2021/09/22-2021/09/30
なんで内向化するかと言えば、抽象化≒構造化と多段階化≒メタ的認知する必要があるからだ
読むということは他人を運動させることである
で一冊そしてそれは再起的に、ノート」や「書く」を含むだろう
向上心と智愛
そっちに行けば、自分には何かある、という直感を感じる起点(あるいは分岐)
サッチャーが典型だけれど、初の女性首相となるとやはり超保守派の方が可能性高くなるという機序はありそうである。
⇒『Dr.STONE』というお話で、主人公がある種の文弱さを持っているわけだけど、あのストーリーに過剰にマッチョイズムな台詞回しが出てしまうのは、そこが抱き合わせになっているほうがマジョリティへの娯楽物としてはバランスが良くなるという直感が働いているのかもな。 ツイッターって内部ブラウザーがありますよね。
タスク管理
マックの女子高生構文
鋭い話というのは、どうしても「誰かを責め立てている」形になりがち
話者が選別、キュレーションしているような気がする
専門家である友人の話、などはどうなるのか?
現状をどう認識するかは複数あって、本人がそれを話すなら、その一つとして埋もれるから
「聞かれることを前提として話していない」ていになるから
誰が誰に言ってるんだ、というのが問われるのが日本語だから
一見するとバカに見える人にまでこの意見は浸透していた
責任のない立場だから肯定できる?
自分もうすうす気付いていたことだから、自分に近い立場の人に、鼻高々で言われたくない
おじさん構文のハイテンションは、
赤ちゃんを見かけたときのおばさんみたいなものでは?
重版イベント
Dさんのことははっきりと嫌い
煽られ駆動
rest in turn
炎上案件で理性を保とうとするのは
フリーランスでライターでもコロナは堪える
⇒ハイライトの機能なんかを見ると、「おっ、Pocket便利そう」とも思うし、ここにちまちま転記していた手間を思って落胆したりするんだけど、
⇒こうやって、その下にシームレスに “⇒” のコメントを書けたり
⇒“疲れて、気鬱にもなっていて、思考も安直になっているようなときに”“気分転換に何かを目にしたい”というときに、そういうところを読み返すかな? というのは少し疑問
⇒あと、ネットにあるような情報は、もとのアドレスが意外と消えることがあるので、「全文Evernote」ではないにしても、ある程度は複製を手元に残したいと思う。
現代の哲学は、空になった鳥の巣なのだ。
考え続けられた結果、役に立つと分かったものは、全て専門化し、哲学の枠の外に出て行った。まだ全てがそうなったとは言い切れないが、しかし多くの元々「哲学」とされていたものは、今では別の名を持ち、別のやり方で日々研究されている。
残ったのは、ただぼんやりとした中身のない「他のどの学問でもない哲学」である。
歴史学でもない。数学でもない。物理学でもない。天文学でもない。論理学でもない。もちろん、総合的な学問でもない。
⇒文句を言う人は多そうだが、一面の事実ではある。
「として」とは何か。これはいわゆる「アスペクト」の概念に関連する。ものはけっして「むきだし」であるわけではない。一切のものは、何かしらの相貌をもって、すなわち「アスペクト」をもって現れる。
空海を哲学者として理解することができるが、この場合、“A as B”の“B”の位置に「哲学者」が来ている。これに対して本ノートでは“A”の位置に「哲学者」を置いて、“B”の位置に「学者」や「アーティスト」を置く。このように「として」は概念のあいだに自由な「蜘蛛の巣状の」ウェブをつくる。今
新しい形態の作品もそうなのですが、とにかく評価が定まっていない感じなんですよね。
見る人のセンスによって如何様にもなってしまうタイプ。
だから、「現代アートは訳分からん」って言ってる人はとても正しいのです。
しかし、今、現代アートと呼ばれているものは永久に「現代」であり続けるのか?
