太陽から逃げてる
このエントリは、『鬼滅の刃』映画無限列車編および単行本7・8巻のネタバレを含みますよ。
というか、全文言がネタバレ要素を含みこんでると思いますよ。
というか! この「いっき日記」というブログは、何かの作品に言及するとき、ネタバレを特に配慮することなく綴る方針でやってますからね。
ということで、以下ではその内容のうち、次の台詞について、テレビ放送を見て感じたことを綴っておきます。
「太陽から逃げてるんだ」
「煉獄さんの勝ちだ」
あと、補足的に煉獄さんの母のこと
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では始めるけど、
「太陽から逃げてるんだ」
このセリフ、ネットで見てると、
「結局逃げてるんじゃん」
「笑った」
「言い訳」
「認めてるじゃん」
「小物感すごい」
みたいな声がすごく多くて、私も最初に単行本7・8巻で読んでいたときには、「何が違うんだ?」という気持ちが会ったような気がする。よくは覚えていないけど。
でも、今回の放映であらためて見てみると、いや、これ合理的なことを言っているし、違うというところはあるし、この時点では悔しがってすらいないかもしれない」と思った。
そのスイッチの一つには、その間にコミックスを最終巻まで読んで、その最終巻付近での “条件戦とその作戦” を読んでいたことがあったかもしれない。
アニメでは色や光の演出があったから、日の出や陽光の存在感が強く感じられたからかもしれない。
日光が来る、それなら逃げる。これは動物的に当然の反応かもしれない。これはダブルスタンダードでもなんでもなくて、
「どんなに仕事にやる気があっても、トイレに行きたくなったら机を離れるしかない」
みたいなものなのではないかと。体調不良くらいならやる気で抑え込むことはできるのかもしれないけど、トイレは違うでしょう?
「仕事が大事な場面なのに、なぜトイレなどに行くのだ。やる気がないんだろ」
ってことにはならない。「保育園からお迎え要請が来たら、仕事のことへの真剣さがどれだけあっても、中断してそこへ行かなくてはいけない」みたいなものだ。
条件が階層構造になっている、ということは言えるかもしれないけど。
「現代が知価社会だ」といっても「銃を突き付けられたら、知恵があっても勝てない」とか、そういうのだ。普段は上の階層のルールで勝負をしているけど、それを引っぺがされて下のルールが顔を出す瞬間というのはある。
でもそれは上のルールが嘘だったとか偽だったということではない。
もう一つ。
「日光を使って勝つ」という条件作戦を先に使いだしたのは、実は剣士側なんだよね。「剣術や肉体で相手を上回れなくても、日光の当たるところに相手を引き止めればこっちの勝ち」という。
そっちの方がもともとは卑怯だったんじゃね?
ゆえに、その勝利条件を破られること、「逃げ切られたら負け」というのは、システム上、ルール上成立する。「自分の体をひきちぎってでも日陰に逃げ込む」というのはその意味で作戦だ。
福本伸行漫画やライアーゲーム、ハンターハンターやJOJOなんかを、ちょっと思い出すよね。
それなのに、心理的には「“戦い”から逃げた」「卑怯者」という風に感じられる。
これ、ちょっと危ないのでは?
ということも思う。
「武力くらべ」と「ゲーム条件設定」を一緒くたにして、「卑怯」と感じてしまう精神性。
日本人だけってこともたぶんなく、人間全体に、そのメンタリティーの穴はたぶんある。
「潔くしろよ、言い訳なんてするな」「最後までやれよ、怪我が悪化してでも」みたいな。
「煉獄さんの勝ちだ」
それはそれとして、この台詞もよい。
実際、乗客も守ったし、後輩のことも殺させなかった。ちゃんと業績がある。それは御館様も認めてる。
だから、実はこっちはこっちで、もっと優先していたルールがあった。
そして、自分より強い相手にも勇気が屈しなかったし、最後まで見苦しくならなかった。
だから、それを言ってもらえた煉獄さんは、ふっと少し笑顔になる。親に認めてもらえるとか、そういう願望の充足を待たずに、すでに少し報われている。
自分の貫いてきたこだわりが、誰かに理解してもらえることで。
煉獄さんは、張り詰めてきた人だ。そして寂しかった人でもある。父ちゃんはあんなになり、母ちゃんはあのようになり、弟は自分より無垢な状態で、自分自身でロールモデルや規範を作り上げて同時に体現していかなきゃならなかった。
それはだから、弱音を吐くことができなくなる人生でもあったと思う。常に陽キャを演じなければいけなくなった部分もあるのではないかと思う。
魚住、戻ってきてやれよ、仙道が先に潰れてしまう!
そういう規範性は重い。呪いみたいなもんだ。
そういうものを背追い込んでしまえば、最終的には、死ぬことでしか解放されない。
「最後まで勇敢なまま死にました」
「人と世界を守って死にました」
と。
それでやっと、自分を無限に駆り立て続け、問い続ける自分の内面から逃がれられる。
「母上 俺はちゃんとやれただろうか
やるべきこと 果たすべきことを全うできましたか」
という台詞は、なんというか、そういう重さをすごく感じる。
ただ、そういう「規範性」がすべて悪いわけじゃないし、なくていいわけでもない。
100%生来の人間だと、どうしても、面倒なことはやらないし、恐ければ足がすくむし、問い詰められれば嘘だってつく。
だから、適切なレベルで、本性の上に規範を身につけないといけない。
煉獄さんのお母さんは……、まだ若い時期に、煉獄さんが小さいうちにこの世を去らなければいけなくなった。
その段階で残してあげられる規範性は、そういう、大がかりで硬いものにならざるをえなかったのだろう。
本当は、もっと長い期間をかけて、それぞれの時期に必要なぶんずつを、相手の受け止めた反応を見ながら調整して、与えてあげられたらよかった。でも、それはできなかったのだろう。仕方ない。
そう、仕方ない。だからこれは言ってもしかたなくて、だからこの話はここでおしまいなんだ。
from 2021/09/22-2021/09/30