2021/10/21-2021/10/31
シャンプーを一度切らすと、数日間そのまま
・その場では買うこともリマインダーすることもできない
・シャンプーボトルを目にする機会が、使うタイミングくらいしかない
しかも睡眠を挟んで、買う行為が後、ということは実質的に“1日の中では後”
忘れるわけだ。風呂内でスマホ、使えないしね。指が濡れてたら操作がきかないし。
今週1週間ほど、ツイッターがおもしろくなかったのは、選挙が近くて、みんなの関心ごとがそこに集約されてしまったからだろうか。
熱血医師や熱血教師
安打数と打率
三振は出る
打率は100にはならないし、得点圏打率や逆転打席・最終回打席の打率だって、そうは上がらない。
むしろ、自分の生を、確率の数字として扱ってしまう態度が求められてしまっている。
2:6:2でなく3:4:3中央値付近の4割を、共感や正義感のくびきから断ち切りたい
文句を言わせろ、文句を言われろ、というのは記者会見の本質ではない。
質問にいちいち答えるのがめんどくさいから、個別の取材依頼はお断りする、というのが1番の存在意義のはず。マスコミと取材対象の妥協の産物。
視聴者にとっては、マスコミという安価な流通網を通じてコンテンツを受け取れる。
マスコミ各社は画像素材をいったん入手できる。
それでよい。
↑のページでは、↓数行分の、「何を(誰が(いつ?))読んで思ったことなのか」という導入を省いていない。話の枕。
書きたかったのは、切り出したかったのは、3つの箇条書きの部分なので、atomic情報カードとしては、なくても通じる。でも、消せない。
ブログを長く書いてきたからその癖なのか、あるいは、そのコンテクストなしではイメージが思い浮かべにくくなるだろうというサービス精神なのか。
デリダ
すごくワクワクする。と、同時に「我に帰ったら、これなんの役に立つんだろう? とも思うんだろうな」とも思った。
脳内で並行して。すごくワクワクしつつ。
そう、こういう抽象的な思弁は、なんだかんだ役に立たなくても、
そうかもしれないけど、だからなんだ
たしかに刺激的だけど、その思索をどれだけ進めても誰も得しない
エクリチュールはパロールと違い、より広い範囲に散種する
それだけ楽しく感じつつも、1行読むのに必要な思考負荷と、残りの膨大なページの厚みを見て、「これ、たぶん、読み通せはしないだろうな。読みきれないまま、図書館に返すことになるんだろうな」とも思う。
買って本棚に置いておいて、ときどき取り出して2・3ページや読む、という読み方ならちょうどいいだろうか?
140文字めいっぱいを使ったツイートは、「文束」とと「文章」の中間にいる。「文たち」とか「文塊」とか呼んでもいいかもしれない。
タイムラインが面白くないのは、選挙が近いせいかなあ。
(2)で急に問いとしての絞りが少なくなった。
「見出し」が徹底的に疑問文。
ある意味ではトップダウン
⇒ラクさがある閾値を超えると、使用者の感覚として別のものになる。
2021/10/27 8:30
⇒フリーライティングの文章は、流れるスムーズさが弱いだけでなく、すぐ尽きてしまう。
⇒興奮している間だけ、頭の中のノイズを忘れていられる。
書けることはあるかもしれないけど、書きたいこと、書いたらいいこと、がない。
⇒切断があってこそアイデアも浮かぶというか、
⇒広く構えて後で切断じゃなく、コンセプトがないとすべてがノイズの海に埋もれて出てこれなくなる。
権力者は人格者であるべき、人格者ならこんな事態を見過ごせないはず、だからやれ
ではなく
こういう種類の不幸は助けるってことで、民意の過半数賛成してくれますよね? では予算はどれだけつけて、具体的に動く人は誰にしましょうか。
っていう意識の持ち方になるべきでは。
それを考えることも含めて役所と政治家の仕事で、税金から給料貰ってるんでしょ、というのはちと違う。
「海」の作文、その文脈の流れかたで、BUMPの歌詞を連想した。あっちは構築的に書かれたのだろうし、反対のことを言っているというより、少し変えることで言葉を印象的に響かせているという感じだけど。
そこに必要な文脈の流れがあるという点で。
Q.たい焼きが好きなキャラクターと言えば?