というのも疑問があります。
どこかで近代美術にスライドしなきゃいけない時が来るのだと思います。
自民党の組織票というとそれっぽく聞こえるんだけど、じゃあそれって何? って聞くと答えられないんじゃないかな。
もちろん三師会(医師、歯科医師、薬剤師)や建設業界、農業関連団体、郵便局長等からは熱心に応援してもらってるけど、これらの業界団体は自民党が「政権与党」だから応援してくれるのであって、例えば民主党政権の時は民主党にひっぺがされてた。ほかにも地方の選挙では、こういう団体は現職首長を応援に回るから、必ずしも自民党の圧倒的組織票ではないんだ。そりゃ団体の利益を守るのであれば、時の権力者につかないとダメだわな。
でも唯一、自民党の組織票といえるものがあって、それは自民党の地方議員組織。なんじゃそりゃと思うだろうけど、説明するからちょっと待って。
なんで自民党の地方議員が組織票といわれるほどに選挙で一生懸命になるかというと、
自民党の地方議員として地道に活動していれば、議長にもなれるし、党地方組織の役職にもつける、それに首長からも一目置かれるし、役所の対応も野党議員とは違う。自民党を離党したら、役所の対応が急に変わったといっていた人を知っているよ。あと、運のめぐりあわせによっては、市議が県議になったり、県議が国会議員や市長・知事になったりもできるからね。こういう組織活動を頑張る方向にインセンティブがあるから一生懸命やるのよ。
⇒「うわー、気持ち悪い、だからダメなんだ」、という感想は置いておいて、国会議員が地方議会の議長を決める権限を持っているものなのか?
⇒それと、“党地方組織の役職”って、旨味かな? 余計な仕事が増える気がするんだが。
公明党、共産党も違う部分は多いけど、地方議員が一生懸命活動して党に貢献すると報われるシステムがあるのは一緒。汗をかいた度合いで、公明の場合は信仰ポイント、共産の場合は党序列ポイントがたまるからね。あ、維新も大阪で長く続いてるのは、大阪では自民党と同じ構造だからだよ。
⇒維新、この短期間でそれだけの基盤組織を築いたのってすごいな。
⇒「政権交代可能な二大政党制」を維持するって、これと同等の組織構造をもう一つ作り上げなきゃいけないってことだよね……。しかも野党スタートで。めんどくさすぎる。
作り始めてから数年……、数十年? はその団体が政権を取れる見込みはないかもしれないのに、一つの名前を決めて組織を作り始める。
しかも、団体が小さい間は、“小さいのに風に吹き飛ばされない” 固さを維持しないといけないから、たぶん「公明、共産、維新」なみに、傍目には「カルト的」に見える団体として、始まって続かないといけないということ。
本当にやってらんない。
ここに、毒親と親ガチャの第一の違いがある。
毒親は、とりわけ子育てのできない親、子どもに悪い生育環境をもたらす親を指すスラングだが、親ガチャ失敗という場合、その親が毒親に該当している必要はない。
たとえば、親の経済状況が優れないと感じる場合や、親から受け継いだ容姿が良くないと感じる場合も、「自分は親ガチャ失敗だった」と愚痴ることができる。
つまり親ガチャ失敗というスラングは、毒親というスラングよりも適用範囲が広く、カジュアルに用いやすい。
このまま大学の女性率が高くなり「大学=フェミニンな場所」、「男性のアイデンティティを“教育”と対立したもの」としてみる人が増えてしまうことを懸念
⇒ああ、化粧品売り場とか、そういう空気になってしまうかもしれないわけか。
⇒基本的にはシンプルで、「どちらの性も、4割をきってはならない。しかし、6割を超えてもならない。これは入学に必要な能力に優先する」と、法律できめることだよね。
女性の方が劣ってると思われていた時代には「だから男性に道を譲れ」と言われ、ゲタを取れば女性の方が優れていることが明らかになった途端に「劣後者を救え」という流れになる。後者だけ見れば正しいのだけど、なあ
女性が強くなって男性を迫害する状況にはだんまりなのに、男性にもサポートを!となった途端に「ふざけんな」になるのがリベやフェミだからな。先ほどの男性シェルター然り
