2020/04/25-2020/04/28
#採掘場
気が滅入るから楽しくなる気晴らしの文章を書こう
小さな泉を作る
日本では、「他人がどう思うか」という“空気”が、宗教であると同時に法律にもなってしまっている。
トトロと訳せない台詞
最近買って本棚に置いた漫画
『MASTERキートン』
藤子・F・不二雄 SF短編集(文庫)
検討中
ドラゴン桜(旧/2)
暗殺教室
横山光輝三国志
恋愛
『ハツカレ』
『好きって言わせる方法』
『イマジン』
[『恋愛カタログ』
各1巻]
「ソーシャルディスタンシング」
「2メートル離れること」がなんでこんな用語になっているのか?
社会的に、じゃなく、物理的に具体的に、距離を空けてるんじゃん。
と思って調べたら、(つまりまあ、ネットで調べた範囲でということだけど)もともとは、イベントや集会などを避けていくことも含めてその語で呼ばれているっぽい。
ということは、“社交拒否”というニュアンスか。
最初に私が思った仮説は、
「家から出ない」「田舎に引っ込む(疎開)」というような行動を指して、無限定の「ディスタンシング」という言葉があったのではないかと言うことだったのだけど、(つまり、そこまでしなくても、人と距離を空ければ十分効果がありますよ、と)それはちょっとはずれていたっぽい。
コロナが「手近な娯楽」になってしまっている。
不謹慎な意味ではない。人を刺激に駆り立てていくしまっている、という意味で。
不安になり、対策し足りない。解決しない。
もっと情報が欲しくなるし、手軽な気晴らしが欲しくなる。
視野が狭くなっているから、コロナにしか興味がないし、twitterのトレンドなんかもそうだが、みんなの発言も、コロナばっかりになっている。
結果的に、時間の使い方がますます「コロナばっかり」になる。
そして、ますます縛られる。まるで中毒だ。
そこに苦しさもあるし、問題意識自体はあるから、「そうだ、こんなときには古典を読んで、速度を落とそう。気持ちを落ち着けよう」と思いつきはする。
でも、疲れているし、緊張感を下げきれるわけでもないので、そういうものを脳が受け付けるわけもない。
ここが苦しい。
「浅薄、どぎつい、たやすい、早い、流行」情報に対して、「重厚、地味、読み取りにくい、遅い、普遍性」の2領域しかないのだろうか。そんなこともないと思うんだが。
「読みやすいけど、遅くて普遍的で、それなりに食欲のわく工夫があって、重厚ってわけでもない」みたいなのが、いろいろ探せるといいんだけど。
んー、なんだろうな。
一日一冊分、こち亀を読む、とかそんな感じだろうか?
半年間くらい精神の調整になるかも
タグ 外食的文体、報告価値、好奇心、向上心
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https://rashita.net/blog/?p=30027
人によっては幻想とも呼ぶが、別段呼び方はどうでもいい。人類はそうした希望(あるいは幻想)によって前に進んできたのだから、今さらそれを否定しても仕方がない。むしろ、そのような希望(ないしは幻想)といかに付き合っていくのかが、実践的なノウハウとなるであろう。
どのように付き合っていくのか
鍵アカさん
息子の読書感想文に付き合う。言いたいことは!(私には)わかるけれども!文章の中に!全然入ってないんだよ!という状況で、質問しては答えさせ、質問しては答えさせ、内容のピックアップとアウトプットを一致させるよう導いてるけど、思うように伝わらなくて地団駄踏んで苛ついている。
同上 要約、言いたいことが文章の中に入っていない
不思議だなーと思うのは、会話で追求する場合、質問に回答が合致しなくて言葉がまったく出てこなくなる娘の方が、とても読みやすい作文を書くと言うこと。不思議。思考とアウトプットは直結してないのかなあというか。型に乗っ取れるかどうかってことなのか。まあ、文章作りは練習するしかないのだ……
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2020/04/post-f75bdc.html
ただ、私はぎょっとしたのだ。
私は、私の身近な他者から、「おなかが空いた」と言われると、冷水を浴びたような感覚になる。物心ついてからそうなので、
が、まず、怖いのである。そして、何が怖いのかと考えることもある。他者の気持ちや渇望が自分に、ぬるっと侵入してくるような気持ち悪さとそれを避けることができない怖さというものに近い。
⇒私が書き言葉で書くときは、それを意図的に使っているときが、たぶんある。小さい声の技法の一手法として。