「恋愛とは異文化交流である。」
「恋愛とは異文化交流である。」
この文章は、「「恋愛」とは何をすることなのか」のスピンオフとして書いているようなところがある。だから、「恋愛マニュアル」の一章というよりは、半分は「そのパロディー」みたいな部分がある。
なので、あまり「お前が言うな」と思わないでほしく、どちらかというと、「そんなヤツがなんか言ってんで〜」というところで、笑いつつ眺めていただけるとありがたい。
(まあ、そんな人間までもが、いっぱしに「恋愛しなければならない」という呪いに 囚われていたというのは時代の悲喜劇というしかないかな)
恋愛ロマンス物語が、それぞれの個人の内面に立ち上がったときには「2人はこんなに似ている」という共通点で盛り上がる。
一つには心理的な共感。もう一つには、仲間意識とか「運命の人を感じる」効果などで。
しかし、お互いに好感を持ち始め、「付き合う」「デートする」時期になると、徐々にそれが逆になる。
お互いの違う部分、今まで自分が知らなかったことが刺激になる時期になる。
共通点探しは、アナ雪の「サンドイッチ」みたいなもので、違うところ探しは「雑煮」や「カレー」にどんな具を入れるかで「ヘェ〜」となる対話に近しい。
雑煮のつくり方なんていうと地域差の影響が大きそうだけど、上京したり、そしてまた転勤したりが各世代にあって、地元で恋愛してるように見えて、意外と個人それぞれでバックグラウンドは違うし、相手のそれは見通せないものでもあるはずなのだ。
新しい人と出会って踏み込むということは、相手を入り口にして、別世界をのぞくことになるわけで
運動部/文化部ってどんな感じなの? とか
夏休みの宿題、どんな風にやってた? とか
男子校/女子校って、実際どんななの? とか
そんな膨大なバックグラウンドを交換する。聞くんだし、話すことになる。
それはある種の知的な遊戯みたいなところが出てきて、自分のプロフィールを世間一般から見たらどう楽しめるか、という「地と図」とかプロデューサー的視点みたいな感覚が動員される部分がある。
もちろん、恋愛にはいろいろな距離感があって、懐に飛び込んで接近戦、お互いの熱情とじっとしていられない感じをぶつけ合うモードもあるだろうし、
お互いに穏やかに思いやる長距離戦もあるのかもしれないけど、1番基本的なフォームはこういうことなんではないかと思っている。
ま、n数1の仮説でしかないんですけどね。
タグ おまゆう、恋愛とはデートのことである、男女って、何歳から「付き合う」んだろう?、交流、会話
from 2020/05/01-2020/05/04
恋愛マニュアル的なものについては、
そういえばブログで書いたりもしていた。
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