知識・思想がないことは社会への同意を意味する
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我々は、便利なテクノロジーがどのような仕組みでできているか、どういう選択基準で自分の検索に対して情報が選び取られてくるのかをよく理解しているわけでもない。プロセスを知らない便利さは、権力者の作った社会構造を疑わず、正統的、知識として提示されたものを無批判に受け入れることと本質的には変わらないと言える。知識に対して受け身であるということは、判断を先延ばしにすることを意味するが、もし流れに身を任せて、その結果、自分にとっては受け入れがたい現実が目の前に訪れたとしても、それは自らの選択の結果なのである。選ばないということも選択になってしまっている。