ということで、以下facebookメッセンジャーではできなくて、Discordのテキストチャットなら楽勝でできることです。
簡単にプライベートチャットが作れるので誤爆ミスが減る
メッセージが削除できるのは当然の上、一度投稿したメッセージをあとから(自分ものだけ)編集可能
編集したところには(編集済)とテキストで残るので、それが目印になる
話の中で引用としたURLとかツイートとかYouTubeはテキストチャット内でサムネ表示などで展開されるが、それをあとからオフにすることができる。つまりURLのみコピペできる、地味だけどすげえ便利
画像などをチャットに投下しても、画質がさほど荒れない(facebookメッセンジャーは超圧縮されてしまう)
自分以外の人がテキスト入力中である画面表示が見やすい(これは好みの問題かも)
「ワンチャン」は大人のパターナリズムに対するレジスタンスになりえるんです。
「同じ」に見ることで生徒間の公平性を担保(たんぽ)できると信じている先生たちがいるんですね。クラス全員に同じ宿題を出すのも、「頑張れば頑張ったぶんだけ成果は出る」と皆に檄(げき)を飛ばすのも、「誰もがスタートラインは同じ」という思想に基づいているわけです。実際のところは、そのほうが多数の生徒を一元管理しながら相対的な評価をつける管理者(先生)にとって都合がいいからそうしてるだけだと思うのですが、公平性という言い訳があるから、それがさも正しいことのようにまかり通っているんです。
「誰でも頑張れば成果が出る」よりも「誰でもワンチャンいけるんじゃね」のほうが、リアリティがあるし希望もある。だから、大人の噓よりずっと響きがよくて、頼もしい感じがします。
でも、人って他人の噓には敏感だけど、自分の噓、つまり自分がデフォルトで設定した噓には簡単に騙(だま)されるって知ってましたか? 大人は自分の噓にすっかり気づかなくなってるけど、それはみんなも同じで、
そう言ってるかぎり、1つくらいアタリがあると信じることできますよね。でもそのガチャの中身があるって誰が決めたんですか? アタリがひとつも入ってなかったら、あなたはどうしますか?
でも、残念ながら親にアタリはないんですよ。
プレイヤーがオープンワールドゲームの世界に「自由」を感じるのは、そこが無既定の白紙の場所だからではありません。むしろ、既存のRPGと同等の明確な特性を持った世界がそこにあり、且(か)つ、その世界の行動基準がキャンセルされているから「自由」を感じられるのです。
⇒転生やなろうもそういうところが多分ある。あるべきものがない。
⇒とんでもないことを言えば、スレイヤーズ! からすらそうだったかもしれない。
でもリアルな現実世界ではなかなかそうはいきません。なぜなら、手がかりを摑(つか)もうとする前に、あらゆる行動基準によってがんじがらめになってしまうからです。自由に動こうと思っても、周りがそれを許さない(と感じる)。その結果どうしても、与えられたミッションをクリアするようにしか生きることができなくなってしまいます。
だから、現実世界で「自由」を手に入れるためには、現実の中でいかにパターナリズムな行動基準をキャンセルできるかがカギになります。
こうした文学の中で私たちが学ぶことができるのは、濃淡はあるにせよ、全体としてみれば「人間」は時代が変わっても大きく変化することはないということです。
「ワンチャン」がいまの価値観の一面を表しているとすれば、その言葉のリアルな息遣(いきづか)いは、そのうち耳を澄ましても聞こえなくなるでしょう。
このように「変わらないもの」を探りながら、同時に自分の価値観を客観的に捉えることで、ようやくパターナリズムな行動基準をキャンセルし、自由に生きる手がかりを得ることができます。
苦しいことをするのは幸せじゃない。人間というのはそんな単純にはできていなくて、それが少しくらい辛いことであっても、何もしないよりはずっと、それがそのまま生きることの実感に繋(つな)がっていることを、みんなはどこかで知っているんだと思います。
