分解や個別明瞭化による破壊と修復
分解、個別明瞭化はTOC思考プロセスの主要な行為なので取りわけて注目するところ。
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あけすけな明瞭性は、複雑な事物の認識を台無しにしかねないのだ。包括的存在を構成する個々の諸要素を事細かに吟味すれば、個々の諸要素の意味は拭い取られ、包括的存在についての概念は破壊されてしまう。そうした事例は多くの人が知るところだ。ある言葉を数回繰り返し、その際、舌と唇の動きを注視し、発せられる音にも注意深く耳を澄ましてごらんなさい。ほどなくその言葉はうつろに響き、やがて意味を失ってしまうだろう。ピアニストは、自分の指に注意を集中させたりすると、演奏動作が一時的に麻痺することもある。倍率の高い虫眼鏡で部分を念入りに眺めたりすると、全体の模様や人相を見損ないかねない。
これは生活的概念の概念化と同じように思える。
修復 p33
もっとも、こうした意味や全体像の破壊は、個々の要素をもう一度内面化し直すことで、修復が可能だろう。言葉が適切な状況下で再び発せられ、音楽に集中したピアニストの指が再び躍動し、人相の個々の特徴や模様の詳細がある距離を保って眺め直されるなら、それらはみんな息を吹き返し、自らの意味と自らの包括的な関係を回復させるだろう。
さりとて、この修復が決して初めの意味を回復させるものではないことは、肝に銘じておかねばならない。意味の修復は、初めの意に改良を施すことがあるのだ。ややもすれは技能を麻痺させかねない動作研究も、練習によっては、技能を改善させることもあるだろう。テキストを切り刻む精読は鑑賞を台無しにしかねないが、テキストを以前よりはるかに深く理解するための材料を提供する可能性もある。
こうした事例では、部分を念入りに吟味するのは、ただそれだけでは意味を破壊する行為なのだろうが、次の段階の統合へ向かうための道しるべとして寄与し、ひいてはより正確で厳密な意味をもたらすのだ。
関係を明示的に述べることによる再統合
個々の諸要素を暗黙的に再統合することが、注意を集中させることで破壊された意味を回復させるための、唯一の方法ではない。多くの場合、各要素間の関係を明示的に述べると、破壊的分析が包括的存在に与えるダメージは緩和されるのだ。そうした明示的統合が実現可能な場合には、それは暗黙的な統合などよりはるかに広い領域をカバーするものになる。
機械を例にとってみよう。それがどんな仕組みで動くのかを知らなくても、私たちは機械を巧みに操るすべを学習することができる。しかしエンジニアによる機械の構造と操作の理解は、それよりもずっと深い地点にまで達する。私たちは自分の身体について学際的な認識を持っているが、理論をわきまえた生理学者の認識はずっと多くのことを語ってくれるだろう。韻律学上のルールを心得ていれば、詩のように繊細なものの理解もぐっと深まるというものだ。
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