コミュニケーション搾取
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いわゆる「コミュニケーション強者」というのがいるけど、コミュニケーションに必要な「人間関係の調整」を行わない、いわば搾取する存在である
実際のところ「コミュニケーション強者」は、〈コミュニケーションの場を整え人間関係を調整する〉という任務と責任を周囲に押し付けているだけです。「強者」の周囲には、コミュニケーションの失敗を自分に帰属させる(自分はコミュニケーションが苦手だと信じる)「人の良い人」がいます。つまり「コミュニケーション強者」の存在は「コミュニケーション弱者」が支えているのです。 「コミュニケーション強者」と「コミュニケーション弱者」の関係はこうしたコミュニケーション搾取によって再生産されます。つまり「コミュニケーション強者」や「コミュニケーション弱者」は、その人の性質ということより社会的な役割です。 コミュニケーションの場にいる人には2種類あって、正解を探す“弱者”と正解を押し付ける“強者”。後者は「これが正解なんだ」と前者に押し付ける。コミュニケーションというものをそういうふうに俯瞰して見ることができれば、ハマりもしないし、もう少し違う戦略も立てられるはず。相手がやっているのが「正解の押し付け」だということを見抜け、と。本当はそういう目が必要なんだ、と。
コミュニケーションというからには、自分と相手、少なくとも二人の人間がいるはずなのに、うまくいかない原因をなぜ常に自分に帰属させるのか。「なぜ」といいましたが、理由は分かっています。広い意味で「教育」と呼ばれるコミュニケーションの結果です。権力の落差がある両者の間で「正解」が一方的に押し付けられるだけでなく、この権力行使を「これはコミュニケーションである」「うまくいかないのはお前のコミュニケーション能力の欠如のせいである」という解釈もまたその裏で押し付けられています。
コミュニケーションには相手を必要とする
であるからコミュニケーションを成立させるのは自分ではない