2020/05/01-2020/05/04
#採掘場
五稜郭とペンタゴンはなぜ五角形か?
不完全でも機能する定義
タブ型ブラウザーという限定装置
「恋愛とは異文化交流である。」
情報の公開で首や制限がすげかわるほど叩かれたり、「自分の頭で考えて」と言われてすごく甘い判断をしちゃったりするのなら、情報公開も進まないし、裁量に任せた要請もできなくなっちゃうよなあ。
GW
自粛警察
ラプンツェル の母
ピーターパンの父
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https://nowokay.hatenablog.com/entry/20120325/1332650508
なにか理解しようと思ったら定義的なものと概要・実例的なものを勉強することが大切で、プログラムの場合だと文法とアプリケーションを勉強することが重要になる。文法だけ勉強しても使えるモノは作れない。
時間の制約がなければどちらが先でもいいけど、モチベーションや効率としては、アプリケーションを先にやってプログラムへの興味をもちつつ、何ができるか(何ができないか)を把握したあとで、それから文法をちゃんとやるほうがいいと思う。
学習、
xxxという本は定番の「良書」だったりする。
この場合「良書」は正しく細かく書きすぎてて最初に読むのに理解が難しかったのが、2冊目の本を読むことでつながって理解できた、ということが多分にあるように思える。
2冊目の本がわかりやすかったのではなくて、2冊読んだからわかったという話で、その本を最初に読んだら果たしてわかったか、と。もしかしたら、1冊目の本を2回読んだら、同じようにわかったかもしれない。
書籍での自習の場合は書籍の質と順番、そして勉強した時間。
https://twitter.com/chubby_haha/status/1256393871744884738?s=21
今までの教育の形の中で子供達は、同じ時&場所に、同じスピードで、画一的な指導で、同じ成果を求められてきて、その枠から外れた子は自己責任と言わんばかりに除外視されてきた。
それがこのパンデミックで教育の形が否応なしに変わり「普通」が崩れ、普通からはみ出た子の仲間になった。今しかない
⇒「9月かどうかよりも……」という意見だけど、日本的文化にすっぽりくるまれて生活している直感からすると、「まさにそっちには、まったく進まないだろうな……」という気がする。
⇒「どんな枠なら守れるんだ」「夏休みの返上か?! 9月新学期制か?!」という方向で思考も議論も検討も、進んでいくと思う。
⇒枠の位置を考えることはするけど、「枠から外れた子は自己責任」という考え方は、まさにそれを全力で“目指そう”とするだろうと思う。
/rashitamemo/後医は良医
https://bunshun.jp/articles/amp/37563?page=1
そして、テレビ局の側もスポンサーがコロナショックでテレビ広告の出稿を減らす流れが強まると、途端に内容がしょぼくなり始めました。もちろん、コロナショックが出て、テレビ局も制作陣含めて「3密・集近閉対策」のために混雑したスタジオでの収録ができなくなっているので仕方がない側面もあるのでしょう
イベントは軒並み中止になり、人の出入りもなくなりましたので、取り上げられる話題が結局コロナ中心にならざるを得ないんですよ。そうなれば、誰が何を言ったとか、芸能マスコミ的なものは人を集められてもカネにはならないという流れはどんどん強くなっていく。これはもう仕方のないことだと思うんですよね。素人の芸能人が、コロナウイルスの事件について感想を述べて尺を埋める番組の、どの辺に価値があると思いますか。
(下線はいっき)
⇒気分転換のためにも、心の健康を保つ意味でも、なんか読みたい気持ちはちゃんとあるんだけどね……。
⇒いま話題をつくるの、難しいよね。
長年愛読してきた夕刊紙2紙や大手新聞社系列のスポーツ紙も、駅売り、コンビニ売りがコロナの影響で壊滅的な状況になり、広告収入も減少して文字通りの危機に直面してしまっております。
つまりは、媒体の強さというのは読み手の強さであり、告知モノも話題の記事も、ある種のリアル動員やリアル購買と結びついて初めて「媒体の価値」だったんですよ。製品発表会で芸能人が雇われて宣伝の片棒を担いで、それを芸能マスコミがニコパチの短い記事を書き、それをヤフーニュースに掲載させて商品を買わせるという世の中のカラクリ。