2021/11/01-2021/11/10
#採掘場
どうすれば褒めてもらえるのか。神様から。
日記や手帳への恩義
悪人は祟り神のウニョウニョだけが歩いているように見えるんだろうな。
「(ダメな部分のある)人間」てことではなく。
射倖心とチャレンジ精神は根で一つ
依存を軽度なうちに自分で断ち切れるように
「心が苦しいほうに向かっていれば正解なのだ」と教育するしかない。
重い仕事に手をつけ始めると、受け身が効かなくなるというか、
落としどころとかゴールとか、そういうものがないのが正義
単なる感情だから、「あいつを見るたびに感情が込み上げる」という。
人生そのものをワンテーマに切っていく(ありえた可能性という枝を)
男にしてください」のホモソーシャルな文化や呪いの原動力であって、そういう集団が偏って不自然な文化を作るから、そういう行動が生まれるわけではない。
2021/11/10 8:29
恐怖:楽しめなくなる、生の実相、生を乗っ取られる
恐怖はまた、原動力でもある。脚を止めるだけのものではない。
友達と遊んで何がおかしい
生活を挟んで死の反対側にあるもの
割り算の割るマーク(“÷”)のような。
人生を横に流れる時間として考えたときに、「死の対極」として存在する「何か」のことを思う。
そんなものは、もちろんないなだけど。唯物論的に考えれば、もちろんない。
誰も褒めちゃあくれないし、感謝されているわけでもないし、気分の上向く何かがあるわけでもないのに、頑張りをしながら生きるのは、つらいなあ。頑張りが必要だというのは、辛いなあ。
パスワードが新しいだけでめんどくささが
勇気ってものに憧れるけど、脳の仕組みに「勇気ホルモン」というものがあることはなさそうに見える。
恐怖はある。そこで葛藤もある。恐怖を乗り越えてでもしなければならないことがある気がする。それをやれている人の姿を聞いたことがある気もする、それを“勇気” と概念的に呼んでいるだけで、本当にはそんなものはないのかもしれない。
闘争心とか、大義に憧れる気持ちとかで、無理矢理それを支えているだけで、本当に欲しいもの、ーー勇気ーーなんてものは、ないのかもしれない。
私は、強制されなければ、「みんなのためのこと」なんて、まずやらない。
でも、たくさん抱えさせられれば、すぐにキャパシティーを超えてしまう、
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「中道の沃地」を放棄した立憲民主党 衆院選結果から読み解く選挙戦略と世論の乖離:時事ドットコム
立憲民主党にとってはなるほど芳しくない結果といえるが、本音では50あるいは60まで激減するのではないかとの不安に苦しめられてきた選挙に強くない議員にしてみれば、いろいろあるが「まずまず」ではないか、と天邪鬼(あまのじゃく)風に評価したい。
2015年の安保法制反対が、共産党とのプラットフォームになった気がする。たとえ「違憲部分」に反対なのだと注釈しても、それでは人々の不安感はぬぐいきれないであろう。
また、原発についても多くの有権者は悩んでいるのであって、ないに越したことはないが、されど原発ゼロで気候変動対策も含めやっていけるのかが不安なのである。現状を変えてよくなるとは限らないとの教訓は生きている。
遠藤周作『深い河』
磯辺は生活と人生とが根本的に違うことがやっとわかってきた。
https://note.com/ggsato_travers/n/ne29c26b4ef62
僕も最後は戦力外になって辞めた身だし、引退試合とかもなかったので、最初はなかなか気持ちの切り替えができなかったです。それに、全て納得してユニフォームを脱げる選手なんてほとんどいないのが現実です。
万が一、清田がNPBに復帰できてもあと何年も現役はできないでしょう。いずれはセカンドキャリアの道に進まなければいけません。僕の願いは、是が非でも彼をNPBに復帰させることではありません。
彼がセカンドキャリアに進むうえで、少しでも気持ちの切り替えができるようにしてやりたいのです。そのためには結果が駄目でも「全力でがんばったんだから仕方ない」と思わせてやりたいのです。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/88891?page=4
親としてのそんな悩みを吐露しあっていると、「それはさ、一歩間違えば、教育虐待になるらしいよ」と指摘されました。親の価値観を押し付けるべきではないし、どんなに親が良い環境を用意しても、本人にやる気がなければ意味がない、だから、親は待つしかないのだ、と。
YouTubeのことで頭がいっぱいで、休みの日はゲームに興じる長男。
小さな頃からIT機器に囲まれ、東京に住み、父親は芸人で母親は鬼嫁と世間に称されている。私の小学生時代とは全く違う環境で、私の経験したことのない日々を生きる長男。
彼は、私の知らない道を、すでにどんどん進んでいました。
そこには、どんな未来が待っているの??