これは苦しいことを進んでしなさい、というような説教じみた話ではないですよ。そうではなくて、人間は苦しいことを進んでやってしまうくらいよく分からない生き物だということを知っておいたほうがいいと思うのです。人間自体が理不尽な存在なので、理不尽なことを全て抹消することは、下手したら人間の消滅に繋がりかねない危険なことなのですね。
理不尽な事柄について、そのひとつひとつにスポットを当てて考えていきたいと思います。なぜなら、みんなにそういった理屈に合わないことと戦う胆力(たんりょく)をつけてほしいと思うからです。
でも、矛盾するようですが、みんなには、すべてが理屈どおりに進むとは限らないことも同時に知ってほしいのです。それは、人間がいつも理屈からはみ出してしまう複雑な生き物であり、その複雑さを重んじることこそが、私たちが共存を図るための生命線と言えるからです。
人は自分に対する内的イメージを持って日々を生きています。それは自己同一性(=自分が自分であるという一貫性が保たれること)に関わっています。
だから、インスタのイイネの数なんかで自分の価値をはかろうとするし、占いで「それ当たってる!」と感じたときに、まるで自分の存在の輪郭(りんかく)を確かめられたような快感が走ったりする。
そのような自己像の安定に大きく関わっていることのひとつが、自分の外見に対する内的イメージです。
私は、正直、このときに「ボウズにします」と言った彼らに対しては許せない気持ちが拭(ぬぐ)えません。怖かったんだったら仕方ないよ、そう、声を掛けたい気持ちもありますが、それよりもどうしても許せない気持ちのほうが強い。だって、彼らが負の連鎖を、暴力のバトンを繫(つな)いだことは紛れもない事実なんですから。
あなたは別のやり方でいいよ、とは誰も言わない。なぜなら、せっかく自分が犠牲にしたものが無駄になるからです。自分もみんなも我慢しているのに、輪に入れないあいつはなんてワガママなんだというふうに見えてしまう。
だいたい、同調圧力というのは大人都合の文化でしょう。そういう大人が喜ぶものを感じ取って、大人に媚(こ)びへつらって旨(うま)いものを手に入れようとするのってほんとダサいですよ。
あなたは、大人が噓をついたときに、それを見破ることがあるでしょう。そんなときあなたは、噓は罪だと感じているでしょう。だから、あなたはそんな汚れた大人が嫌いなんです。その気持ちを手放さないでください。
機嫌取りをしているとき、「いい子」のふりをしているとき、何となく自分が傷ついていることに気づいているのではないですか。でも、あまりにそれをやりすぎると、自分で自分を傷つけていることさえ気づけなくなりますよ。大人にとって都合のいい子どもでなくてもいい、それを知っただけでぱっと世界が明るく開ける人もいるかもしれません。このことはじっくり考えてみてください。
大人になる過程で、多くの人は自分の生きる実感よりも適応(周りに合わせること)を優先させることで、自信を失っていきます。
大人になると人生がつまらなくなる。そんな予感をどこかで抱(いだ)いていませんか。もしそうだとすれば、それは自分が社会適応を始めていることに気づいている証拠かもしれません。そうやって自分独特の生き方を手放すことで、これからの人生がつまらなくなることを直感しているんです。だから、これからの人生を面白く生きたいなら、みんなは部分的にでもそれに抗(あらが)わないといけません。
小5の子たちの話し合いは、まるで手持ちの少ない洋服でいかにオシャレするかを競っているように見えるときがありました。
周囲の目を過度に内面化してしまって、それを自分の意見のように錯覚してしまう。そんな傾向があると感じました。
でも、これは悪いというよりしかたないところがあります。だって、子どもたちが手持ちを増やしながら大切なことを学んでいくのはこれからですから。「意見に流される」というとさも悪いことのようですが、相手の意見を参考にして自分のモノにすることは必要だし、より高次だと思える結論を志向することがなくては、考えを深めることなんてできません。
