シンギュラリティ
不確実性が特異点に達した時の話をしてみたい
社会契約は「仮定する自然状態」の問題を解決するために結ばれる虚構
僕らは2016年のことをどんな風に思い出すだろうか? 楽観的シンギュラリティ、貧者のVR、魔法の世紀へ|GIZMODO
選挙の代わりに、我々の意識しないレベルの欲求や目的を何らかの形で集約する
「無意識民主主義」「センサー民主主義」「データ民主主義」
しかし誰が責任を持つのか、という論点。
「意志」「責任」概念によって社会秩序を保つ
竹内好が言ったらしい。がいう天皇もこれだろうか
一般意志2.0 東浩紀と三島由紀夫のつながりもあるとの指摘
from: 『一般意志2.0』と三島由紀夫(猪瀬直樹によるルソーと東浩紀解釈) - Togetter
そもそもぼくは、もしゲンロンという会社をやっていなかったら、もう哲学はやっていないと思います。哲学とはなにか。ぼくにとって、それは現実世界で生きることと切り離せないものです。現実世界はさまざまな不合理に満ちている。嫌なことや醜いことがたくさんある。けれどそのなかにすばらしいことや美しいこともある。人間にはそういう二面性がある。[_ その二面性について考えるのが哲学であって(あるいは[批
群集
≒ 集合知
yomoyomoの読書記録 - ジェームズ・スロウィッキー『「みんなの意見」は案外正しい』(角川文庫)
この日、市場が賢い判断を下せたのは、賢い集団の特徴である四つの要件が満たされていたからだ。意見の多様性(それが既知の事実のかなり突拍子もない解釈だとしても、各人が独自の私的情報を多少なりとも持っている)、独立性(他者の考えに左右されない)、分散性(身近な情報に特化し、それを利用できる)、集約性(個々人の判断を集計して集団として一つの判断に集約するメカニズムの存在)という四つだ。
真のダイバーシティをめざして ダイアン・J. グッドマン
抑圧の五側面⑴搾取⑵周縁化⑶無力化⑷文化帝国主義⑸暴力。(p14)
ある社会的集団が上記の側面を一つ以上経験しているのならばその集団は「抑圧されている」
抑圧とは、ある集団が他集団に対して持つとされる先天的な優越についての信念と定義することもできる。(p22)
意識を持ってしてはランダムは達成し得ない
乱数生成ができない脳
意識という秩序を作り出す活動
秩序の発生と無秩序の発生のトレードオフ
=普遍的無意識
ユングの集合的無意識というアイディアによると、われわれの無意識の深い部分では、通常の時間や空間の制約を超えた情報がやりとりされているという。
象徴としての世界 −バリ島民の儀礼と世界観− (改訂版) - 蛭川研究室
集合的無意識 (Collective Unconscious)
空間・無意識
養老孟司
「身体=自然=無意識=無思想=変わるもの=感覚所与=違う」の系列と、
「脳=都市=意識=思想=情報=変わらないもの=意味=言葉=人工=同じ」の系列
「身体=自然=無意識=無思想=変わるもの=感覚所与=違う」の系列
修行とは、身体の統御を完成することである。……型は身体表現であるから、無意識的表現を含んで成立する。無意識的表現は、意識的に真似するわけにいかない。ともあれそっくりそのまま、とりあえず真似してもらうしかない。(…)型は、身体による普遍的表現だ。(p206-208)
考えるヒト 養老孟司
海外で国際協力をしたい人のための活動ハンドブックにあった定義から。
この本では、文化は「生まれてから家族や社会の中で育つ間に自然と学んで身につけてきた生活様式・習慣・行動・ものの考え方の総体を指す」もので、「その社会に属する人々があたりまえ(無意識)に実践していること(自文化)に対し、それ以外は異文化として認識される」としている
すると観光地的に、他者の視線を意識した「文化」は、果たして「自文化」と言えるのだろうか
ニヒリスティッシュ・虚無主義
人間が存在していることに意義や目的など無い。
既存の価値体系や権威をすべて否定する思想や態度
ツルゲーネフ・フリードリヒ・ニーチェ・カミュなどに代表される。
否定
何が正しいかよりも何が間違っているかのほうが明瞭であるという原則。
知識は引き算によって膨らんでいくという原則。
「否定の道」とは、何が正しいかよりも何が間違っているかのほうが明瞭であるという原則。言い換えれば、知識は引き算によって膨らんでいくという原則。また、何がおかしいのかを理解するほうがその解決策を見つけるよりも易しいともいえる。何かをつけ加える行動よりも、何かを取り除く行動のほうが頑健である。なぜなら、何かをつけ加えると、目に見えない複雑なフィードバックループを生む可能性があるからだ。この
弁証法
ヘーゲル入門|京都大学文学研究科 教授 大河内 泰樹 氏|2019.12.05実施 - YouTube
主人と奴隷との関係が「承認をめぐる闘争」から生まれ、主人と奴隷の関係が反転するまで
ここでの「主人/奴隷」は「命を危険に晒す用意のある意識/命を危険に晒す用意のない意識」
=鰻の論理
レンマ学 中沢新一 p45
ナーガルジュナが駆使した論理
人間の思考は(1)肯定(2)否定(3)否定でもなく肯定でもない(4)肯定にして否定、という四つの組み合わせでできている
肯定に固執することは、否定を否定することに固執することである。(…)否定と肯定というこの空間(追記:肯定/否定)の中にいるかぎりは、自己とその世界を真に肯定した場所に立つことはできない。(p181-182)
これがニーチェだ 永井均
(神話の機能に続いて言及…)そもそも、仏教のロジックも実際のところそんな風になっている。十二支縁起と呼ばれるものがそうですね。これは「無明があるから行がある、行があるから識がある・・」という風に、人間が煩悩と苦の世界を生きることになる仕組みを説いている。「これがあるから、あれがある」という風に煩悩が増大していくあり方がまず語られるのですが、これを[順