私の心配はつきません。
でも、これは彼の人生。彼だけの人生。
私が今、親としてできることは
“これは彼にしか決めらない道なのだ”と肝に命じ、そんな彼の人生を、ドンと構えて横で見守ることだけだ、と旧友との会話で改めて気が付かされました。
『第一印象の科学』
国が工業化されていればいるほど、男性に対する女性の選好は、男性的な顔つきのほうだったのである。(中略)工業化されていればいるほど、女性に対する男性の選好は、女性的な顔つきの女性のほうだったのだ。
⇒“文明と文化が進むほど、男性も女性も中性的なのがモテる” ようになるわけではないわけか。
⇒特に、“モテる男性” は意外だな。コミュニティーで如才なくやれるような、威圧感のない男性が選ばれるようになるわけではないってことか。
『心はどこへ消えた?』
エクセルで日記をつけると、トリセツ的になる。その日に起こったこと、イライラ度合い、気分、睡眠時間、体重をセルに分けて、毎日記録していくと、(中略)エクセルは自分を俯瞰するのに役立つ。
これに対して、ワードで日記をつけると私小説的になる。(中略)ワードは自分の中に深く入っていくことをたすけてくれる。
あれは嘘だ。人格の善し悪しなんてものは、周囲が優しくしているかどうかで決まるのである。
第二に、周りと全然うまくやれない「やなやつ」でも、「ここではない、どこか」で、うまくやれる相手が見つかること。(中略)
だから、誰かの人格を変えたければ、優しくしてあげるほかない。
「サボりたい」と思っている時点で、あなたはいつもと違う。あなたの心は炎症を起こし、発熱している。
とにかく悪夢を消してほしい、その一点張りだった。だから、自分の心に向き合うようなカウンセリングでは効果が上がりそうになかった。
お子さんとかお孫さんにも心配してもらうといいんじゃないですかね」(中略)心が定年することだと思ったからだ。おじいちゃんになって、なんなら介護されることが必要なのだ。
https://cyblog.jp/45710
カードが勝手に歩き出して、「僕、このカードとつながっているよ!」と教えてくれるわけではありません。そのつながりは、カードの制作者が自分で見つける必要があります。その際に重要なのが「カードをくること」です。自分で書いたカードを、後から自分でさまざまに読み返すわけですね。
ここで「豆論文」が効いてきます。他の人にわかるように書かれた文章なので、時間が経った自分が読んでもその内容がわかりますし、しっかりタイトルがついているのでそこだけを読んで高速にサーチしていくことができます。この二つを満たしていない「書き留め」は、見返し・読み返しにまったく向きません。
https://rashita.net/blog/?p=30843
もしアナログノートに記していたとしたら、遠くのものを「つなげる」のは極めて難しくなるので、カードという独立操作が可能なものに情報を固着化させたわけだ。非常にsmartな方法と言えるだろう。
よって、デジタルにおいて同種の考えを採用するならば、まず「つなげる」ことが主眼となる。自分が「この着想は、あの着想と関連している」と感じるその「近さ」(≒文脈)を担保する機能があればいい。
https://cyblog.jp/45722
刺すわけでも毒があるわけでもない「虫」に触れないのはけっきょく「心理的な抵抗」にあうからです。
決して「虫に触る」ことに物理的な邪魔があるわけではないし、数学の難問のような「知力」が要求されるせいでもありません。
「難しい仕事」に手がけることの困難は、虫に触れないという問題に似ています。
ただ手を伸ばせば可能であるけれども、絶対にそうはしたくないと思っているのです。
まずそのことを率直に認めましょう。
ホッとしたとたん、たちまち手間のかかる、疲労の増しそうな「仕事」に手がけるというのは恐怖なのです。
その恐怖を逃れ、スマホの何気ないスポーツ記事で「一息」つく安心感は「クセ」になります。
これは見ようによっては軽い神経症であり、見ようによっては嗜癖的な学習行動でもあります。
https://joshi-spa.jp/1119753
もしも中学や高校で青春を謳歌できていたら、不器用な自分のことだから、勉強をまったくしなかったと思う。底辺にいたおかげで勉強しかやることがなく、その結果、18歳で「人生の続きはここからだ!」と思える居場所を選ぶことができた。まさに、禍福は糾(あざな)える縄の如し。底辺にも立ってみるものである。  社会人になってから、同じような「底辺にいたYO!」という人のカミングアウトに驚かされたことが何度かある。皆さん一様に、口では「黒歴史」だと言いながら、顔はにやにやと誇らしげに見える。  いつか私の子どもが「なんで勉強しないといけないの?」と言い出したら、この「進○ゼミをやったら成績が上がって彼氏もできてハッピーエンドになった女の話」をしてやるつもりだ。
https://hase0831.hatenablog.jp/entry/2021/11/10/200000
家事も仕事もフルパワー!というハイスペックなワーキングマザーには、到底なれなかった。
そんなことを考えながら今に目をやると、転職してもうすぐ3ヶ月、ほぼフルリモートで、毎日同じような日々を過ごしている。朝、娘を保育園に送り出してから始業し、あくせく働き、終業したら慌てて夕食の準備にとりかかる。家族で食事をする。まだ幼い娘をお風呂に入れたり寝かしつけたりしていると、あっという間に22時で、たいしたアウトプットもインプットもできないまま、インターネットを漠然とさまよって、眠りにつく。
なんてありふれた人生だと思う。
だが、わたしにとってはつまらなくありふれたこの生活が、何より美しい。
https://twitter.com/9jtcdbgf3lih8fe/status/1458271153097625604?s=21
「私は、今の社会体制に順応して、『奴隷』として、お気楽に、不安なく人生を全うしたい。男女平等でなくてよい。フェミニストが余計なことをして平等になったら、かえって面倒なことが増えてしまう」
とか言う風に思っている女性もいるのではないかと思います。
⇒「女性」「フェミニスト」「奴隷」とすべての言葉が燃えやすいので引用しにくいのだけど、
社会に住む人間って、どこかで “後ろめたさ” のようなものを感じつつ生きてるよね。誰しも。 #言われることとは違うことを考えてみた。
それは高度に依存しあって分業していて、野生で生き残りをかけているわけでもなく、自分の衣食住を原始の世界で自分の手作業だけで生み出しているわけでもないわけだから。
しかも、共同体的物々交換ですらなく、市場や貨幣の力も使ってなんとなくぬらりと生きている。
そこをいちいち見ないようにして生きているわけだから、いちいち騒ぎ立てたり、突きつけることを性分にして生きている人は、煙たがられやすい。
哲学者にしてもそう…。
『みんな政治でバカになる』というタイトル風に言うなら、“みんな何かの面ではマジョリティ” というような要素があるのではないか。