「弱くても大丈夫」と他人から言ってもらえることで、ありのままを認められた、だから救われたと感じることもあるでしょう。でも、他人から不当に擦(なす)りつけられたレッテルとは、徹底して闘わなくてはいけないのです。「弱さ」というレッテルを貼られてそれを内面化した人は、いつしかそれなしには生きていけなくなります。自分の「弱さ」を味わうことでしか生きられなくなった人は、自分の殻に閉じこもっていることに気づかなくなります。
でも、学校でうまくいかないというのは、いかに「弱さ」に見えようとも一種の意思表示なんです。彼らは辛いと感じたり、不調を訴えたりすることでレジリエンス(=困難な状況にもかかわらず、しなやかに適応して生き延びる力)を発揮しようとしているのであり、つまり、学校のいびつさや人間関係の冷たさに対して全身で抵抗しているのです。
⇒違和感、とかそういうことだもんね。
でも先生、私だって、自分を守るために派閥に入りたいと思いますよ。そのほうが楽じゃないですか。それができないから私は苦しいんだし……。
そんなことを話しているうちに、亜美さんの表情は徐々にほぐれていきました。
話をする中で、亜美さんに「普段家で何してるの?」と尋ねると、彼女は「BTSの動画ばかり見てます」と答えました。さらに「推しは誰なの?」
それを聞いた私は、「なんだ、亜美さん。孤立してないやん!」思わずそう声を上げます。「テテと繋がってるなら、世界と繋がってるということだよ。私の『好き』はどこかで暮らす誰かの『好き』ときっと繋がってる。亜美さんは学校でいつもひとりだと言ってたけど、
私がまくしたてるようにそう言ったので、亜美さんはびっくりしたのかブハッと一瞬笑ったあと、ボロボロと泣き出してしまいました。
「心を整えましょう」などと言いながら、いい人ぶって近づいてくる大人なんて、頭の中で中指を立てて意識から追い払ってしまいましょう。彼らはあなたをどうにか扱いやすい人間に仕立て上げようとしているだけなのですから。
⇒人類はどうあっても群れで生きていくしかないから、自己家畜化のストレスからは離れられないとは言え。
そりゃあ、解答をそのまま写す子はどうしてもいますよ。でも、子どもにダマされるのは教育者にとって勲章(くんしょう)みたいなもんですから、先生は何度ダマされても信頼し続けたほうがいいにきまっています。
宿題が生徒ひとりひとりにフィットしていないこと、それをがんばろうとする生徒たちに徒労感を与えてしまうことについて、出す側は真剣に考えなければなりません。そして、宿題に取り組むみんなは、学校の先生がいつも正しいとは限らず、宿題の初期設定がおかしい可能性があることを知った上で、それぞれの宿題と向き合わなければならないのが現状です。
あなたは問題集の答えを丸写ししているとき、自分が全く実りのない作業に時間を費やしていることに気づいていますよね。それを自分に許しているのがヤバいんです。そういうことに免疫(めんえき)をつけると、人生で面白くないことがあってもとりあえず表面的に「こなす」人間になってしまう。面白くないことに抗(あらが)うことをしなくなるんです。そして気づいたときには、自分自身が面白くない
でも勘違いしないでほしいのですが、いままでの話はつまらない宿題なんてやらなくていいというような単純な話ではないですよ。だって、宿題が面白くないのなんて当り前なのですから。
要はいかに宿題を活用して自分の力を引き上げられるかです。「宿題がイヤだ」と言っているうちは、宿題に主体を乗っ取られています。宿題に支配されることを断固拒否して、自分のペースの中に巻き込むように宿題ができるようになったとき、あなたはようやく宿題の支配から逃れられます。
⇒意外にマッチョな話にもなってきた。
最近は、「宿題が嫌ならやらなくていいんじゃない」と子どもに簡単に言う大人が増えています。でも私は、子どもに対して「苦しいならやらなくていい」というメッセージを簡単に伝えてしまう大人を信用していません。
