書く
使うツールで分けて作業してもいいけど、この2つのプロセス自体が、単純に「前工程」「後肯定」になっておらず、どちらからも行き来する関係なので。
アイデアは、文献を読み、議論をし、他の人に耳を傾けることから生まれます。これらの作業はすべて、書きながら実行することができます。そしてしばしば、書くことによって改善されます。 スラヴォイ・ジジェクはあるインタビューで、私は自分のアイデアを書き留めているだけで、それをあとになってから出版に足る内容に直せるかもしれない、と自分自身を説得してからでないと、たったひとつの文でさえも書けないのだと悟りました。書き終えるまでには、いつも、残った仕事が手持ちの下書きを直すだけになっているので驚いたといいます。とりわけ難しい作業のひとつは、主張と関係ない内容を厳しい目で削除していくこと、つまり「キル・ユア・ダーリン(愛しいものを葬り去る)」です。これは、内容との関係が疑わしいを他の文書に移動して、あとで使うかもしれないと自分に言い聞かせると、ずっと楽になります。私は、自分が執筆するあらゆる文書について、もうひとつ「xyrest.doc」のような文書をつくり、削除するたびにその文書にコピーしていきます。そうすることで、あとで見直しのときにどこか適した場所に入れればよい、と自分を説得するのです。もちろん、それは絶対に起こらないのですが、それでもうまくいきます。心理学の知識を多少持ち合わせている他の人も、同じことをしています(Thaler,2015)TAKE NOTES!――メモで、あなただけのアウトプットが自然にできるようになるp.207 考えてみると、文章を書くということは「構成・流れを組み立てる」ことと「個別のフレーズを考え、滑らかにつなぐ」ことという、まったく異なる作業を同時にやっているわけです。これは頭にとってはかなりの負荷です。すごく説得力のある構成を思いついたけど、うまいフレーズ(文章)が浮かばず悩んでいるうちに流れがわからなくなる。逆にとても素敵なフレーズが頭に浮かんだけれど、つなぎ合わせてみたら説得力がなく、ああでもないこうでもないと考えているうちにフレーズが色あせて見えてくる。そんなことはないでしょうか(私はよくあります)。異なる二つの作業を同時にやろうとすることの難しさです。アウトラインプロセッシング入門 Tak. (p.37). Kindle 版. 空間配置が可能な発想法は、四方八方に広がる発想をキャッチできるメリットがある反面、最終的なアウトプットである文章としては分断されたままになっています。文章とはリニアに流れていくものなので、空間配置から流れ(フロー)に変換する作業が必要になります。アウトラインプロセッシング入門 Tak. (p.127). Kindle 版. アウトライナー自体は発想ツールではありません。キーワードのグルーピングによる発想法に使えないことはありませんが、そうなると項目の「空間配置」ができないことが不満になってきます。自由な発想は四方八方に広がります。しかしアウトラインはインデント(字下げ)によって立体的な構造を表現しているものの、本質的にはリニアなものなので、自由に広がる発想は捉えきれないのです。アウトラインプロセッシング入門 Tak. (pp.116-117). Kindle 版. 〈否定派〉は「アウトライナーは本来階層構造で表現できないものまで階層構造の中に閉じ込めてしまう」、そして「アウトラインのツリー構造よりも、網目構造の方が複雑な情報を扱える」と主張します。ここでいう網目構造とは、たとえば相互にリンクされたハイパーテキストや、複数のタグがつけられたEvernoteのノートをイメージすればいいでしょう。一方の〈肯定派〉は「アウトライナーは階層構造を強制などしない」、「むしろテキストの固まりの移動が容易にできること、マクロな視点とミクロな視点を行き来できることで、より自由に編集ができる」と主張します。アウトラインプロセッシング入門 Tak. (p.119). Kindle 版. 確かにアウトライン上では、ある記述は「A」と「B」どちらかにしか分類できません。しかしアウトライナーに入っている限り、それはある記述が「A」と「B」のどちらに含まれるべきかという思考プロセスの、最新のスナップショットにすぎません。今「A」に分類されている内容が、次の瞬間には「B」に再分類される可能性を常にはらんでいます。見た目上「A」に分類されているけれど、同時に「B」でもある可能性が常にある。それはもはや単純なツリーではありません。アウトラインプロセッシング入門 Tak. (p.121). Kindle 版. > これまで私は書くというのは神聖な行為であり、それをやるには特別にならなければいけないというようなイメージがありました。だから楽しんで書いたり、楽をして書いたりしてはいけないように思っていたのです。 > 書くことについての思い込みは他にもありました。長時間かけないといいものはできない、机の前に座ってきちんと書かなければならない、推敲すれば推敲するほどいいものができる、などなど。だけど、自分の状況はそういうことを許しませんでした。いくつも仕事を抱える中で細切れの時間しか取れません。書く時間が取れないことも書くことが楽しくない理由の一つでした。 印税や原稿料だけで生活できるようになって、まとまって書ける時間を取れるようにならないと一人前になれない、と焦っていました。他にいくつも仕事をしながら、細切れの時間の中で書いている自分の現状をダメだと思っていたのです。
> これまで、様々なノウハウ本や文章術を読んできました。しかし、私に欠けていたのはノウハウよりもまず「自分にとっての面白く楽に書ける方法で書く」という視点でした。書くことについてのノート太田明日香p.20 ものを書くときの動機は人さまざまで、それは焦燥でもいいし、興奮でも希望でもいい。あるいは、心のうちにあるもののすべてを表白することはできないという絶望的な思いであってもいい。拳を固め、目を細め、誰かをこてんぱんにやっつけるためでもいい。結婚したいからでもいいし、世界を変えたいからでもいい。動機は問わない。だが、いい加減な気持ちで書くことだけは許されない。繰りかえす。いい加減な気持ちで原稿用紙に向かってはならない。書くことについて ~ON WRITING~ スティーヴン・キング (p.114). Kindle 版. 私がものを書くのは自分が充たされるためである。 書くことによって家のローンも払えたし、子供たちを大学へやることもできたが、 それは結果でしかない。 私が書くのは悦びのためだ。 純粋に楽しいからだ。 楽しみですることは、永遠に続けることができる。書くことについて ~ON WRITING~ スティーヴン・キング p.270 ものを書くのは、 金を稼ぐためでも、 有名になるためでも、もてるためでも、 セックスの相手を見つけるためでも、友人をつくるためでもない。 一言でいうなら、 読む者の人生を豊かにし、 同時に書く者の人生も豊かにするためだ。 立ちあがり、 力をつけ、 乗り越えるためだ。 幸せになるためだ。 おわかりいただけるだろうか。 幸せになるためなのだ。書くことについて ~ON WRITING~ スティーヴン・キング p.289