哲学についてのメモ2021
哲学についてのメモ2021
日本にはBe動詞もないし、一神教の厳しくも万能の神がいたこともなかったし
存在とか認識とか普遍とか、そんなのどうでもいいんじゃないの?
それ抜きの哲学をやろうよ。
バカじゃないの?
と思ったが、どうしても、ホンモノの哲学を目指したい人にとっては、そこは外せないらしい。というか中心であり続けるらしい。 日本人の価値観からしたら、今まさにその単語を使ってしまったけど、
「日本人論」とか「世間」「空気」といったものの研究のほうが、知的使命感として必然性を高く持っているのではないか。
それを「日本の哲学」というジャンルとして新たに区切りなおしたっていいのではないかとか、そんなことを思う。
西洋哲学の、思考の論理性や、“あるべき政治”を模索した時期の、SF的仮説思考とかには、相応のリスペクトを感じるのだけど。
そういう、「道徳」や「倫理」、「正義」や「幸福」までが、哲学としては亜流みたいに扱われているのだとしたら、
いやいや、哲学史の知識を深めるの、ドライブ感のある導入書のおかげでようやく楽しいと思えるようになったけど、ほんと、その「存在とか認識とか」の部分をやめるってことができないのなら、哲学はもう、私の人生においてどうでもいいかもしれない。
私からしたら、そうだな。
「偏りのない価値観や、正しいゴールに辿り着ける思考回路と、それらを個人の中に生み出せるための一連のプロセス/ガイダンス」のことを「哲学」と呼びたいよ。
そしてその周縁に、ゆるく「信念」とか「意思の力」とか、そういうものが寄り集まってくることを拒絶したくもない。
理性とその限界とか、文化の必要性とか、そういう話をしたい。
そしてそれでもなお、論理的な思考や理性による抑制なくして、人間は動物的悪のくびきから脱することができないのだ……、という話を読んでいきたいのだ。
神の意思としての自然の法則よりも、悪魔としての人間を理解していくことに知の情熱を傾けたい。
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以下、メモのメモ
神の御技は科学でいいじゃないか、というのもあるせど、それ以上に、いま人間の不完全性のほうがはるかに問題意識に居座ってくるから。
セカンド哲学として切り離した場を作って、そっちが十分賑わうのなら、切り離したいくらいだ。
(たぶん、プラトン・アリストテレス/デカルト・カントが天才すぎて、プライマリー哲学の賑わいを超えられないだろうけど)
社会学とか心理学とか脳学でいいじゃないかと、哲学の本道のほうからは言われそうだけど、
社会調査をしたり、ネズミテストをしたり、脳スキャンをしないといけなくなって、純粋な思考実験ではなくなってしまう。
そうではなくて、万学の起点としての思考実験としてのポジションは残ってほしい。
いま、運命でなく乱数こそが神の意思