえば世間話が苦手な人間ですが、それもいつもやっとくと箱の中が充実するかもしれませんね。
最近の生徒の注意された時に「え?何か私に言ってるんだけど〜」みたいな半笑いで友人の方向いてヘラついてる態度がめっちゃ嫌い。
わかってくれる人いる?
「あ、この子、注意されることへのストレスを自己で処理できないから情動焦点コーピングしてストレッサーを自分の世界から切り離しつつ自分と近い考えの人間に同意を求めて安心しようとしてる!エコーチェンバー効果だ!」
って思ってます。
⇒ぼっちちゃんが奇声を上げながら妄想しているようなもんなのか
⇒陽キャの側の、パニック発作なのか
歌詞(前前前世)
「遅いよ」と怒る君 これでもやれるだけ飛ばしてきたんだよ
⇒なんか、このシーンが、私にとって主観として(脳内で)リアルなんだよな。俺は助ける、俺は頑張った、なのになんか知らんけどよくわからん理由で不機嫌な顔になってて、「遅い」と文句を言ってこられる。
そういう不条理さを女というか異性というか他者に見ている。それでも魅力的なんだけど。
アニメの見過ぎなのかもしれないけど(ある意味定番、暴力ヒロインくらいの時代から)、それだけでなく、私側の要因もたぶんある。
相手の様子に常にガッツリアンテナを張って、「ああ、これをしてほしいのか」と感じられたことをするわけじゃないから、努力がプロダクトアウトで、それが受け入れられるかどうかがギャンブルになってしまう、そんな生き方をしているせいもあるかもしれない。と。
生きていくなかで何かや誰かを選んだということは、その分だけ他の何かや誰かを切り捨ててきたということだ。切り捨てるものが多ければ多いほど、影は大きなものに、恐ろしいものになっていく。影の問題が切実なものとして感じられるのなら、それは一生懸命生きてきたということの証なのかもしれない。
北米・北西ヨーロッパについていえば悪魔崇拝者が実際に大きな事件を起こした例はほぼ皆無。ヤバいのは悪魔ではなく自分がキリストの使徒とか再来とか名のる教祖をいただく
カルトや、「悪魔主義者」と決めつけた人々
への組織的迫害を行なう連中
ボールをタスクの比喩で捉えてる人(今誰のところでスタックしてる?)と、ボールを権力の比喩で捉えてる人(誰がパスを出せる人なの?) とが、分かれてきてるのも面白い。
「戦争を起こしてはならない」に全振りしてきた思想が「起きてしまった戦争」について何も意味があることが言えないのは当たり前で、これはわざわざ聞きにいくメディアが悪いと思います。
身近な例で恐縮ですが、私の母は年季の入った反原発の人で私も80年代、子どもの時分には反原発デモに連れていかれたりしたわけですが、福島の事故が起きた時の母の第一声は「我々の力及ばず申し訳ない」でした。これはこれで滑稽のようでいて筋の通った思想の言葉なのだと思います。
⇒「絶対に●●してはならない。だが万が一●●になるときは、あらかじめ○○のルートが準備されていなくてはならない」という要請、文化の持つダブルスタンダード性とでもいう感覚がある。中二病のころ、気持ち悪くて仕方なくなるやつ。 同じ景色を見てくれなくて何が家族なんだ、というのは分からないでもない。大体、育児初期は対処療法の繰り返しになるし。しんどい景色を共有した上で「さっさと分業してさっさと自由時間確保しよう」に変わっていくといいんじゃないかとか思うが、そんなに綺麗にいかないことの方が多い気もする。
学部時代は家族法が好きだったのだが、ナポレオン法典の「父の捜索を許さず」規定は特に面白かった。分娩によって自然に母になる女性に対し、父親という身分には常に根源的
不安定さが付きまとう。その関係ははなからいわば「嫡出推定」であり、フィクションなのだと(DNAテスト以前の話)。
法的な意味での婚姻というのは徹頭徹尾、「父」を推定するための制度だったんだろうなと。そんなもんいまやもはや要らんだろう
という議論はそれはまあ出てくる。
貞操義務(正確には避妊義務)とセットになった摘出推定、つまり「婚姻期間中には、妻が産んだ子どもは問答無用で夫の子どものとする」仕組みが婚姻のコアなので、そのコア
中心に組み立てた婚姻制度に加入したい人が今後そんなに増えないというのはまああり得る話なんである。
以前、はてな階名ダイアリーだったか....
「結婚制度ってのは生まれる子供の摘出推定のための『権力による、関係性の(やむを得ざる) 規制』なんだ。同性婚という制度がないのは、権力がその関係性を規制する必要がないからだ」という主張があり、印象に残りました
⇒そういえば、再婚禁止期間なんてものがあったんだっけか。
確かに、飲み会に関する嫌悪感、ある種の公正世界仮説的な前提を感じるというか、「ずるい」的な批判が混じってそうですよね。
試験がフェアであることは必要ですがフェアな試験で資源が分配される範囲なんて人間世界のうちの極少なので、「コネでなんとかする技術」も世渡りには明らかに役立つのにそれが許せないというか、「世界が学校のような(フェアな試験で順番が決まる)場所」であることへの期待が強すぎるというか。
企業の場合はダメかどうかは最終的には市場が決めるでしょう、ということです。
大学教員が飲み会によく付き合ってくれる学生を成績認定で優遇したら完全にアウトです
が、企業の上役が飲み会によく付き合ってくれる部下を優遇するのは何の問題もなくて、この違いは割と大きいことなんですよね。
あと、「教員が話してる時に寝る」ことより、「同じ立場の学生が話してる時に寝る」
方がリスク高いよという話はする。教員は寝られるのに慣れてるけど、普通の人は自分が話す時に寝られると腹が立つし、それで恨みを買うリスクとか普通にあるからね、と。