陰口なのか情報収集なのか
陰口なのか情報収集なのか
「私は相手の愚痴を聞くのも嫌いですし、そこにいない人の悪口を言うのも嫌いです」
というと聖人君子みたいに聞こえます。ということはそれは正しい価値観としてみんなに受け入れられているんでしょう、たぶん。なのに人の世から陰口がなくなることはなさそうです。
それは、人の心が弱いせいで、ストレスのはけ口が必要だから、なのかとずっと思っていたんですが、もしかしたらそれだけではないのかもしれない。
私個人は、仮にそうだとしても嫌なのですが、
● 他者の評判を集め、身近な悪い人を未然に避けたり、いい人と知り合うのは大切なこと
という、「生存のための、当然必要な権利としての情報収集」として意識で井戸端会議している人達が一定数いるのではないか。無意識的な、本能レベルでの認識かもしれなくても。
「
〈!↑書きかけ↓!〉
私はそうだとしても嫌なんですよ。本能として。
まず、意図をもって他人を品評しようという発想がゲスだ。
先入観という色眼鏡を持って他人を見ることに拒否感が発生していない根性がクソだ。
さらに、その情報源として、他人の主観の入りまくった「評判」なんてメディアにソースとしての価値を置くという姿勢がクズだ。
そもそも、「不安」だとか「嫌悪感」だとかそういった『感情』にしたがって判断をしたり人生を委ねたりしてもいいという規範を持っていることが邪悪でしかない。
私は「公平」でありたいのだ。
気持ちの上では、私は「素行や身なりの悪い
が隣人になり、仮にその人が殺人を犯して、その対象として自分を選ぶのならこの方針のままに殺されてしまう」ことを選んで進む方が精神的に落ち着くのだ。
(実際に殺される場面になったら、違うことを言うだろうけど)
挙動不審で考えの読めない人
そういうところで、「評判リスクを避けたい」という欲を持つこと自体を不純と感じる。
運命の前で、無防備に突っ立ったまま、
タグ 道徳、善性、噂話、『社会はなぜ左と右にわかれるのか』
from 2019/12/09-2019/12/12