娘:えむとマイキー
私なら……、あゆ、かな。
読書、日記。
午睡と逍遥、どっちがいいかな。
一方、この場面の軸は亮とモネだったので、方向性を分けて撮ることにしました。
モネ方向を先に、亮の方向を後にしました。清原さんや蒔田さんは圧倒的に一発目に驚異的な集中を見せる役者さんです。また、二人はその時の人物の考えていること、心理状態などを確認したら、それを腹に落として人格ごと表現してくるような演者です。
そして永瀬さん。歌手活動や演劇などライブの舞台経験を豊富に持つ方によく感じる表現の強さ、たくましさを、彼もやはり持っています。繰り返し演じても鮮度を失わない、それどころか、やればやるだけ登ってきてくれる人です。二人の芝居のよさを抽出するためにも、2回に分けて撮影することを選びました。
これは、読者にとって大切な「資産」である「銀行預金」が、銀行にとって「負債」になっているのと同じことである。預金量が多い、つまり負債の多い銀行のことを「過大借金銀行」とネガティブにとらえることがあるだろうか。むしろ預金量が多いことはその銀行の信用の高さを表すポジティブな材料として使われることの方が多いはずだ。
⇒「家計に例えるな」という話はちょくちょく聞くけど、銀行に例え直すだけでこんなに伝わるのか。
日本のギリシャ化を防ぐ意味でも、国債発行は国内の資金で賄える範囲にとどめるべきである。ギリシャのように海外保有比率が極端に高くなるくらいなら、日銀による直接引受の方が他国に生殺与奪を握られないという点において、ずっとましだといえる。
⇒直接引き受けなー。
「給付金」の乗数効果は限りなく低いこと、そのような「給付金」をコロナの影響で傷付いた社会の原状回復のために使わなければならなくなった今こそ、「限られた予算の効率的な分配」が求められていることを政治家達は肝に銘じるべきである。
⇒ただたぶん、「乗数効果」の高いところに選択的に投資する、というのは一定の不公平感や運用者への不信感を生むだろうし、「富める者がますます富む」(というか、富むためのスタートラインにたまたまいた人や、元手を大きく膨らませる能力を潜在的に持っていた人)が極端にメリットを受けることになるんじゃないかなあ。
能力、環境、条件、そういうものにあらゆる面で恵まれておらず、ただ生きてるだけ、絞られてるだけ(税金を)、という人の支援になっていかないと、政策は難しいという気がする。
しかし、私はそのメモ帳たちを捨てられずに残している。たまに読み返すこともあるが、それで特別なイベント──たとえば「劇的なアイデアとの邂逅」──が起こるわけではない。ただ、懐かしく読み返すだけだ。
情報とは面白いものである。書かれたものは固着されていて何一つ動いていないのに、たしかにその性質は変化するのだ。当然それは、情報を受けとる私たち自体が変化しているからだ。
子どもの頃はらくがき帳にお絵かきをするようにOfficeソフトで表やテキストボックスや図形を作って遊んでいた。手書きでやると到底美しく描けないものを、パソコン上では本に印刷されたもののように美麗に作れることが大変な感動だったのである。定規で線を引こうとしたら指先が出っ張っていて線がぽこっと歪んでしまうということもないし、四角の中に収まると思った文章が収まらずに最後だけ無理やり細かい字で詰め込むという羽目にもならない。
年月が経った今見直しても、きちんと図化までしたものなら意味がわからないということにはまずならない。
一方Excelとの付き合いはWordとPowerPointに比べるとちょっと難しいものがあり、いくつもファイルを作っては挫折し作っては挫折しを延々繰り返していたが、それでも常に仲良くなる方法を考える対象としてあった。
新たな概念、新たな思想が世に生まれるたびワクワクしてそれらを試していった。一所にとどまることなく、次々と。
とても楽しい日々だったと思う。現実の人付き合いや仕事ではかなり苦しい立場に置かれ鬱々とした日々があっても、デジタルツールの進歩を感じる瞬間は未来を明るくしてもらえたような気がして少し元気になった。痒いところに手が届くようになった、という晴れやかな感動はなかなか他のものでは得難く、いつか掻いてもらってスッキリさせてもらうべく痒いところを探していたふしさえある。
人の思想に幾度も染まり直したことは私に多くの学びをもたらし、それは今の私を作る大切な蓄積になった。そこに、十年前に置き去りにした私の素朴な思いと望みを重ねて、今こそ自分らしいコンピューターライフを送ろうと思うのである。
そして今再びOfficeソフトを開いている。WordもExcelもPowerPointも、今になって機能を眺めるとなんとすごいソフトだろうかと思う。自分にアイデアさえあれば、その多くにOfficeソフトは応えてくれる。できると思っていなかったことが(使いこなしている人は当たり前に使っているかもしれないが)実は色々できるということにも気がつく。
いくらOfficeソフトが柔軟でも、例えばExcelに無理して長文を書いたりするようなことは得策とは言い難い。
仕事道具くささを除去するにはどうするのか、
配偶は、東京ではとても難しいことになっており、出生率はその影響をモロに受けている。
財務総合政策研究所の資料を引用すると、東京の25歳女性の未婚率と合計特殊出生率は、どちらも全国で最も低い数値となっている。 なお、この資料には未婚率と合計特殊出生率、転出超過の地域と転入超過の地域と合計特殊出生率の相関についてなど、面白いデータが並んでいるので興味のある人はリンク先をどうぞ。
⇒出生率と未婚率がほぼ回帰直線で相関している。
そうすると、自然な反応として、「結婚願望や早婚願望を煽らなければ、少子化は解決しない!(〜すれば、…する)」という思考になる。
あまりに、「少子化を解決しなければ、少子化は解決されなければ、ならない」という気持ちが強すぎるからだろう。
しかし、この相関関係には、逆向きの因果も存在している可能性がある。すなわち、
「子供を持つことを指向しないのなら、女性が結婚に進む必然性がない」
これだと、ナッジ程度にちょっと願望を煽ったところで、効果は知れている。
これだと、ナッジ程度にちょっと願望を煽ったところで、効果は知れている。
それに、この流れは、ちょっとナッジ程度に願望を煽ったところで堰き止められるものでもない。
昔の村落共同体では、「新規情報の解放」みたいなことが、身近な人の子供の誕生を通してしか発生させられなかった部分があるだろう。
現代では、翻って、これだけ情報社会とサブスクリプションが行き渡って、退屈をしのげるようになってしまったら、そんなに必死に新しい体験を指向しなくてよくなってしまうよね。
なので私としては、万難を排して『ダーウィンが来た!』東京ホモ・サピエンス編を放送していただきたいと思う。 地上波では難しいようなら劇場版でもいいです、観に行きますので。
⇒そこまでかw
「そういう大文字の議論も良いが、研究者にとっての本丸は、研究教育を取り巻く誤解の払拭と早急な実態の改善にこそあるはずだ」。
皆がいきり立っているときに「大した問題じゃないでしょ」と言ったら、いきり立った双方から攻撃される。ある意味、最も勇気が要る。