一般意志2.0 東浩紀
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副題が秀逸だなggkkiwat.icon
2021.12.13(講談社文庫)
第一章
「多様性予測定理」・・・構成員個人の多様性が増すほど、群衆の予測が正確になる。つまり構成員の能力不足を多様性の拡大が補い得る
「集団的誤差=平均個人誤差-予測多様性」という立式がなされていて、群衆が賢くなるためには、メンバー一人ひとりが賢いか、あるいは集団として多様、ということをシュミレーションとゲーム理論で導いたらしい。ggkkiwat.icon
「群衆は平均を超える法則」・・・構成員の平均的な予測よりも、群衆の予測よりも必ず正確になる
これもっと深掘りしたい、何においてなのかとかがないと「それはそう」にならない?tkgshn.icon
この記事 によると、予測モデルとは、「一つの解釈と、それによって作られる集合やカテゴリー一つ一つに対する予測を合わせたもの」。、多様な予測モデルの集まりがあるとして、その集団的予測は個人的予測の平均より正確である。ここでいう「予測」がなんの予測を指しているかは「多様な意見」はなぜ正しいのか スコット・ペイジの第八章を見ないといけないかもしれないggkkiwat.icon この記事 では「包括特性」と「粗近似特性」を紹介。「属性同士の関係性」が大きそう 第二章
最初に社会契約があり、その結果として一般意志(主権)が生まれ、最後に統治機構(政府)が設立される
「主権は一般意志にあり、統治機構にはない」
一般意志は数学的かつ、政府・政治の”外部”に存在する 第三章
一般意志は、各人の意志の「差異の和」
人間の秩序(コミュニケーション・全体意志)から逃れ、モノの秩序(一般意志)に基づいて生きるというルソーの思想
第四章
第五章
熟議的なコミュニケーションで前提とされているのは「相互主観的に同一の意味を認めうるという条件」だが、世界の複雑さによって議論の落とし所を探れない他者(ex: テロリスト)が存在し、前提が崩れているのではないか 第六章
一般意志2.0は情報環境に刻み込まれた行為と欲望の履歴
またカントの哲学、つまり私的な利害や共感を乗り越えたところに公的な倫理や政治が存在するという発想そのものが、一八・一九世紀的である。 一般意志2.0は人々の意識(意見)の集積ではなく、無意識(欲望)の集積
第七章
インターネットのメタ内容的な情報(ex: 語彙のくせ・文体のリズム・書く速度)の記録に適する性格は、は人々の「無意識」を炙り出す 第八章
熟議とデータベースどちらもの一般意志がぶつかり合う、と。あらーあまりラディカルでない。ggkkiwat.icon
いや、精神分析的な”意識””無意識”の関係に照らし合わせると、構造を共にしている
単純に私たちの社会って”意識”社会というか、養老がいう”脳”の社会なので、受け入れられるか?っていうggkkiwat.icon
「大衆の欲望」を制約条件として捉える統治術が必要。
それはそうやなggkkiwat.icon
第九章
多数の制約条件を重ね合わせて可視化する
第十章
あずまんが前提としているのは情報化の時代、つまり全てが記録される時代ね みんな熟議なんかしないでしょ、と。それはそうggkkiwat.icon
無意識の可視化は「立法者」を必要としない
これは一般意志の位置付けとして、重要ggkkiwat.icon
どうやって累々と積み上げられたインターネットの”モノの秩序”を”可視化”するのか、そこについてまだ論じられていないggkkiwat.icon
「ニコニコ的に、政治的な議論の背景にコメントが流れる」これだ!東浩紀.icon
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第十一章
第十二章
第十三章
第十四章
第十五章
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熟議が成立していないいま、インターネットによる総記録社会によって成立している一般意志2.0、情報環境に刻み込まれた行為と欲望の履歴、を活用しよう。具体的には「ニコニコ的に、政治的な議論の背景にコメントが流れる」ようにする。
わかりやすく、リベラルアーツの必要性がよくわかるよね。東浩紀.iconが持つ教養によって分野横断的につなげることができているし、これがないといまさら統治術、ひいては政治について語れないわ。 東浩紀.icon 前半を突き詰めると「ビッグデータにもとづいたアルゴリズム的統治がいい」という結論になってしまう。けれども書きながら「そんな危険なものを新しい民主主義のヴィジョンだと言ってしまってはダメなのではないか」という思いが強くなっていった。結果として「データベースと熟議の両方が必要だ」というあいまいな結論になっている。(p13)