努力したら報(むく)われるかどうかなんて知ったことじゃありませんが、努力したぶんだけ身につくことがあるのは確かで、身につけなければ入口に招いてさえもらえない世界があるのは事実です。
だから、あなたの耳元で「好きなことだけしたらいいよ」という大人がいたら、そんな人のことは信用せずに、今日あなたができることを着実にやっていきましょう。
最後に、ここまで読んで誤解してほしくないのですが、あなたは、目の前の友達がもしかしたらマイノリティで最初から傷ついているかもしれないと、そんなふうに構えて接する必要はありません。そんなことをはじめから想定しないから、あなたは友達とキラキラした関係性を結ぶことができます。あなたはいつも差別があるままに他者と繋がり合う世界に生きているんです。
あなたには、「優しい」世界にも差別があるということに気づいてほしいし、逆に「差別がある」にもかかわらず優しい世界があるという逆説的な世界とも出会ってほしいと思います。
「稲作農家にとって、水の管理は、その年の収穫を左右する重要な問題であり、家族や地域社会に対する責任感から、川や用水路の様子を見に行ってしまう」という説明が、しばしば、されます。
むしろ、これらのリスク追求行動は、直観的な役割分業の一種であり、自分の縄張りを維持するために、率先して危険の大きさを見極めようとするスカウティング(偵察・哨戒行動)として、理解した方がよいでしょう。
霊長類学者の松沢哲郎氏らは、チンパンジーの集団が人間の作った道を渡るときに、「偵察、先陣、見張り、しんがり」といった明確な役割分担を行っていることを明らかにしています。
田んぼや川の様子を見に行って、亡くなった女性というのは、私は聞いたことがありません。スカウティングを行うのは基本的に男性であり、素早さと経験が求められるため、「若い男性」と「初老の男性」という2つのグループが中心であると考えられます。
災害時に、ラジオやテレビで災害情報の収集を積極的に行う(=間接的スカウティング)のも、この2つのグループです。
女性の場合、子どもや親の救出・安否確認が関心の焦点になり、リスク追求行動を取ってしまうことが多いようです。
このように、災害時には、年齢による分業や性別による分業が強化されることが多いのです。
危機のシグナルが感知されると、交感神経系が活性化して、「闘争・逃走反応」(=生存の為に戦うか逃げるかの準備を整える反応)が開始されます。
そして、限定された情報を手がかりに、直観的(=瞬間的・直接的に物事の本質を見てとるさま)に判断が下され、即座に実行に移されます。この時、男性は、自然災害に対しても、なぜか「闘争反応」をとることが多く、スカウティングも、その1つの形態であると考えられます。
使命感や責任感に燃えている状態では難しいかもしれません。
――配偶者や子どもがいない人が、「川や外の様子を見に行きたい」という衝動を抑えるためにはどうすればよい?
人間は一人の時には、リスク追求行動は比較的、抑制される傾向にあります。ところが、若い男性がたくさん集まると、リスク追求行動に寛大になる傾向があります。
――「川の状況を伝えるライブ映像」を見ることで衝動は抑えられる?
ライブ映像にするということ自体が、スカウティングの機能(外敵の情報収集を行うことで、外敵を分析し、コントロール可能にする)を拡張したものであると考えられます。
たしかに、(中略)ただ、少なくとも男性に関して言えば、「実際に」「自分の眼で」確認しようとする衝動は、ライブ映像を見ることで助長されるのではないかと懸念します。
⇒内観的には、もっと「居ても立っても居られない」「何か解決に向かうことをしたい」という感じなので、仮説としてはずれてるかなという気が読んでいてしたけど、
割にその周辺の行動はうまく説明できる。接続できる。
まあ、衝動に囚われている人間が、その衝動全体を正しく認識できるとは限らないので、主観と理論がずれて感じる、ということはあるかもしれないな。