2020/04/29-2020/04/30
少年マンガの主人公が、わざわざヒロインに行動を起こすかー?
コミュニケーション自体を、自己目的化するかー?
神学的というか宗教的というか道徳的な人間なので
世界そのものとしての恋愛
親と社会の間にあるステップ
付き合えれば、社会に出ても大丈夫、やっていけるという
あまりに酷い状況なのなら、一度あきれて脱力しないと、怒り散らしてしまう。
情報の世界に、小さな
ライフハックだったり、自己責任だったり
学び、安定、判断の
外に手を汚し、内側を守る、だけが正義でもないけどね。
画像撮りたい瞬間ってありますよね。
こんな人がいたのー、とかこんな風景とか
そういえば、こういうシーンあるでしょ?あれってさー、とか。
現実は空想の劣化コピー
これは皮肉でも何でもないのである。
やりたいことがないけれど、やりたいことがないと訴えることは、それはやりたいことなのだ。
こういうエネルギーで、もっと他の「やりたいこと」をやるわけにはいかないのだろうか?
それがもっとも効果的に伝わるような構成案(骨組み)を作ること。
ここまでできて初めて、「ねた」を集め始めてよい。
むしろ、ここまでできていない段階では「ねた」を集めることは本来はできないはずなので、もしできるとしたら、それは単に、おもしろい「ねた」を見つけたからとにかくこれをシェアしたい、という欲求ドリブンな行動にすぎない。 そこから自分の伝えたいメッセージをあぶり出す
集めた「ねた」はいったんリセットする ← 重要
お金や能力を持っていて、かつ社会的自由度が高く同時に短期間で逼迫する恐れがない。そういうポジションにいた人たちにとって、社会の動乱は確かにチャンスではある。でも、それはマインドの転換とか考え方とかそういうものではなく、ふさわしい時にふさわしい場所にいたという話に過ぎない。
社会の分断みたいなもので、端的に言うと「仲間であれる人」と「そうではない人」が残酷なくらい分けられてしまう。
この人は仕事を任せられる人だとか、この人は判断を間違わない人だとか、そういう風に周囲に認められているのは即ち巨大な財産を持っているということだ。
窮地に正気を失って喚き散らしてしまう人をもう一度信用する人はあまりいない。
喚いて叫んで不遇を嘆き誰かを糾弾する、そういうことがしたい気持ちは痛いほどわかる。僕だって社会に向かってふざけるなと叫びたいことはとてもよくある。でも、それは信用の盆からはじき出されてしまう人の行動なのだ。こういう状況になると、ヒステリックな極論だとかある種の陰謀論だとか、戦争が起きるぞとか食糧危機が来るぞとか、そういうことを叫ぶ人がたくさん出て来る。
事態に現実的な形で立ち向かえない人間を誰も信用しない。
食糧危機や戦争が本当に来ると考えている人に、狼が来るぞと叫ぶ暇なんてあるわけがない。現代において、100%当たる予言は天文学的な額の現金と同じ価値を持つのだから。あなたは、生き残ろうとベストを尽くす側であると周囲に思われていること。
⇒たとえば、自分がSNSでフォローしている人で考えたら、どんな人だったら、「今後は組みたくない」って思ってしまうだろうか。あるいは職場の同僚だったら。
職場の同僚だったら、当たり散らされたりしたら「やってられない」気分にはなりそうだ。
SNSくらいだと、「喚いている」程度なら『やっぱりみんな余裕ないよね』くらいで流す気がする。非科学的で危険のあるデマを流す側に加担したり、ここぞと悪い商売を始めたり、善意の現場への攻撃(口撃)をしたり不信を煽ったりすれば、そっ閉じしたくなることはあるかもしれない。 拗ねたり投げやりな発言をしたり、皮肉っぽくなったり、攻撃的な口調や愚痴が多くなってきたら、不快感が増してアンフォロー、ということもあるかもしれないな。